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新語?>風呂、外出、ご飯...なぜ「○○キャンセル界隈」が流行るのか

2025年02月05日 19時03分21秒 | 社会のことなど


風呂、外出、ご飯...なぜ「○○キャンセル界隈」が流行るのか カジュアルに「リセット」、改善促せなくなるリスクも
1/26(日) 16:30配信




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J-CASTニュース
SNSを中心に流行する「○○キャンセル界隈」。特に広く知られる「風呂キャンセル界隈」はXでもトレンド入りするなど注目を集めた(写真はイメージ)


 2025年1月中旬、「外出キャンセル界隈」というワードがSNSで話題になった。積極的に外出を控える人々や文化を指す言葉として広がっているのだが、「外出」をキャンセルする界隈以外でも「○○キャンセル界隈」が注目を集めている。


 中でも、特に広く知られるのが「風呂キャンセル界隈」だ。心身の疲労や面倒くささから意図的に入浴を控える人々や文化を指すもので、共感を示す声も多い。こうした外出や風呂、ご飯などの行為をキャンセルする「○○キャンセル界隈」が流行するのは何故なのか。人間関係論に詳しい早稲田大学・石田光規教授(社会学)に聞いた。


■「キャンセル」という言葉に表れる時代背景


 「風呂キャンセル界隈」が話題になったのは、24年4月下旬ごろだ。Googleトレンドで調べてみると、同年4月28日からの1週間で検索するユーザーが急増。この週にXでもトレンドに入るなど、入浴を避ける人々のあいだで盛り上がった一方、不潔ではないかと不快感を示す声も上がった。


 入浴を控える行為以外でも、「○○キャンセル界隈」が使われている。先述した「外出キャンセル界隈」や「ご飯キャンセル界隈」、「睡眠キャンセル界隈」などと、さまざまな言葉がSNSで注目されている。


 このワードに含まれている「界隈」も、24年「ユーキャン新語・流行語大賞」トップ10に選出された。公式サイトでは、「同じものが好きな人同士でつながって楽しむような意味合い」で使われ始めたと説明している。


 では、「○○キャンセル界隈」が流行するのは何故なのか。また、その言葉を使うメリットとデメリットはあるのか。


 石田教授は25年1月23日の取材で、「キャンセル」という言葉に時代背景を感じる、と話す。今までの人間関係を衝動的に断ち切ってしまう行為とされる「人間関係リセット症候群」の「リセット」と同様に、色々な選択肢がある中で主体的に選択しないという心持ちが出ていると指摘した。


「若者を中心とする世代はサブスクリプション(定額課金制)に慣れていて、さまざまな選択肢の中から、自分にとって合理的なものを選ぶ感覚がある。これが『キャンセル』という言葉に表れています」


 「界隈」という言葉にも特徴がある。外出や入浴などを控える行為は、従来なら「変わっている」「だらしがない」などのラベルを貼られかねない。だが、「界隈」という形でゆるやかに結びつくことで、一定の層がいるという安心感を得られたり、1つの生き方として捉えたりすることができるという。

「界隈」として閉じてしまうと社会自体が分断していく懸念もある
 健康的とされる行為をキャンセルし、同じような人々と繋がることで肯定的に捉えることができる「○○キャンセル界隈」だが、「界隈」という形で閉じることで、外側から介入できなくなる場合もあると、石田氏は話す。


「どのような生き方も多様性の原理として受け入れる風潮が強い中で、1つの正しさを主張することが難しくなっています。『界隈』として閉じてしまうと、その中にいる本人にとって結果的にマイナスになる場合でも、改善せずに進んでしまうことになる」


 「○○キャンセル界隈」について、何らかの行為ができない背景としてメンタルヘルスの問題があると指摘する声もある。医学的な対処が必要な場合もあると述べる石田氏は、このワードがカジュアル化しているのは、「キャンセルすらもライフスタイルの1つだという感覚が出ている」と説明。


 冗談として使う分には問題ないとしつつも、「SNSなどを使えば、キャンセル界隈の人同士で繋がることは容易ですが、外側から干渉することは難しくなる。深刻な状況になれば、社会自体は分断していき、相互の会話はなくなってしまう」との懸念も示した。



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六代目山口組《司忍 組長83歳の誕生日会》灰色の袴姿で宴会に参加 電撃昇格した有名幹部の胸元に光る「山口組のチェーン付き“プラチナ”」

