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映画『東京家族』について

1946年の精神(7)

2017年11月17日 | 映画『東京家族』
 
 与党の国会議員のなかには、「現行憲法は日本語としておかしい」という主張をする方々もいるようだ。まだその詳細を聞く機会を私は持っていないので、判断は留保せざるを得ない。しかしその方たちの一部には、もしかしたら、現代日本語文法の理解を欠くことから来る誤解があるのではないかと推察している。まさかそんなことはない。国権の最高機関たる国会の構成員に対して何という事を言うのか。失礼である。と常識的には思う。しかし現在は、「想定外」の事態も想定せねばならぬ時代なのである。
 


 まず、「前文」の冒頭、第一文を見てみよう。


『聴く日本国憲法』エイベックス・マーケティング(株),ヤング・スタッフ(株),中央経済社(株)






 


 この文章の「主語」が「日本国民」であることに、どなたも異論はないであろう。









 


 では、「述語動詞」は何であろうか。皆さんもちょっと考えてみてほしい。
























 青いマーカーで塗った言葉が「述語動詞」であろう。





 この文章の主語と述語、言い換えると文章の骨格は次のようになる。

 日本国民は、行動し、確保し、決意し、宣言し、確定する。




 

 私の提案としては、議論の前提となる、このように簡単な文法問題、というか読解力テストを10問ぐらい作って、全国会議員に受けてほしいと思っている。社民党と共産党の議員はたぶん、全員全問正答するだろう。私の勝手な予想では、与党のそれは8割ぐらいではないだろうか。
 しかし、間違っても良いのである。間違っていたら、ただ学んでいけばいいだけなのだ。私の願いはただひとつ、与野党が真剣な議論を戦わせて、後世の日本人のために、立派な国会議事録を遺してほしい、ただこれだけである。















































































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