田束山」山頂の「計仙麻大嶋神社」「羽黒山・清水寺」の跡地とされる。
「陸奥総社宮」HPより
はじめに
このお話は、インターネット上の「伝承之蔵」というサイトを全面的に参照いたしました (お話の元の題名 だいめい は「義理猫情」でした) 。こちらのサイトは、単に民話を紹介 しょうかい するサイトとして優 すぐ れているだけでなく、その設立 せつりつ の方針 ほうしん や運営 うんえい の仕方が素晴 すば らしいサイトです。「百貨店 ひゃっかてん 」のページなど、ところどころ「おふざけ」があるのも面白 おもしろ いです。特に子供むけというわけではありませんが、機会 きかい があったら訪 たず ねて見て下さい。
それでは、お話に入ります。
昔、「歌津 うたつ 」の「 田束山 たづかねやま 」には「カラ猫」が、「貞任山 さだりやま 」には「トラ猫」が、「鳥ヶ森 ちょうがもり? 」には「三毛猫」が、それぞれ住んでいました。
ある日、猫たちは、長者の美 うつく しい一人娘 むすめ が、悪代官 あくだいかん に無理矢理 むりやり 、花嫁 はなよめ にさせられそうになっているという話を聞きました。三つの山の猫たちは怒 いか り、何とかしようと話合いを持ちました。
ところが、ちょうどその時、いちばん力のある「貞任山」の親猫が、全国の猫たちが集まる「京 きょう の都 みやこ 」での寄合 よりあい に出るため、留守にしていましたので、「カラ猫」と「三毛猫」だけの話合いでは、なかなか意見がまとまりませんでした。
貞任山
困り果てた二ひきの猫は、「田束山」にある「清水寺 せいすいじ 」の「薬師如来 やくしにょらい 」に、「貞任山」の親猫をもどして下さい、とお願いしました。すると不思議なことに、たちどころに「貞任山」の親猫がもどってきました。夢に「薬師如来」が現われて、事件のことを知らせてくれたのだと、親猫は言いました。
その後、「貞任山」の親猫を中心にまとまった三びきの猫たちは、悪代官をこらしめ、長者の娘を助けました。長者は、たいへん喜 び、「いつもは、犬猫などとバカにされているが、この義理人情 の厚 さは、人間でも及 ばない」と言って、たいそう感謝したということです。貞任岩
この話について
何だかわたしが題名 に選 えら んだ「田束山 (たづかねやま) のカラ猫」よりも、「貞任山 (さだりやま) のトラ猫」の方が主人公のような話ですが、「田束山」の「薬師様」の力にすがったのですから、そこに住む「カラ猫」も重視 されるということでお許 ゆる し下さい。
しかし、このお話では、仏さまを敬 う猫たちの信心 も立派 なのですが、やはり、猫たちが力を合わせて、自分たちとは関係のない、むしろふだんは自分たちのことをバカにしている人間のために悪者と戦うという心意気 に胸 むね を打たれますよね。わたしたちは、いざという時、この猫たちの半分ほども勇気のある行動がとれるでしょうか? もちろん、猫たちだって、信頼 できる仲間がいたからこそ、勇気もわき起こったのでしょう。
このお話を語りついできた「歌津」の人々は、近所の猫が庭でトイレや砂浴びをしたり、あるいは単に昼寝 ひるね をしたくらいで、その猫たちを追いはらったり、殺すべきだと言ったりしている現代人のことをどのように思うでしょうか? ときおり考えてしまいます。
人間から見れば、本当は大変 たいへん に弱い立場 たちば の猫たちが、その強い人間を助けるために、さらにもっと強い人間に戦いをいどむ今回のお話には、色々 いろいろ なことを考えさせられます。人間も、自分たちとは立場がちがったり、あるいは自分よりも弱い人間や生き物に対して、「負け組」などと言って馬鹿にしたり、「関係ない」と言って目をそむけたりしないようになれば、ずいぶんと生きよい社会になるのではないかとわたしは思うのですが、みなさんはどのように考えますか?
このお話が伝わる「歌津」は、いまは「南三陸町」にふくまれるのですが、みなさんもニュースで見たり聞いたりしたように、この町は三月に起きた「東日本大震災」で壊滅的 かいめつてき な被害 ひがい を受けたところです。人間社会をおそったこの大きな危機 きき に、「 田束山 たづかねやま 」「貞任山 さだりやま 」「鳥ヶ森」の猫たちは、きっとすでに立ち上がっていることでしょう。はたして、おなじ人間であるわたしたちは、仲間の人間に対して、どのような心意気を見せることができるのでしょうか?
わたしは、いま、自分が三びきの猫たちや、「田束山」の「薬師様」に、みずからの心意気を試されているような気がしてなりません。
最後にムスビで作者は気持ちを書かれています、皆がこのようなきもちになれたらなー
と思います、「自分だけは」というのををすてたいものです。
むすび
今回のお話は、猫が人を助けるという明るい内容でしたが、このお話を伝える「南三陸町歌津」が、いま、大震災の被害に苦しんでいることを記したことで、少し重い記事にはなってしまいました。しかし、子供だからといって、社会の重苦しい現実からただ目をそむけて、ひたすら楽しいことばかり考えていては、健全 けんぜん な心は育ちません。
考えるべきは、もちろん、地震 じしん のことだけではありません。「弱い者」と「強い者」、「都会」と「田舎 いなか 」、「お金のある人」と「お金のない人」、「人間」と「動物」などなど、さまざまなものの関係が問題 もんだい なのです。
子供が社会に向 む けて、直接 ちょくせつ できることはあまりありません。大人だって、一人一人はほとんど無力 むりょく です。そこで、みなさんは無理 むり なことを考えず、身近 みぢか で自分のできることを中心に、あれこれと考え、行動にうつしていくようにすれば、それでいいのだと思います。とりあえず、自分よりも弱い存在 そんざい 、自分ができることができない人々などに目を向けてみるのは、よい出発点 しゅっぱつてん になるかしれませんね。
子供時代にしかない、明るく前向きな気持ちで、考えてみて下さい。