2025年02月03日 23時03分32秒 | 社会のことなど






《司忍組長83歳の誕生日会に密着》灰色の袴姿で宴会に参加 電撃昇格した有名幹部の胸元に光る「山口組のチェーン付き“プラチナ”」
1/31(金) 7:13配信



NEWSポストセブン
1月25日で83歳を迎えた司忍組長(撮影:浅沼敦)


 1月25日、六代目山口組の司忍組長が83歳の誕生日を迎えた。愛知県の傘下組織事務所にて行なわれた誕生日会にNEWSポストセブンは密着した──。【前後編の前編】


【独占写真】顔を赤くして上機嫌の司組長83歳 高山若頭も笑顔を見せる 執行部だけがつけられる「チェーン付きの山口組代紋」


「もともと神戸市にある総本部で行なっていたのですが、六代目山口組が『特定抗争指定暴力団』の指定を受けたことにより事務所への立ち入りが制限されました。2023年から警戒区域外にある傘下組織事務所を使うようになりました。


 以前は司組長の誕生日会と同時に新年会も開催していて、友好・親戚団体も招いていたが、コロナ禍や『特定抗争指定』などの影響もあり、数年前から誕生日会だけを行なっている。ただ、全国から直参組長が駆けつけるので、警察やマスコミが高い関心を寄せていることには変わりはありません」(実話誌記者)


 13時30分過ぎ、取材班が会場前に到着すると、すでに愛知県警の組織犯罪対策課の警官が目を光らせていた。14時ごろに若頭補佐の極粋会・山下昇会長を乗せたと見られる車両が到着すると下ろされていた会場のシャッターが上がる。敷地内にナンバー2である高山清司若頭の乗用車が確認できたので、執行部(一般的に若頭、舎弟頭、本部長、若頭補佐らを指す)は顔を揃えていたと推測される。


「ヤクザは時間厳守が基本ですが、なかでも司組長の誕生日会に遅刻するのは絶対厳禁だと言われています。そのため前日入りする遠方の組長もいる」(同前)


 その後、直参組長を乗せたと見られる高級車が何台か到着したが、警察対策か、ガレージを下げ、乗員が外から見えないようにしていた。


 14時50分になると、大量の花束が搬入される。司組長、高山若頭の出身母体である弘道会の野内正博若頭がせわしなく動いている様子が確認され、昨年12月末の餅つき同様現場指揮を担っていたと見受けられる。


 その後、到着した4台の車両の車両窓には内側に黒幕が張られていて中を確認することはできなかった。


「警察対策だと思われます。分裂抗争も今夏で丸10年に突入し、長期化しているが、今年1月19日には神戸山口組の井上邦雄組長宅に、六代目山口組系元組員が火炎瓶を投げ込む事件が発生するなど、予断を許さない状況です。


 警察としても幹部陣から情報を得るために事情聴取、逮捕などの口実を探っている。2022年末の餅つきではプロパンガスの運搬方法をめぐって事務局長の篠原重則・若林組組長ら5人を逮捕しています。こうした背景もあり、山口組側も警戒しているのでしょう」

83歳を迎えた司組長が会場入り
 16時30分頃、「あと10分で到着です」の声が響くと現場に緊張が走る。シャッターが上がると高山若頭をはじめとしたスーツ姿の最高幹部、直参組長がズラリと姿を現す。ここで注目を集めていたのが山健組の中田浩司組長だった。中田組長は2019年に起きた銃撃事件で殺人未遂などの罪に問われていたが、昨年10月に神戸地裁が無罪判決を下したことで話題を呼んだ人物でもある。


「誕生日会の前日24日に、組織内で人事が行なわれ、中田組長が若頭補佐に昇格したという情報が流れた。直参組長は“プラチナ”と言われる山口組の代紋バッジをつけているが、執行部入りすると代紋バッジにチェーンがつく。実際、中田組長の胸元にはチェーンつきの代紋バッジが確認されたので、執行部入りしたと見ていいだろう」(警察関係者)


 16時39分頃、 司組長を乗せた高級セダンが到着。その前後には前後に護衛の車を従えていた。若頭補佐の竹内照明・弘道会会長がドアを開けると、直参組長らは一斉に「お疲れ様です」の声を出して司組長を出迎えた。この日の司組長の服装は灰色の袴姿で、警察、メディアが一斉にシャッターを切る。


