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8000人を救ったカウンセラーが警鐘、じつは「自己肯定感」を高めようとしてはいけない

2024年12月17日 00時03分22秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康


自己肯定感」を高めるための本が多数出版され、ある種のブームのようになっています。

これまでに8000人を超える人の悩みを解決してきた心理カウンセラーの山根洋士さんは、自己肯定感を上げよう、高めようとすることの危険性を指摘します。自己肯定感を高めてもいつまでも悩みが晴れない理由とは――。

 【この記事の画像を見る】  ※本稿は、山根洋士『「自己肯定感低めの人」のための本』(アスコム)の一部を再編集したものです。


 ■自己肯定感ブームの功罪  

私は心のクセを直す「メンタルノイズ」カウンセラーの山根洋士です。  最近、自己肯定感という言葉をいろいろなメディアで見かけるようになりました。これだけ自己肯定感といわれると、「自分はどうなんだろう」と気になってしまいますよね。  

すでに多くの心理学者やカウンセラーの方が、自己肯定感の上げ方などを語っています。そんな中で、なぜ私が今、「自己肯定感低めの人」のために本書を書いたのか? 


 ここではそんな話をさせていただきます。 

 私のところには、いろいろな悩みを抱えた方が相談にいらっしゃいますが、悩みはバラバラでも、ある一点では共通しています。過去にたくさん心理学の本を読んだり、カウンセリングに参加したりしても、うまくいかなかったという点です。なぜそんなことになるのか。ここにこの本の根本があります。  そもそも自己肯定感ってなんなのでしょうか? 

 私は昨今の自己肯定感ブームで、ここが誤解されやすくなっているのではないかと少し心配しています。自己肯定感とは「自分はありのままでいい、生きているだけで価値がある、という感覚」のことです。  

自信があるとか、自尊心が高いとか、ポジティブだとかいったことは実は関係ありません。 

 例えば自信がなかったり、ネガティブだったりしても「自分はありのままでいい」という感覚があれば、自己肯定感は低くならないですよね。  

その感覚があるかないか、どちらかですから、あの人は自己肯定感が50点、この人は30点、その人は90点……などと競ったり比べたりするものではありません。


 ■自己肯定感の強要はポジティブハラスメントだ  

だから、自己肯定感を上げよう、高めようとするのは、ちょっと危ないんじゃないかなと思ってしまいます。 

 自信が持てるなにかをつくらないといけないとか、ネガティブ思考じゃダメだとか、そういう「べき論」のようになっていくと余計に心は苦しくなります。 

 もちろん前向きなことはいいことです。でも「さあ前向きに! 」「うつむいていたらダメダメ! 」なんて言われたら、しんどくないですか? 

 これではまるでポジティブの強要、ポジティブハラスメントです。



■いつまでも悩みが解消されない根本原因  だから私は、自己肯定感が低めの人のために、この本を書きました。この先のページまであなたが読み進めてくれるならば、ひとつだけ、心構えを伝えておきましょう。  


「自己肯定感を高めようなんて思わなくていい」  

これだけです。

大事なのは、いろんな悩みや問題に直面したときに、自分はそういうものだと納得できること。

  あなたに必要なのは、自己肯定感よりも「自己納得感」です。 

 良いも悪いも含めて今の自分にまず納得する。それがないと、いくら心理学を学んでも悩みは解消されないのです。 

 詳しくは本編に譲りますが、人は意外と自分のことを知りません。なにしろ普段の行動の9割が無意識だというくらいです。でもメンタルノイズを知れば、あなたが今まで意識していなかった自分が見えてきます。  

本書では、ノイズとはなにかからはじまり、あなたのノイズの見つけ方、そしてノイズと上手に付き合うための心のエクササイズまでを解説しました。  前向きになろうとか、性格を変えようとか、メンタルを鍛えようとか言われても、急には無理ですよね。まずはあなたが自己納得感を得ること。そんな低めのハードルからトライしてみましょう。 

■悪いのはメンタルノイズ  今度こそ痩せられると思ってはじめたダイエットだけど……、また続かなかった。

仕事でチャンスをもらったけど、失敗が怖くて、終わってみたらミスだらけ。

共感してもらえると思ってSNSに書き込んだけど、会ったこともない人にまで誹謗中傷されて。

お金を貯めようとしたけど、半年経っても、まったく残高が増えない。

リモートワークならストレスから解放されるかなと思ったけど……、上司との関係が悪化して今日も眠れない。 

 ダメだなあ、うまくいかないなあ。こんなことがあると、誰だってそう思います。すべてが完璧な人などいません。失敗して落ち込んだり、後悔したり、がっかりしたりするのは当たり前で、みんな同じです。 

 ところが、自己肯定感の低い人は、「私ってなにやっても続けられない」「私はうまくいったことなんてない」「どうせ私は誰にも認めてもらえない」などと、必要以上に自信をなくしたり、自分を責めたりしてしまいます。  ちょっと待ってください。 

 「自分なんて……」と思っているあなた、うまくいかない原因を間違ってませんか? 

