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映画『東京家族』について

ズボン(補足)

2017年08月08日 | 洋服 / Western clothes
 昨日の記事の最後に二行のセリフを色分けして表示し、その意味する所は明確なので解説はいらないと思ったが、もしかしたら年少の方なども読むかもしれないと思ったので、蛇足ながら説明をしておく。


吟子: 「わたし明日はスーツでいいでし

小春: 「もちろ。ティーパーティーだも。亨さのスーツ。替えズボ付き23千




 ピンク色で示したのは、吟子が渡す小さい語尾の「ょ」を、小春がしっかりと二度繰り返す「よ」で受けとめた会話である。

 次のネイビーは、小春のたった一行のセリフで音楽的に繰り返される優しい「ん」の音を示した。英詩では各行末の音を揃えて脚韻を作ることがある。それに倣ってたった一行だけれども、改行しながら書くと次のようになる。


もちろ
よ。ティーパーティーだも
亨さ
は、こ
のスーツよ。替えズボ
付き2ま





 と実に9回も現れる。昨日「3」と「千」をネイビーにしなかったのは、「ん」を強調するよりも、その前に出る「2」とのつながりのほうが勝っていると思ったからだ。具体的に言うと、亨がおそらく量販店で買った2万円台の紺のスーツは、明日行われる披露宴のささやかさを表している。そして、それに続く千円台の値段の候補はふたつ、即ち3と4だけである。他の数字では、脚韻が「ん」ではなくなる。2万3千円と2万4千円のどちらがよいか。これはもう言葉の感覚の問題だけであるが、山田監督たちはより言葉がなめらかにつながる「3」を選んだ。

 のかどうかは山田監督にインタビューをしてみないと判らないのだが、私の想像としては、監督は意図的,技巧的に上記の「よ」と「ん」の配置をしたのではなくて、言葉を選んで選んで選び抜いているうちに音が自然と纏まってきた、そういうことではないだろうか。そしてこの心を込めた一行を、「いつも通りボソボソと」読んだりしたら、役者が怒られてしまうのもわかる気がする。







































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ズボン

2017年08月07日 | 洋服 / Western clothes
 山田洋次監督の2010年の映画『おとうと』に、こんなセリフがある。主人公の小春が(二度目の)結婚式を挙げる前の晩。


吟子(吉永小百合): 「わたし明日(の披露宴)はスーツでいいでしょ」

小春(蒼井優): 「もちろんよ。ティーパーティーだもん。亨(とおる)さんは紺のスーツよ。替えズボン付き2万3千円」






 今回話したいのは映画の本筋ではなく、この「ズボン」という言葉についてである。
 いつの頃からか、洋服を売る店で「ズボン」と言うと、店員さんがやんわりと「パンツですね?」と答えるようになった。アメリカ英語でも「Pants」には、男性用下着とズボンの両方の意味がある。しかしイギリス英語では前者は「Pants」、後者は「Trousers」と単語が使い分けられている。日本の服飾業界は用語をアメリカ式に統一したのだろう。その是非はさておき、理解できなくはない。しかし、店員さんの言葉をよく聞くと、下着を言うときのアクセント、というか高く強めに発音するのは「パ」である。一方のズボンを言うときのそれは、「ツ」がやや強調されている。アメリカ英語の「Pants」はもちろん一種類であり、「パ」というか、正確にはPの次の「a」にアクセントが置かれている。つまり日本語ではアメリカ式に統一したにも関わらず、意識の底では男性用下着とズボンを使い分けたいのである。だったらイギリス式に従来通りの「ズボン」を使い続ければよいのではないかと私は考える。
 これを服飾業界に提案したいのであるが、もし受理されるとしても長い時間がかかるだろうし、お店で私が頑固に「ズボン」と言い続け、女性の店員さんに「今どきズボンなどと言うのは何処の田舎者だっぺ」と思われるのもあまりおもしろくない。かといって上記の理由を店員さんに説明するのは面倒だし、第一迷惑である。そこで次善の策として、店員さんが「このパンツですか?」と言ったら、「いいえ、その隣の紺のスラックスです」と言うように決めた。この「スラックス」という言葉も悪くないが、「ズボン」という音の温もりにはかなわない。この温かい感覚が野暮ったさと解釈されて、より子音がはっきりと強調される都会的な「パンツ」が採用されるようになったと想像するが、「ズボン」だって負けてはいないのである。ズボンの語源はフランス語の「Jupon」なのだ(『広辞苑第六版』)。

 と、ここまで書いてきて映画に戻るが、山田監督の映画のセリフは観客の誰が聞いても誤解が生じないように、また、言葉の隅々にまで心を配って書かれており、それを通して画面のなかに生きているのが役者なのだ。











吟子: 「わたし明日はスーツでいいでし

小春: 「もちろ。ティーパーティーだも。亨さのスーツ。替えズボ付き23千
















































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