 白い足袋に下駄を履いた司組長は意にも介さない様子で、軽い足取りで会場入りしたのだった。


(後編に続く)

司忍 - Wikipedia 

司 忍(つかさ しのぶ[1])こと篠田 建市[2](しのだ けんいち[3]、1942年〈昭和17年〉1月25日[4] - )は、日本のヤクザ。特定抗争指定暴力団・六代目山口組組長。


渡世名「司忍」の由来は「耐え忍んで司る」から[5](※諸説有り)。


来歴
生い立ち
1942年(昭和17年)、大分県大分市生まれ。大分県立水産高等学校(現・大分県立海洋科学高等学校)を卒業後、地元の大手水産会社に就職。その後、大阪を経て名古屋に出て、1962年(昭和37年)に三代目山口組系鈴木組内弘田組に入った。中京地区の抗争では武闘派として活動し、弘田組最高幹部を務めた。後に自らの組織として司興業を旗揚げしている。


弘田組時代
昭和40年代頃には、愛知県下に山口組系以外にも多くの暴力団組織があり、弘田組は三代目山口組の直参組織ではあったが一地方組織にすぎず、他組織と衝突を繰り返しながら地盤を築いていった。弘田組内で副組長や若頭を歴任し抗争でも陣頭指揮を執っていたのが司であった。


1981年(昭和56年)7月23日、三代目山口組組長・田岡一雄が死去する。弘田組組長・弘田武志は、田岡の後継者とされる山本健一と関係が近く、山本が四代目を継承すれば山口組に参加するはずだったが、山本も1982年(昭和57年)2月4日に病死。1984年(昭和59年)に四代目組長の座を巡り竹中正久と山本広が対立し、弘田は山本広支持を表明したものの、司は「山口組に尽くすべき」と弘田を懸命に説得し、ついに弘田は一和会にも四代目山口組にも加わらず引退を決意した。後日、自身の引退報告と、司に杯を下ろすよう竹中四代目に申し出、竹中はそれを了承した。


弘道会時代
竹中正久を首領に据える四代目山口組が発足した1984年(昭和59年)6月、弘田の引退に際し弘田組の構成員らを伴い弘道会を結成、山口組直参に昇格した。元親分の弘田の一字と、その道を行く「道」の字から「弘道会」と命名したとされる。1989年(平成元年)5月、渡辺五代目体制の発足に伴い若頭補佐に就任し、ブロック制が導入されてからは中部ブロック長を兼任した。


1997年(平成9年)8月28日の宅見若頭射殺事件を受け、警察では「新頂上作戦」を開始し、同年11月に司を護衛の配下組員に拳銃を持たせていたとする銃刀法違反容疑で指名手配した。翌年6月に司は逮捕・起訴され、1999年(平成11年)7月、10億円の保釈金で保釈された。


2001年(平成13年)3月に大阪地方裁判所で無罪判決を受けたものの、2004年(平成16年)2月24日、大阪高等裁判所で懲役6年の逆転有罪判決を受け、上告。高裁判決後、再度、収監されたが、10億円の保釈金で即日保釈された。


山口組組長就任
2005年(平成17年)3月、弘道会の跡目を同会若頭・髙山清司に譲って二代目弘道会総裁に就任し、同時に弘田組組長をも名乗る。同年5月、五代目山口組若頭に就任し、7月に六代目山口組組長に就任した。


山口組六代目を継承すると、確実視された銃刀法違反裁判における実刑判決を念頭に、最高幹部人事にあたる「幹部」職創設、倉本組と小西一家の名跡復活から、國粹会を傘下に収める形での東京進出、五代目会津小鉄会会長との舎弟盃に代表される親戚団体との関係強化を数か月のうちに行った。


そして11月29日付けで上告が棄却され、懲役6年の実刑判決が確定。2005年12月5日に出頭し大阪拘置所に収監され、2006年2月に府中刑務所に移監された。


府中刑務所への収監
司の呼称番号は「5100」であったため、「後藤組みたいだな」などと言われた。府中刑務所の受刑者数は増加の一途で、定員3200人のところ、入りきらないため独居房を2人で使っていたが、司の独居房は舎房2階一番奥にあり特別扱いを受けていた。面会の時も担当の刑務官の他に、部長クラスの幹部が必ず付き添い、廊下で他の懲役囚とすれ違う際には、相手に右を向かせ停止させ、目を合わせることすら禁止されていた。


