おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

ファジと沖田神社

2024年12月19日 22時06分41秒 | 日記

今年、来年と地区の氏子総代なんてことになっていまして、今日は沖田神社に集金分を収めに参りました。年末年始は何かと忙しいことも多くなりますね。

風が強く寒いことは寒かったのですが、お天気に恵まれました。

沖田神社は、備前国藩主池田綱政の時代に、新しく開拓された沖新田の産土神として建立されました。

沖新田は岡山藩の家老、津田永忠が綱政の命を受けて元禄5(1692)年1月11日に着工されました。その工事は当時としては恐るべき急ピッチで進められ、信じられない短期間で潮留の築堤、疎水、検地を終え、約2000町歩の広大な新田が開かれました。

元禄7(1694)年4月、沖新田全体の産土神として社を建立するため、京都の吉田殿(当時の神祇官)に見垣近江の守を派遣し神の来臨を請願、同年5月23日に沖田神社の神宣が下されました。当初は御野郡(現在の岡山市南区福島)の住吉宮に鎮座されましたが、元禄7年9月3日に、旧沖田神社(岡山市中区沖元宮地在の古宮様)へ遷宮しました。しかし境内の土地が低いため大風、高潮、洪水の被害を受け、拝殿まで水が入り込む事があった為、宝永6(1709)年に現在の場所に移転しました。

明治の廃藩置県後には郷社となり、大正12年5月25日に県社に昇格しています。

引用と出典:http://www.okita-shine.com/index2.html

 

この地域に育った我々にとっては、その存在が非常に大きい氏神様です。そして、ファジアーノ岡山の本社所在地と隣接する練習拠点の政田サッカー場が位置する岡山市東区升田も沖新田にあり、ファジアーノ岡山の氏神様もこの沖田神社になります。

ファジの幟がはためいているのもそういう理由がありまして、毎年新年の必勝祈願が行われており、その様子を当ブログで紹介したこともありましたね。しかし、今年はファジアーノ岡山が悲願のJ1昇格を果たしたこともあって、様子がいつもの年末と若干異なっています。

J1昇格を果たしたことで社にも喜びが溢れていました。来年の絵馬には「J1昇格」に代わるどのような祈願の言葉が書かれるのかにも興味深いことですよね。

サポーターの皆さん、お立ち寄りの機会がありましたら「祝J1昇格」の巨大絵馬にお参りして、幾ばくかの募金もしていただけると幸いに存じます。

私は神社やクラブの回し者ではありませんが、チームの更なる飛躍を祈願できればこれ以上の喜びはありませんね。

よろしくお願い申し上げます。


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