函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

風林火山、晴信と快川紹喜!!

2007-07-02 | 歴史
『以前は勝ち続けるのが恐ろしかったが今は負けるのが恐ろしい』
と言う晴信。いつかは負ける、いや絶対負けるそれがいつなのか、
次の戦なのか、究極の疑心暗鬼ですよね
ヘッドに立つ人間の孤独を感じる言葉です

柏木市兵衛に疑念を持つ勘助。しかし、それは村上軍の出陣を防ぐ為
晴信が考えた謀略だったとは…
軍師である勘助にさえ知らせず柏木を間者に仕立てるとは、流石の晴信も
末期的症状を迎えようとしている。
が、しかし、ここで滅亡しないのが武田晴信なのである。
板垣・甘利をはじめとする信虎を追放し晴信を担ぎ出した家臣が、晴信を
救う事になるのです。それぞれの命を代償として…
最近、晴信は勘助に対しての嫉妬で戦をしている感もありますよね

それにしても千葉真一、いや板垣信方は強い!!
関東管領軍をいとも簡単に打ち破るとはたいしたものだ。
板垣や甘利の重臣が、晴信の戦に疑念を抱き始めましたが、結局
この二人の死を持って晴信の目が醒めるという筋書きなのだろう。
知将武田晴信、早く目覚めて欲しいものだ

ところで快川紹喜(かいせんじょうき)、と言うお坊さんをご存知でしょうか。
武田信玄に招かれて恵林寺(えりんじ)の住職になる名僧です。
法性院機山信玄(別号を徳栄軒)、晴信の法名ですが機山の号を晴信に授けたのは
何を隠そう快川紹喜その人なのです。
いかに晴信と深い係わり合いがあったか分かりますよね
織田信長の甲州攻めにより焼討ちにあい、恵林寺で焼死するのです。
尤も、信長からすると、敵方の武将をかくまい引き渡し要求も拒絶した
のですから、当然と言えば当然です。
当時、お寺は一種の治外法権で、何人も勝手に立ち入る事が出来なかった
のですが延暦寺を焼き討ちにした信長には通用しません。
そう言う意味では快川も、信長を少し甘く見ていたのかも…
このとき快川が残した『安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も
亦た涼し』は有名ですよね。
この快川、実は美濃の斉藤龍興と信玄を接近させ、織田信長に対抗させる
べく工作したふしがあるのです。
勿論、徒労に終わったようですが、中々の策士であり実力者だった訳です。
もし、信長がこの事実を知っていたとすれば、当然抹殺しようとするでし
ょうね。
またぞろ、何を画策するか分からないわけですから。
元々快川は明智光秀と同じ美濃の土岐氏出身らしいのですが、一説による
と光秀の同族だったとも言われているのです。
だとすれば、本能寺の変で光秀が信長・信忠父子を討ち取ったのも、快川
の死が影響した可能性もありますよね??
同族でもあり、天皇から『大灯国師』の号まで贈られている天下の名僧を
殺した信長を許せなかったのでは…
神仏に深く帰依していた光秀なら、もしかして…
勿論、快川の事だけで信長を殺すとは思いませんが、一因になった可能性
は十分考えられます。
思うに、本能寺の変という大事件は、いろんな葛藤が複雑に絡み合って
起きた筈です。
一つの事が原因でおきたとはとても考えられないのです。
おそらく真相を解明することは永遠に出来ないと思いますが、それだけに
永遠のロマンを感じてしまう僕なのです


コメント (10)
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