なお、配属先は暴力団員だけが配属される工場である「侍工場」ではなく、要養護の高齢者が働く軽作業の現場であった。他の受刑者には司の顔を知らない者も多くいたため、そうとは知らずに「あんた、どっから来たの?」などと普通に話しかける者もいた。運動時間には30分間走るのを日課としていた。また、司は囲碁が好きで、刑務所でもよく受刑者と碁を打っていた。刑務所では模範囚である一級(当時は累進処遇制度により受刑者を級分けし、累が上がるほど仮釈放を受けやすくなった)になり、仮釈放になる仮面接にかかったが一年近くもらえる仮釈放を断って満期で出所している[6]。


2009年11月、かつての親分だった弘田武志が死去。獄中の司に代わって髙山が名古屋での葬儀を取り仕切り、山口組の全直参及び友好関係にある全国の有力組織の最高幹部が参列するなど、組葬に準ずる扱いであった[7]。


出所後
2011年(平成23年)4月9日、未決勾留8か月・服役期間5年4か月で刑期満了となり府中刑務所を出所した[8][9][10]。同年9月に新聞社のインタビューに応え、暴力団排除条例について「異様な時代がきた」とするとともに警察当局を批判している[11]。


2012年(平成24年)の元旦未明、山口組総本部近くの兵庫縣神戸護國神社に、幹部組員らと共に参拝したことが報じられた[12]。また、2016年(平成28年)の元旦にも初詣で神戸護国神社を参拝した[13]。
















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防弾チョッキ・拳銃に手錠… 海上自衛隊の「警察」、立入検査隊とは

2025年02月02日 13時03分00秒 | 社会のことなど
防弾チョッキ・拳銃に手錠… 海上自衛隊の「警察」、立入検査隊とは

海上自衛隊の「立入検査隊」をご存じでしょうか。積み荷が疑わしい船に乗り込んで捜索する専門の部隊で、7月末で49隻態勢になる護衛艦ごとに、その乗員たちで編成されます。「海の警察」の海上保安庁より緊迫する局面での活動もありえるほどで、レアな現場を訓練の取材で見ることができました。(朝日新聞政治部専門記者・藤田直央)


海自護衛艦「むらさめ」のVBI(立入検査隊)、ボートに乗って不審船の貨物検査へ。核兵器などの密輸を防ぐ米韓などとの多国間訓練がきょう房総沖であり、取材してきました。記事は追って。#自衛隊 pic.twitter.com/D0i6vLZw2b
— 藤田直央 (@naotakafujita) July 25, 2018





防弾チョッキに拳銃
         
 「脱落防止は確実に」。護衛艦「むらさめ」艦内で訓練に備える立入検査隊の10人の隊員に、上官が指示を刻みます。ヘルメットに5~6キロの防弾チョッキを着けた20~30代の隊員らは、懐中電灯や携帯無線、手錠、訓練用の模擬銃を手渡し合いながら次々と身につけていきます。


7月25日、房総半島沖で海上自衛隊が行う船舶検査訓練が報道陣に公開されました。核・生物・化学などの大量破壊兵器や関連物資の密輸を防ぐPSIという国際的な取り組みの一環で、米国や韓国からも参加。「むらさめ」は米国、中国、ドイツ、トルコのメディアも乗せ、朝の横須賀港から訓練海域へ向かいました。

むらさめ」が晴天の浦賀水道を抜けた午前9時ごろ、訓練は艦内で開始。立入検査隊が整列した室内に放送が響きます。




立入検査隊、用意!」         
 「本艦は日本近海において、大量破壊兵器関連の物資を積載している嫌疑のある国籍不明船舶に対する情報を得た。これに対する船舶検査活動を実施することを上級司令部から令された」

 「立入検査隊、用意!」

 放送が終わると、隊長の指示に隊員らが聞き入ります。

国際VHF(無線)にて停船要請を実施。対象船舶は停船し、これより船舶検査を実施する。船籍はアルファ国。船長、航海士、機関長の3名乗船。使用言語は英語。乗員は作業用ナイフを数本所持しており、船橋(船の指揮所)へ集積せよとの指示に従っている」

