まさに「青天の霹靂」だった。日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告の国外脱出に日本はおろか、世界中が驚いた。
その“高跳び”に、同じく“冷や飯”を食わされていたヤクザたちが一縷の望みを見出していた……。
8日深夜(日本時間)に逃亡先のレバノンで会見を開いたゴーン被告。日本メディアの参加は3社に限られた
最も日本の刑事司法と密接に関わるヤクザがゴーン逃亡に“熱視線”
昨年大晦日の昼すぎ、年越しに向かって世間がのんびりと弛緩していた日本に、寝耳に水の一報が入ってきた。金融商品取引法違反などの容疑で逮捕・起訴され、昨年4月に保釈されてシャバに出ていたカルロス・ゴーン日産自動車元会長が、「私はいまレバノンにいる」との声明を発表したのだ。これで事実上、日本の司法が彼を裁くことはできなくなった――。 海外渡航禁止を条件としてゴーン被告に保釈許可を出した東京地裁をはじめ、日本の司法関係者をあざ笑うかのような、無断出国による電撃逃亡、そして高らかな勝利宣言だった。今年4月に予定されていた初公判に向けて準備を進めていた東京地検特捜部や彼の弁護団にとって、年末年始の休暇を吹き飛ばす悪夢だったろう。
レバノンでの会見後、妻キャロル容疑者との撮影に応じるゴーン被告
ゴーンと髙山若頭、保釈金「15億円」の一致
この逃亡劇と日本の司法制度は分けて考えるべきだが、別の視点でこの騒動を眺める集団がいる。日本の刑事司法と最も密接な存在と言えるヤクザたちである。 「ゴーン被告は昨年3月に保釈された際、保釈金として10億円を納付しています。その後別容疑で再逮捕され、4月に5億円の保釈金を追加納付していました。 この合計15億円という数字は、六代目山口組のナンバー2である髙山清司若頭の保釈金と同額です。2人はいずれも捜査段階から一貫して容疑を否認している点も共通しており、ヤクザ業界では2人の立ち回りを比較する見方が出ています」(実話系週刊誌記者)
髙山若頭は、京都市の建設業者から計4000万円を脅し取ったとして、’10年11月に恐喝容疑で逮捕・起訴され、’12年6月に15億円を納付して保釈の身となった。 「ゴーン被告の保釈を報じるニュースを聞いて、まず思ったのが、『世界を股にかける経営者は髙山若頭と一緒か。さすがはカシラだな』って。しかもその後ゴーンが海外に飛んだことで、さらにカシラの男っぷりが際立った。カシラは一審と二審で懲役6年の実刑判決を受けていたが、組織運営の停滞を招かないよう、’14年5月に自ら上告を取り下げて刑務所に入っている。あれだけの資金力とネットワークがあれば、海外逃亡しようと思えばできたはずなのにな」(関西で活動する六代目山口組系組織の元幹部)
トルコ警察が日本から逃亡の際に使用された黒い箱の実物を公開した
また、ゴーン被告は、昨年末の逃亡声明や今月8日の記者会見などでも「私の裁判は有罪が前提」 「日本の裁判の有罪率は99.4%に達する。外国人はさらに高い」などと主張。日本の司法制度への不満を表明しているが、これに共感する“業界人”は多い。 「ヤクザの裁判も完全に有罪ありき。髙山若頭の判決の決め手になったのは、被害者との宴席で放った『よろしく頼む』という言葉だが、こんな社交辞令をもとに懲役6年の判決が出るなんてムチャクチャだろう」(北関東で活動する神戸山口組系組織の元組長) しかも重点ターゲットにしている対象への検察官と裁判官の情熱は凄まじく、たとえ被告に有利な証拠が出てきても、厳罰の結論は変わらないという。
「例えば、六代目山口組直参の小西一家総長の殺人罪などに問われた裁判は本当にデタラメだった。一審判決の根拠になった元組員の供述が、実は検察官に誘導されたでっちあげだったことが控訴審で明かされたのに、判決は変わらず無期懲役。そのまま最高裁で確定してしまった。裁判所がこんな調子では、ゴーン被告が逃げ出したくなる気持ちはよくわかるよ」(同)
