もう何もいいことはなさそうだ
新型コロナウイルスは、政権末期を迎えた首相の安倍晋三の「出口戦略」をも大きく狂わせた。今や安倍は、思い描いてきた退陣シナリオをどうすれば実現できるのか、答えを探しあぐねている。
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安倍の「退陣シナリオ」とは、どういう代物だったのか。
大前提は、意外かもしれないが、副総理の麻生太郎や元首相の森喜朗、それに首相補佐官兼秘書官の今井尚哉ら側近たちからどんなに続投を求められても、総裁4選を絶対に目指さないということだった。
「早く自由になって毎日ゴルフを楽しめるようになりたい」。安倍は昨年から、気心の知れた知人に繰り返し、そう漏らしてきた。それはまさに本心から出た言葉だった。このまま首相を続けても何もいいことはなさそうだ――という八方ふさがりの状況が、安倍をそうした心境にさせた。
安倍が民主党政権の後を受けて第2次政権を発足させた7年以上前から、政権の「第一のレガシー」に据えようと考えてきたのは「デフレ脱却」だった。だが、実現の見込みが立たず、むしろ今夏の東京五輪が終わった後は景気が大幅に冷え込むことが予想された。
5/14/2020
「日ロ平和条約の締結」という外交的悲願も、プーチンに翻弄されるばかりで見通しは全く立たない。昨秋、水面下でプーチンから「平和条約交渉を仕切り直そう」とのメッセージが届いた時、安倍は「もうあんな厳しい交渉はやりたくない」と一度は消極的な姿勢を示した。気力も失われているのだ。
さらにコア支持層も期待する「拉致問題の解決」と「日朝国交正常化」という目標に至っては、すべてはトランプ・金正恩による米朝協議の進展次第という有様で、自力では手掛かりすら得られる見込みはなくなった。
岸田文雄(Photo by gettyimages)
都合のいいシナリオ
安倍の通算首相在任期間は、すでに憲政史上最長となっており、今年8月には大叔父である元首相・佐藤栄作の連続在任記録2798日をも上回る。
「日本の憲政史上、最も長く首相を務めた」ことだけをレガシーに余力を残して退任し、その後は、すでに実質的な安倍派である最大派閥・細田派=清和政策研究会の会長ポストに座る。そして、責任のない気楽な立場で政権への影響力を維持しながら、10年余は政治家としての「余生」を楽しみたい――安倍の頭の中には、そんな都合の良いシナリオがあった。
そのためには、安倍の政権運営を厳しく批判してきた元幹事長の石破茂が、自分の後継になることだけは避けなければならない。「石破総裁」を阻止し、若い時からの遊び仲間で気心が知れている政調会長の岸田文雄を後継に据えれば、しばらくは「院政」を敷くことができる――そう考えてきた。
党員投票が行われるフルスペックの自民党総裁選では、地方の党員票に強い石破が当選する可能性が出てくる。
それを避けるため、今年9月に東京五輪・パラリンピックが終了した後、2021年9月の総裁任期切れまでのどこかで途中辞任し、両院議員総会での総裁選出で岸田総裁を実現する。これが今年1月時点での「安倍シナリオ」だった。地方票が限定される臨時の総裁選であれば、国会議員の間では極めて不人気である石破が、新総裁に選出される可能性は低い。
側近も諦めていた
付言すれば、一時は有力視されていた「東京五輪・パラリンピックを花道に、終了直後の今年9月に退陣」との選択肢は、年初の時点ですでに安倍の念頭からは消えていた。
それは、「少しでも多くレガシーを」と考える安倍が、「全世代型社会保障改革」の一環として、後期高齢者にも医療費の2割負担を求める法案を秋の臨時国会で成立させ、「将来にわたって日本の医療制度を維持するための改革を成し遂げた」と誇れる実績を残したいと考えるようになったからだ。
安倍は若い時、自民党の社会部会長(現・厚労部会長)を務めたことを自らの経歴書に必ず書き入れる。医療や年金制度などに詳しいとの自負が強いこともあって、この改革に拘っているのだ。
もはや任期中に衆院解散を打つつもりもない。最後に、国民に不人気なこの法案を成立させて、ささやかながらレガシーを残したい。そのため、退任は法案成立後の今年11月から来年夏までの間で考えていた。自らの居場所を確保するために安倍政権の継続を望む今井ら側近たちも、安倍自身の口から4選を強く否定する言葉を繰り返し聞かされ、もはや諦めていた。
小泉進次郎(Photo by gettyimages)
不測の事態
ところが、そこに新型コロナウイルス禍が降りかかってきた。「花道」のつもりだった東京五輪が1年延期になったことで、上記の退陣シナリオは吹き飛び、ゼロから考え直す必要が出てきた。
「五輪誘致に成功した首相が、現職のまま開会式に出席したケースは、世界的にもほぼ例がないんだ」と安倍は折に触れて漏らしてきた。東京五輪を首相として迎えたいという強い思いを抱いていることは間違いない。
だが、延期後の五輪とパラリンピックが終わる来年9月は、自民党総裁としての任期切れと重なる。そうなると、フルスペックの総裁選を行わざるを得ない。
ここ半年ほどのマスコミ各社の世論調査で、石破人気はさらに沸騰している。「次の首相候補」でいっとき高い支持率を誇った小泉進次郎が、昨秋の環境相就任から人気を低下させ、その分石破を支持する人が増えているのだ。
小泉人気の下落は安倍の狙い通りだったが、石破の支持が増えたのは誤算だった。一方で、安倍の意中の候補である岸田の支持率は5~6%と低空のまま、上昇する気配はない。
浮上する「続投論」
コロナ対策給付金をめぐり、安倍は「困窮世帯限定の30万円給付」との決定を、官邸での岸田との会談後、岸田自身に公表させて花を持たせる形で一度は決着させた。ところがその後、幹事長の二階と連携した公明党の強硬な巻き返しに安倍が抗しきれず、「一律10万円」に方針は覆り、岸田もこれを受け入れざるを得なくなった。
実は、岸田も当初は「全国民一律現金給付」を唱えていたのに、麻生らの強硬な反対に押され、困窮世帯限定給付の方針に転換した経緯があった。それなのに今度は、二階や公明党に押されて右往左往したことで、岸田の政治的力量に改めて強い疑問符が付く結果になった。4月に行われた産経新聞とFNNの合同世論調査では、岸田を次期首相に挙げた人はわずか2.7%だった。
こうした事態を受け、安倍周辺では再び安倍の続投論が浮上している。「このままでは来年9月の総裁選で石破総裁が誕生しかねない。阻止するためには安倍続投しかない」というわけだ。
安倍自身が続ける以外に「石破総裁」を阻止できないとなれば、考えを改める可能性は出てくるのではないか――周辺はその可能性に縋る。だが、こうした中さらに「想定外の動き」が安倍の足元である細田派で相次ぎ、安倍は頭を抱えている。
(ジャーナリスト、文中敬称略。後編につづく)