 そして「各班の任務」を説明。容疑船に乗り込んだ後で乗員を見張る役、船長とやり取りする役、貨物を調べる役に分かれ、母艦の「むらさめ」とも連絡を取り合って検査を進めます。「特別機動船(移動に使うボート)は対象船舶付近で待機し、不測事態に備える」


ボートで容疑船へ急接近

むらさめ」は午前10時ごろに房総半島沖で停船。海面へボートが降ろされます。甲板から縄ばしごで乗った隊員らはすし詰めになり、波を立てて約4百メートル先にある容疑船役の貨物船へ。メディアはついて行けないので甲板から眺めますが、カメラの望遠レンズ越しに緊張が伝わってきました。

 相手は無線でのやり取りで「指示に従っている」とはいえ、容疑をかけた船に通告した上で乗り込むわけですから。

ボートが容疑船に接すると、隊員らは揺れる縄ばしごをつかんで腕力に任せて登り、甲板に上がると銃を構えて警戒。船員の所持品検査で「船橋へ集積せよ」と指示していた作業用ナイフを機関長がまだ持っていることがわかり、出させるという展開もありました。


以下はリンクで



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外資の金山開発に揺れる地元>

2025年02月02日 08時03分17秒 | 社会のことなど


「川に鉱毒が…」「ロマンだよ」 外資の金山開発に揺れる地元(毎日新聞) - Yahoo!ニュース 



「川に鉱毒が…」「ロマンだよ」 外資の金山開発に揺れる地元
11/16(土) 6:00配信




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毎日新聞
キンギン・エクスプロレーション社日本法人が試掘権を取得した区域を指さす森塚千絵さん。森塚さんの牧場敷地も含まれている=北海道黒松内町で2024年8月1日午後5時2分、片野裕之撮影


 かつて金採掘でにぎわった北海道のある地域で、外国資本の企業による金山の再開発計画が浮上している。採掘により有害物質が流出する鉱毒被害を懸念する一部の住民は事業中止を求める一方、新鉱脈の発見による地域の活性化を期待する声もある。果たして金山開発は環境汚染の要因か、それともロマンか――。地元は大きく揺れている。


【写真】石川県で掘削を進める外資企業の関係者


 「金採掘は町や地球環境には全く採算が合わない事業だ」「子どもたちが遊ぶ川に鉱毒が1%でも流れたらどうするのか」


 7月19日、北海道黒松内町。オーストラリアの探鉱企業、キンギン・エクスプロレーション社が開いた住民説明会では事業に反対する声が相次いだ。


 同社の日本法人は黒松内町と長万部町にまたがる静狩金山跡で金の状態を確認する作業を行うため、地権者以外でも申請できる試掘権を2月に経済産業省から取得。ボーリング調査の開始前、鉱区内の地権者から説明を求められていた。


 この日の説明会では、環境影響を不安視する黒松内町民から厳しい指摘と質問を受けたが、「次回、答えられるよう準備する」といった回答が目立ち、議論は深まらないまま、約2時間で説明会を打ち切った。


 静狩金山は1890年に発見され、道内有数の金鉱山として発展。戦前の総産出量は全国9位の5089キロに上り、「金湧く静狩」と呼ばれた。


 だが1943年、戦時下で金より鉄や銅などの鉱業を重視した政府の方針により閉山。戦後、再開したが、採算性が見込めず再度閉山した。そこに目を付けたのがキンギン社だった。


 試掘権を取得した黒松内町内の鉱区は大部分を山林が占めるが、一部、肉用牛の牧場もある。この牧場は、自然の状態の湿地や山林で放牧する「環境再生型農業」を取り入れており、代表の森塚千絵さん(60)は「試掘で地下水脈が乱れたら、湿地が乾いてしまうのではないか」と懸念する。


 黒松内町には国の天然記念物に指定されている北限のブナ林があり、町は2012年に生物多様性地域戦略を策定するなど環境保全に力を入れている。森塚さんの牧場には貴重な生態系があるとして研究者も出入りする。


 町議会は8月、鉱山の専門家を招いて勉強会を開き、平日の夜間にもかかわらず約40人が集まった。


 町民有志は11月6日、開発を中止させるよう求める署名678筆を町議会議長に提出。岩沢史朗町議は「(有害物質を含む)坑廃水は土壌汚染の最大の要因で、鉱山からはそういうものが出てくる。きれいな水と空気を残していきたい」と力を込める。