ゴーン被告は、逃亡を決意した最大の理由として、長期の身柄拘束を挙げる。’18年11月の逮捕以来、東京拘置所の独房に130日間収容され、シャワーは週2回に制限される環境で、弁護士の同席なしで一日最長8時間もの尋問が行われていたと主張している。
ゴーン被告が130日間勾留されていたと言われる東京拘置所の独房。「人質司法」の象徴と海外メディアは批判する
「大抵のヤクザは、日本の警察や検察の捜査を裁判所がどうサポートしているかについては詳しいが、海外のことはほとんど知らない。だから、一度逮捕されると、再逮捕の嵐で拘束され続けながら取り調べを受けるのが当たり前だと思ってた。それが国際的な感覚だとおかしいってゴーン被告が言ってくれたおかげで、目が覚めた気がするな」(関西地方で活動する神戸山口組傘下組織の元組員)
こうした身柄拘束により被疑者を精神的・肉体的に追い込んで自白獲得を目指す捜査手法は、「人質司法」と呼ばれ、日本の弁護士会から長らく批判されてきた。ゴーン被告もまた、日本の裁判のシステムは基本的な人権が守られず、外国人への差別が蔓延した不公正なものだと主張し、逃亡の正当性を国際社会に向けて熱烈アピールしているのだ。
そんなゴーン被告の言葉が世界の共感を呼び、それが日本政府への圧力となって、被疑者の人権に配慮した司法改革が進むなら、ヤクザにとっても福音だろう。 「ヤクザはゴーン被告なんて目じゃないくらい、差別的な人権侵害状況に置かれていますよ。暴力団排除条例により、銀行口座もクレジットカードもつくれないし、ローンも組めない。携帯電話の契約もできない。ゴルフ場でプレーするのもホテルに泊まるのもダメだし、アパートやマンションを借りることすらできません。
もし身分を偽ってでこうした契約をすると、詐欺罪で逮捕されるんです」(ヤクザ事情に詳しい週刊誌記者) もっとも、ゴーン逃亡に刺激された世論は、保釈条件の厳格化など、被疑者への当たりが強い。今後の司法の風読みに要注目だ。
検察・裁判所は刑事司法制度に問題意識を持っていない
今月8日、ゴーン被告が逃亡先のレバノンで開いた記者会見は、世界中のメディアに対して日本の司法制度の後進性が宣伝される場になってしまった。 彼の言動を盗っ人猛々しいと感じる日本人は多かろう。だが、弁護士の井垣孝之氏によれば、そうした考えは改める必要がありそうだ。公正で適正な手続きで被疑者が裁かれることこそが、裁判で最も大切なことだからだ。
「適正な手続きに基づいて捜査と公判が行われるのであれば、有罪でも無罪でも構いません。しかし、現行刑事訴訟法のルールと運用が本当に適正なのかは、疑問があります。ゴーン氏の件では、裁判所が130日間も家族との面会も禁止したままの身柄拘束を認め、検察が弁護人の立ち会いなしで約280時間も取り調べし、身柄を引き換えに自白を迫るという、いわゆる人質司法が、大きな問題として世に知られることとなりました」 一方、ゴーン会見を受け、森雅子法務大臣は「我が国の刑事司法制度は、個人の人権を保障しつつ、事案の真相を明らかにするために適正な手続きを定めて適正に運用されている」と真っ向から嚙みついた。人質司法に、トップがかくも無自覚なのはなぜなのか。
ゴーン会見を受け、9日の未明に臨時の記者会見を開いた森雅子法相
「裁判所や検察庁、そして司法制度を所管する法務省は、『今ある刑事司法制度は正しい』という前提に立つので、日本の刑事司法に問題があるとは絶対に認めません。しかし、人質司法や、証拠が一部しか開示されず、被告人に有利な証拠が握りつぶされる証拠開示の問題が多くの冤罪を生んできた現実がある以上、彼らの言い分が説得力を持つことはありません」
井垣孝之弁護士
ゴーン被告に大恥をかかされっぱなしの日本の司法。彼を裁いて権威を取り戻すには、彼が主張する司法の不公正さを取り除く以外にないジレンマに陥っている……。
【井垣孝之弁護士】 京都大学法学部卒業。ロー・リンクス法律事務所代表弁護士。ゴーン被告の逃走劇についての詳しい論考が評判に