「銀河の序」
① 北陸道(ほくろくだう)に行脚して越後ノ國出雲崎(いづもざき)といふ所に泊る。彼(かの)佐渡がしまは海の面(おも)十八里、滄波(さうは)を隔(へだて)て、東西三十五里によこおりふしたり。みねの嶮難<ケンナン>谷の隅々<クマグマ>まで、さすがに手にとるばかりあざやかに見わたさる。むべ此(この)嶋はこがねおほく出(いで)て、あまねく世の寶となれば、限りなき目出度(めでたき)嶋にて侍るを、大罪朝敵(たいざいてうてき)のたぐひ、遠流(をんる)せらるゝによりて、たゞおそろしき名の聞えあるも、本意(ほい)なき事におもひて、窓<マド>押し開きて暫時(ざんじ)の旅愁をいたはらむとするほど、日既に海に沈(しづん)で、月ほのくらく、銀河半天にかゝりて、星きらきらと冴<サヘ>たるに、沖のかたより、波の音しばしばはこびて、たましゐけづるがごとく、腸<ハラワタ>ちぎれて、そゞろにかなしびきたれば、草の枕も定らず、墨の袂(たもと)なにゆへとはなくて、しぼるばかりになむ侍る。
あら海や佐渡に横たふあまの川
( )は校注者の振り仮名
< >は原本にある振り仮名
② ゑちごの国出雲崎といふ處より、佐渡が島は海上十八里とかや。谷嶺(こくれい)の嶮岨(けんそ)くまなく、東西三十余里海上によこおれふせて、まだ初秋の薄霧立(たち)もあへず、さすがに波もたかゝらざれば、唯手のとゞく計(ばかり)になむ見わたさるる。げにや此(この)しまはこがねあまたわき出(いで)て、世にめでたき島なむ侍るを、むかし今に至りて、大罪朝敵の人々遠流(をんる)の境(さかひ)にして、物うき島の名に立(たち)侍れば、冷(すさま)じき心ちせらるゝに、宵の月入(いり)かゝる比(ころ)、海のおもていとほのくらく、山のかたち雲透(くもすき)に見えて、なみの音いとゞかなしく聞え侍る。
あら海や佐渡によこたふ天の川 芭蕉
『芭蕉文集』 日本古典文學大系 岩波書店
“時を跨(また)ぎ、八歳の女の子が三三歳になったすがたなど想像することはまるでできないとも思うのだが、おそらく貴子もおなじことを考えているだろうと推(すい)した。”
“時は流れるものなのだから、当然のことだろうと思っても、一五歳だった少女が四〇歳になった時の推移にまごつく。”
『きことわ』文庫版 (p.32とp.37) 朝吹真理子
“我今ははじめの老(おい)も四(よ)とせ過(すぎ)て、” (芭蕉原文)
“初老も四年すぎて。貞享四年、芭蕉は四十四歳に当る。” (校注)
『芭蕉文集』 日本古典文學大系 岩波書店
「蓑蟲説跋」
この芭蕉の文は、素堂という人たちが書いた本に、書き添えた一文のようだ。まったく、こんな「レビュー」を書いてみたいものである(笑)。
草の戸さしこめて、ものの侘しき折しも、偶(たまたま)蓑蟲の一句をいふ。我(わが)友素翁はなはだ哀(あはれ)がりて、詩を題し文をつらぬ。其(その)詩や錦をぬひ物にし、其(その)文や玉をまろばすがごとし。つらつらみれば離騷(りそう)のたくみ有(ある)ににたり、又蘇新黄奇あり。はじめに虞舜(ぐしゅん)・曾參(そうしん)の孝をいへるは、人におしへをとれと也。其(その)無能不才を感(かんず)る事は、ふたゝび南花(なんくわ)の心を見よとなり。終(おはり)に玉むしのたはれは色をいさめむとならし。翁にあらずば誰か此(この)むしの心をしらん。「靜(しづか)にみれば物(もの)皆(みな)自得(じとく)す」といへり。此(この)人によりてこの句をしる。むかしより筆をもてあそぶ人のおほくは、花にふけりて實をそこなひ、み(實)を好みて風流を忘る。此(この)文やはた其(その)花を愛すべし、其(その)實猶(なほ)くらひつべし。こゝに何がし朝湖(てうこ)と云(いふ)有(あり)。この事を傳へきゝてこれを畫(ゑがく)。まことに丹(たんせい)淡(あはく)して〔情〕(じやう)こまやか也。こゝろをとゞむれば蟲うごくがごとく、黄葉(くわうえふ)落(おつ)るかとうたがふ。みゝをたれて是(これ)を聽けば、其(その)むし聲(こゑ)をなして、秋のかぜそよそよと寒し。猶閑窓(かんさう)に閑を得て、两士の幸(さいはい)に預(あづか)る事、蓑むしのめいぼくあるににたり。