Episode3 紋甲イカ釣り
これは小学2年生の冬だったと思う。祖父に伝馬船のような小さな船に乗せられて紋甲イカ釣りに連れていかれた。大変な荒れ日和でおまけに寒く七輪が船に積み込まれていたが、紋甲イカの手釣りを仕込まれた。手はかじかむ、船はものすごく揺れる、嘔吐をする。釣ったイカは墨を吐く。もう無茶苦茶な状態であったが、漁師の厳しさみたいなものを学んだ。しかし当日は学校の授業があった日で休んで漁の見習いに行っていたのである。さすがに母が学校に行かせてやってくれと祖父に頼んで、それからは学校がある日は船に乗らなくなった。しかし厳しい職業であることはよく理解した日でもある。
その日以降はどんな荒れ日和でも船酔いしない体になった。
Episode4 グレ釣の始まり
グレ釣は今思えばこれが遊びとしての釣りの始まりだった気がする。まず梅雨グレから秋だけが当時のグレ釣のシーズンだった。
イガミ釣りと同じようにカニを捕り、そのカニを潰して板に塗り付ける。それをフナ虫がいる場所にうつむけに置いておく。それを何枚もセッティングして置き最初の場所に戻ってイガミと同じフナ虫が這いあがれないようにした籠の上でフナ虫を叩き落とし次々と回収し多くのフナ虫をいっぱい籠に集める。現在のサシエと撒き餌の出来上がりである。
磯のポイントに着くと今と同じように撒き餌をするが、これがフナ虫の握り潰しだから気持ちの悪いことこの上ない。
勿論当時は延べ竿のウキなしのズボ釣りだから遠投はできないし膝くらいまで波をかぶることは覚悟して釣った。むしろ波の高い日に浅瀬に入ってくるグレを狙って褌一丁で波をかぶりながら釣るというのは良く釣れるし面白かった。釣れはしたがあまり型のいいグレは釣れた記憶がない。しかし数は良く釣れた。
一昔前までフナ虫の刺しエサというのもエサ屋にあったと記憶しているが何とも気持ちのいいものではないから多分今は誰も採用していないように思う。しかし夏場のグレの食性にはマッチしているのではないかと今でも思っている。
そんな釣りの楽しさを教えてくれた祖父は私の小学校卒業式の最中、急死した。ブリ漁の途中の心臓麻痺であった。
祖父の寝ている枕もとで何の恩返しもしない間に亡くしてしまったという後悔の念が強くただただ泣いた。
Episode5 チヌ釣の始まり
私の故郷和歌山県日置は海と二級河川日置川に囲まれた町である。
中学生の夏休みになると当時河口でのチヌ釣が子供の遊びであった。まず川でエサとなる生きエビを掬うのである。釣り道具は木の枠に巻いた糸だけで、エサの生きエビを針に付けると陸に居る友達にその道具を持たせて自分はエサを付けた糸を引っ張りながら、ひたすら泳いで水面から底にいるチヌを探すのである。チヌがいる場所を見つけると静かに潜り底を濁して、そこにそっと付けエサの生きエビを置いて静かに陸に帰ってくる。チヌは勿論集まっていても散ってしまうが習性としてすぐにその濁りに殆ど戻ってくる場合が多い。するとそこにある生きエビを咥えて走り出すのである。陸では友達が既に咥えたチヌとやり取りしていることも多い面白い釣りである。ただ当時の糸は弱く大型のチヌは引き寄せる途中でヒレが見えてから切られて取れなかった。またキビレチヌが多かったように思う。これは二人で釣る釣りだがこれを一人でよくやった。その時は陸で棒に引っ掛けていた枠がクルクル回っていて大変興奮したことを覚えている。でも竿ではなく手でやり取りするのはやはり切られやすいのではないかと思う。
