佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

長き釣り友の歴史5

2022-10-08 19:10:49 | 釣り

Episode セイゴ釣り

同じころ河口にはセイゴが多くこれは生きた小魚をエサとした。ハゼのような小魚を掬って頭部に針をかけ泳ぎながら釣るのであるが、当時は六尺褌が普通の水着であったから、その褌に糸の端をくくって自分が泳ぎながら釣るのである。生き餌の泳がせ釣りである。

ところが糸がもつれたりする場合があり一緒に泳ぎ釣りをしていた友達と相談し、二人ともスッポンポンになり一物に糸を括りつけて泳ぎ釣りを始めた。しばらく泳いだところで私が「痛い!」というとほぼ同時に友達も「痛い!」と叫んだ。同時に魚が喰いつき引っ張られて叫んだのである。しかし間もなく二人ともポンと引き抜かれて仕掛けもろとも持っていかれた。陸に上がってからこのやり方は今一やなあと言い合ったものである。

それから本格的にハネ釣を始めるまで数十年が経っていた。

 

Episode アイゴ釣り

中学生のころアイゴ釣りがブームになったことがあった。

酒粕を刺しえさにして釣るのであるが、これがなかなか難しく殆どいい思いをしたという記憶がない。いつも同級生に釣り負けていた。ウキ釣りが始まった頃だったと記憶しているが、なかなか難しい釣りというか苦手な釣りだった。アイゴの一夜干しには遠く、その釣りのセンスのなさが今も続いている気がする。

 

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新しいベンツの世界

2022-10-07 19:49:51 | 趣味

メルセデスAMG SL

 

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アート魚拓の世界「個展」

2022-10-06 19:25:57 | 日々の思い

東洋魚拓拓正会の新居祐司氏が長年やられてきている魚拓の作品を皆さんに見てほしいと

この度個展を開かれます。

日時・・・11月8日から13日(日)まで午前10時から午後6時まで

     初日は正午から

     土曜日は午後5時まで

     日曜日は午後4時まで

場所・・・京田辺市立中央図書館

     ギヤラリー「かんなび」

     JR学研都市線京田辺駅西出口から徒歩約2分

     近鉄新田辺駅西口から徒歩約6分

住所・・・京都府京田辺市田辺辻40番地

TEL・・・090-2286-8961

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10月のカレンダー

2022-10-05 10:05:31 | 日々の思い

じやのひれ

 

阪神タイガース

 

RYOBI

シマノ

ヤナセ

GAMAKATSU

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長き釣り友の歴史4

2022-10-04 19:23:09 | 釣り

Episode 紋甲イカ釣り

これは小学2年生の冬だったと思う。祖父に伝馬船のような小さな船に乗せられて紋甲イカ釣りに連れていかれた。大変な荒れ日和でおまけに寒く七輪が船に積み込まれていたが、紋甲イカの手釣りを仕込まれた。手はかじかむ、船はものすごく揺れる、嘔吐をする。釣ったイカは墨を吐く。もう無茶苦茶な状態であったが、漁師の厳しさみたいなものを学んだ。しかし当日は学校の授業があった日で休んで漁の見習いに行っていたのである。さすがに母が学校に行かせてやってくれと祖父に頼んで、それからは学校がある日は船に乗らなくなった。しかし厳しい職業であることはよく理解した日でもある。

その日以降はどんな荒れ日和でも船酔いしない体になった。

 

Episode グレ釣の始まり

グレ釣は今思えばこれが遊びとしての釣りの始まりだった気がする。まず梅雨グレから秋だけが当時のグレ釣のシーズンだった。

イガミ釣りと同じようにカニを捕り、そのカニを潰して板に塗り付ける。それをフナ虫がいる場所にうつむけに置いておく。それを何枚もセッティングして置き最初の場所に戻ってイガミと同じフナ虫が這いあがれないようにした籠の上でフナ虫を叩き落とし次々と回収し多くのフナ虫をいっぱい籠に集める。現在のサシエと撒き餌の出来上がりである。

磯のポイントに着くと今と同じように撒き餌をするが、これがフナ虫の握り潰しだから気持ちの悪いことこの上ない。

勿論当時は延べ竿のウキなしのズボ釣りだから遠投はできないし膝くらいまで波をかぶることは覚悟して釣った。むしろ波の高い日に浅瀬に入ってくるグレを狙って褌一丁で波をかぶりながら釣るというのは良く釣れるし面白かった。釣れはしたがあまり型のいいグレは釣れた記憶がない。しかし数は良く釣れた。

一昔前までフナ虫の刺しエサというのもエサ屋にあったと記憶しているが何とも気持ちのいいものではないから多分今は誰も採用していないように思う。しかし夏場のグレの食性にはマッチしているのではないかと今でも思っている。

 

そんな釣りの楽しさを教えてくれた祖父は私の小学校卒業式の最中、急死した。ブリ漁の途中の心臓麻痺であった。

祖父の寝ている枕もとで何の恩返しもしない間に亡くしてしまったという後悔の念が強くただただ泣いた。

 

Episode チヌ釣の始まり

私の故郷和歌山県日置は海と二級河川日置川に囲まれた町である。

中学生の夏休みになると当時河口でのチヌ釣が子供の遊びであった。まず川でエサとなる生きエビを掬うのである。釣り道具は木の枠に巻いた糸だけで、エサの生きエビを針に付けると陸に居る友達にその道具を持たせて自分はエサを付けた糸を引っ張りながら、ひたすら泳いで水面から底にいるチヌを探すのである。チヌがいる場所を見つけると静かに潜り底を濁して、そこにそっと付けエサの生きエビを置いて静かに陸に帰ってくる。チヌは勿論集まっていても散ってしまうが習性としてすぐにその濁りに殆ど戻ってくる場合が多い。するとそこにある生きエビを咥えて走り出すのである。陸では友達が既に咥えたチヌとやり取りしていることも多い面白い釣りである。ただ当時の糸は弱く大型のチヌは引き寄せる途中でヒレが見えてから切られて取れなかった。またキビレチヌが多かったように思う。これは二人で釣る釣りだがこれを一人でよくやった。その時は陸で棒に引っ掛けていた枠がクルクル回っていて大変興奮したことを覚えている。でも竿ではなく手でやり取りするのはやはり切られやすいのではないかと思う。

 

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