佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

長き/釣り友の歴史24(我が人生の釣遊記)

2023-04-18 09:53:26 | 日々の思い

§7 釣り文化の変遷と未来
Episode1 タックルの変遷
自分自身のタックルを振り返っても分かることがある。
まず釣り竿である。竹の延べ竿から竹の印籠継ぎ、ここまでは大昔からあった。いつの頃からかグラスロッドになりリールガイドが装着できるように進化した。革命的であったと言える。その時代にグレ釣の全盛期が始まったと思う。その後小さな進化はあったが何と言ってもカーボンロッドの登場が大きい。軽くて益々強くなった。道糸の中通しの竿も一時流行したが現在それも殆ど見なくなった。装着が煩わしいのであろう。自分も持っていたがそのように感じてすべて廃棄している。
リールの進歩も著しい。最初はいわゆるタイコリールが主体であった。今でも石鯛釣りや船の沖釣りなどは進化したカウンター付きのタイコリールが主体となっている。
上物用のスピニングリールの高度化も著しい。高価だが軽く強いリールがもてはやされるようになった。釣り人は全体に非力になったのかも知れないし、レバーブレーキ付きのなどの機能だけでなくいいタックルを使っている爽快感を求めているような気がする。
釣り糸の変化も著しかった。道糸もタコ糸からナイロン糸にさらに用途によってPEといわれる細くて強い糸が主流になりつつある。
ハリスについては圧倒的に強いフロロカーボンの登場がグレ釣、特に巨大尾長グレ釣には欠かせないものとなった。口太グレを対象としても竿やリールや道糸、ハリス糸の進歩によって軽く細く強くなってきた。おそらく初期の1/3くらいの細さや重量で対応できていると思われる。
ウキの変化。たかがウキ、されどウキなのである。特にヘラ釣師やグレ釣師にとってこれほど悩ましいものはなく、またこれほど上物釣り師の歴史を語るものはないだろう。そして今もその変化が著しい。釣り文化が特定の地域だけでなくなった時、全国から色んな考え方のウキが目に見えるようになってきた。和歌山ではヘラウキの大型のいわゆる棒ウキが当初の主体であった。恐らくそこに漁師の撒き餌籠釣からヒントを得た釣り人が撒き餌籠を保てるウキ即ち大型の棒ウキが磯の上物釣り師の主流であった時期もある。
しかしながら、撒き餌の種類や手段が変化するに従い、特に撒き餌にアミエビが入ってきたころから、棒ウキではなく主流が玉ウキに変化していったと思う。同時期の頃から新聞社などのグレ釣大会などが行われ、各県などの代表がグレ釣を競うようになっていった。物凄いブームとなったころ、優勝者は棒ウキではなく玉ウキを使っていた。特に徳島では玉ウキ全盛となっていた。釣り人はその玉ウキに色んな工夫を入れて現在主流となっている円錐ウキにたどり着いたと思われる。しかも各地の名人が自分なりの考え方で新しいウキを世に次々と出して行くのでその変化は今も留まることはない。また過去の概念にはあまりなかった水中の潮の流れに合わせるための水中ウキの種類も多々ある。さらにウキそれ自体には浮力を持たせず流れに従って沈ませてゆく釣方も多くの釣り人が行うようになってきた。一方で棒ウキファンは今もあり、釣り人が考え、悩む大変面白いグッズである。
釣りのスタイル服装の変化も著しい。靴も最初は多分草鞋だっただろうと思うし、自分がそうだった。その後磯釣り師の誰もが地下足袋に変わった。今思えば不細工この上ない。その後スパイク付きやフェルト付きなど色々と販売されているが、この進化は今も続いていて安全とファッションの両立を目指しているのであろう。






コメント (1)
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