首相官邸に入る岸田文雄首相=東京都千代田区で2023年6月27日、竹内幹撮影
マイナンバーカードを巡るゴタゴタはまだまだ収まりそうにない。
とりわけ、今の健康保険証を来秋に廃止してその機能をマイナカードに組み込む「マイナ保険証」は、今後もさまざまなトラブルの火種となることが見えている。政府は拙速に進めたことを反省し、健康保険証の廃止方針を無期限に延期すべきだ。
【写真】マイナンバー 郵送された通知カード ◇焦りが生んだ拙速 成長戦略の一環としてデジタル化の推進を掲げる岸田文雄政権は、発足当初からマイナカードの普及に目を付けた。そして昨年6月にはカードの取得や公金受取口座の申請などで最大2万円分のポイントを付与する「マイナポイント事業」を始めた。
ただ、カードの普及は国の思惑通りに進まなかった。そこで河野太郎デジタル相が主導したのが、健康保険証を2024年秋に廃止(25年秋まで1年間猶予)し、「マイナ保険証」に一本化する方針だった。
これだとマイナカードがないと保険診療を受けられなくなる。任意のはずのマイナカード取得は事実上義務化された。またその前段として、マイナ保険証で医療機関にかかると、健康保険証を使うより医療費の窓口負担が軽くなる誘導策も設けた。これらアメとムチの使い分けにより、マイナカードの交付率は8割近くに達した。
コロナ禍では患者情報の共有はファクス頼みという局面も目立ち、日本が医療DX(デジタルトランスフォーメーション)で世界に後れを取っていることがあからさまとなった。
ところが焦りが生んだ拙速なマイナカードの普及策は、カードを使ってオンラインで行政手続きができるサイト「マイナポータル」絡みのトラブルを招いた。
公金受取口座や診療情報が他人のものにひも付けられたり、資格の確認ができず窓口で医療費全額を請求されたり、といったものだ。
◇目に余る強引さ
「今思えば性急過ぎた」(厚生労働省幹部)と悔やんでも後の祭り。政府は「マイナンバー情報総点検本部」を設置し、秋までに年金、医療、生活保護など29分野あるマイナポータルのデータの点検を余儀なくされることになった。
マイナ保険証の普及を目指すこと自体に異論はない。利用者は自らの診療・健診結果、医療費の情報などをマイナポータルで確認できる。患者の同意があれば医療機関もこうした情報を閲覧でき、薬の二重投与などを避けることができる。
国はカルテや介護認定などの情報も含めて医療機関などが共有できるシステムをつくることにしている。匿名情報をビッグデータ化し、経済成長に生かす意向だ。
それでも、この間の強引な普及策は目に余る。河野氏は続出するトラブルにも「マイナンバーの仕組み自体に起因するものは一つもない」と述べ、自治体やシステム会社職員らの人為ミスだと言ってはばからない。
とはいえ、他人の口座を公金受取口座として登録できるようにしたのは国ではないか。普及を急ぐあまり、当初散発したトラブルを軽視して傷口を広げ、自治体や健康保険組合を総点検に巻き込む事態を招いたのは一体誰なのか。
マイナカードは16年1月に交付が始まり、17年11月にはマイナポータルの本格運用がスタートした。歴史は浅い。欧州などのデジタル先進国は番号制度の開始から数十年かけて準備をし、マイナポータルに相当するサービスを始めている。焦って追いつこうとすれば必ず墓穴を掘る。
◇まれに見る愚策
遅れを取り戻そうとした政策の中でも、
「健康保険証の1年での廃止」はまれに見る愚策だ。
マイナカードの申請時には、マイナポータルにログインするための4桁の暗証番号を設定する必要がある。だが、高齢者施設などでは入居者から健康保険証を預かり一括管理するところも多い。
そうした施設からは「マイナ保険証に切り替わったら、認知症の人たちの暗証番号の管理はできない」といった批判が出ていた。
これに対し、政府が7月4日に出した答えは「暗証番号なしのマイナカード」というまたも泥縄式の対策だった。11月にも交付を開始したいというが、当然マイナポータルの利用はできず実質、「顔写真付き保険証」としての機能しかない。
東京都内の高齢者施設の責任者は「代理交付の手続きはただでさえ忙しい介護職の仕事になる。今とほぼ変わらない機能のためになぜ多大な労力をかけねばならないのか」と不満を口にする。
情報漏えいなどへの不信から、マイナカードの返納も起きている。政府はカードを作ろうとしない人には、保険証代わりに「資格確認書」を発行するという。当初は申請した人に渡す方針だったが、「無保険者が続出する」との批判を浴び、職権で交付して送りつけることも検討している。
資格確認書は最長でも1年で更新するといい、交付のコストは膨大になる。そんな無駄をせずとも現行の健康保険証をマイナ保険証と併用できるようにすればいいだけではないか。
与党や自治体首長からさえ保険証の廃止時期の見直しを求める声が飛び出し、厚労省内では「資格確認書だと本人確認が難しい場合が出てくるだろう」との懸念がささやかれている。
岸田首相は健康保険証の全面廃止について「国民の不安払拭(ふっしょく)のための措置が完了することが大前提だ」と逃げを打っている。
が、総点検で致命的なミスが発覚して方針転換に追い込まれるよりは、今いったん廃止を見送り十分時間をかけて結論を出す方がいいではないか。
その方が政権への打撃も小さいはず。なのに短期間での廃止に固執する理由がどうにも分からない。【吉田啓志】