 一方、隣接する長万部町では、少し様子が異なる。


 「世界経済を動かすだけの力を持つゴールドがこの町に眠っているなら、それはもう夢を見たくなる」


 そう語るのは木幡正志町長(76)だ。かつて金山が町に繁栄をもたらした歴史を振り返り、「また金が出てきたら一つのロマンだよな」と期待感を隠さない。


 その理由は、町の著しい過疎化にある。現在、町の人口は4748人(10月時点)。静狩金山跡がある静狩地区には364人が暮らしている。しかし、金山が稼働していた戦前は、同地区だけでも約7000人が住んでいたという。


 「本当に金山開発となれば、町がにぎやかになり、人が入り、雇用が増える。住民税、固定資産税、鉱産税が入ってくる。それが国益にも町益にもなる」。そんな将来像を描いている。


 町長は約2年前に「実は静狩金山は夢のある山なんだ」とキンギン社側から説明を受けた。同社は「生産量の10%まではいかないが、それくらいの恩恵は」と町への利益還元も示唆し、町長は、環境を汚染しない▽住民への説明は丁寧に行う――ことを求めたという。


 長万部町に住む元テレビ局ディレクターの山崎秀樹さん(60)は「町内にも反対する人はいるが、町長が肯定的な意見を表明しているので、声を上げづらいのではないか」とみる。


 静狩地区に住む男性(79)は「黒松内町の住民はかなり反発している。長万部町でも、賛否を巡って分断が生じるのではないかと不安だ。自分は判断できるほどの情報を正直持ち合わせていない」と吐露した。


 当初25年4~11月の試掘を計画していたキンギン社は、7月の住民説明会で「皆さんの意見を聞き、一つ一つに答えていきたい」と強調したが、11月現在、黒松内町での2回目の説明会は未定で、長万部町では一度も開催されていない。


 国内で金山開発を進める他の外資4社は、住民説明会には積極的でない。


 ある企業の幹部は「地元のサポートなくして事業は進まない」と前置きしつつ、住民の反対を念頭に「試掘段階では地域への影響が少ないため、住民説明会はしない」とも。自治体や試掘現場周辺の住民には個別に伝えており、採掘に進む場合は説明会を開く考えだというが、開発に向けた事業者、住民、自治体の合意形成への道は見えていない。【伊藤遥、片野裕之】









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【速報】小中高生の自殺者数が去年527人で過去最多 全国の自殺者数は2万268人で過去2番目の少なさに

2025年01月30日 10時03分46秒 | 社会のことなど



【速報】小中高生の自殺者数が去年527人で過去最多 全国の自殺者数は2万268人で過去2番目の少なさに 厚生労働省



1/29(水) 10:00配信




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FNNプライムオンライン(フジテレビ系)
去年1年間の小中高生の自殺者数が527人で過去最多に上った


去年1年間に全国で自殺した人は、2万余りで過去2番目に少なくなりました。一方で、小中高生の自殺は527人で、過去最多となっています。


「死にたい」と言う人に「死なないで」とは絶対に言わないで…子供たちからのSOSの“最前線”


厚生労働省によりますと、全国で去年自殺した人の暫定値は2万268人で、前の年より1569人減り、1978年の統計開始以降2番目に少なくなりました。男女別では男性は1万3763人、女性は6505人となっています。動機としては、健康問題がもっとも多く、次いで経済・生活問題となっていて、SNS・ネット上のトラブルも確認されています。


また、小中高生の自殺者数は527人で、前の年から14人増え、1980年以降で最多となりました。内訳は、小学生が15人、中学生が163人、高校生が349人となっています。


厚労省の担当者はこどもの自殺対策について、「SNSを活用した相談体制の拡充や、子どもが自殺未遂をおこした時、学校の先生などに助言を行う危機対応チームを設置する」など、対策強化したいとしています。


悩みや不安を抱えて困っているときには、電話やSNSで相談する方法があります。「こころの健康相談統一ダイヤル」など複数の窓口があり、厚生労働省のホームページにも案内があります。一人で抱え込まず相談してみてください。


「こころの健康相談統一ダイヤル」:0570ー064ー556







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