  なにをやってもうまくいかないのは、あなたのせいだと思ってませんか?   痩せられないのも、ミスをするのも、誹謗中傷されるのも、貯金できないのも、そして上司とうまくいかないのも、実は、原因はほかにあります。 

 だから、「自分なんて……」と卑屈になるのは、もうやめましょう。  それでは、原因はなに? 

 それは、あなたの心の中にある「メンタルノイズ」です。  メンタルノイズがあなたを邪魔するから、なにもかもうまくいかないのです。


■胸のザワザワの正体とは?  

 うまくいかないのは、心のノイズのせい。

  急にそんなことを言われても、ピンとこないですよね。私も普段のカウンセリングでは、少しずつノイズを感じてもらうようにお話をしていきます。  この本を手にとってくださったあなたにも、「ノイズってこんなものか」と感じてもらえるように、順を追って話を進めていきましょう。  例えば、こんなことってないですか?  

 SNSで他人の投稿を見て「みんな充実している。自分はダメ」と凹んでしまう。逆に自分は投稿したいネタも見つからないし、あっても投稿するのを躊躇してしまう。

「SNSうつ」なんていう言葉もあるくらいですから、割とよく聞く話じゃないかなと思います。  

さて、こんなふうに凹んだり、躊躇したりしてしまうのって、なぜなんでしょうか? 

 とてもわかりやすい例なので、あなたも察しがついているかもしれません。  「仲間とワイワイ活動して映える投稿ができる人はスゴい」と思っていたり、「自分の投稿に『いいね』がつかないと格好悪いし、叩かれたりするのがイヤだ」と思っていたりするからですね。 

 実はこれがノイズの一種。 

 なんだか胸のあたりがザワザワ、もやもやする感じって、ありませんか? 


 そんなときはノイズがあなたの思考や行動を邪魔しています。


 ■「なぜかうまくいかない状態」は変えられる  

要するにメンタルノイズは、あなたがついやってしまう心のクセなのです。簡単な例なら他にいくらでも思いつきませんか?  

 好きな人に「うっとうしいと思われたらイヤ」だから、声をかけたり、LINEを送ったりできない。 

 友達に「いいやつだと思われたい」から、頼まれごとを断れない。実際にはそうとは限らないのに、つい考えてしまう。それがノイズです。こういうことが積み重なると「はあ、なんて自分はダメダメなんだ」と自己肯定感が低くなってしまいます。 

 胸のザワザワ、もやもやに、もし思い当たることがあるとしたら、ノイズが発動している証拠です。  

いかがでしょうか?   

ピンとこなかったノイズも、「まあ、こういうことならあるかも」くらいには感じていただけたでしょうか。  

でもこれはノイズのほんの一部で、超入門編です。問題はここから先。

人の心理や脳の仕組みはとっても複雑で、実はあなたがまったく無自覚で、考えてもみなかったようなノイズが、日常生活のいろんなところで発動しています。  

でも安心してください。そのノイズを見つける方法はあります。そして、ノイズが見つかれば「なぜかうまくいかない」状態を抜け出す大事な一歩になるのです

3/27/2021

以下はリンクで


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【神様が味方する人の考え方】 人生で「選択肢」に迷ったときに思い出したいこと

2024年12月16日 06時03分51秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康


【神様が味方する人の考え方】 人生で「選択肢」に迷ったときに思い出したいこと (msn.com) 

6/30/2023


神様が味方する人の考え方】 人生で「選択肢」に迷ったときに思い出したいこと

小林正観 の意見 •


2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

Photo: Adobe Stock© ダイヤモンド・オンライン

人生は、「自分が書いてきたシナリオ」どおり

「生まれながらにして人生のシナリオが決まっているらしい」と、私自身が導かれたいくつかの証拠があるのですが、「アナグラム」(文字の並べ替え)もそのひとつです。

 たとえば、私の名前「こばやし・せいかん」は、音としては本名です。この8文字を並べ替えると「かんせいごはやし(完成後速し)」となります。私は、「完成したら、あとはひたすら速く走れ」と解釈しました。

「幸も不幸も存在しない。そう思う心があるだけ」といった新しい価値観が「完成」したら、「後ろを見ずに走れ」というメッセージとしてとらえたのです。

「氏名の中に、『使命』が隠されている」という事実に驚きましたが、それは、とりもなおさず、「生まれながらにして、人生のシナリオが決まっている」ということになるのではないでしょうか?

「私」が努力したり、頑張ったりすることで「使命」が決まるのではないようです。

「未来」は、はじめから決まっていて、そのとおりの出来事が起きるらしい。「どのような使命を背負って生まれるのか」も、「どのように死ぬのか」も「私」が決めてきたらしい。これが私の結論です。

 よく、「私のアナグラムを見つけてください」と言われるのですが、興味本位でやっても見つかりません。

 今「何かをやらされている」のなら、それらしい「文」が見つかるのですが、世のため、人のために貢献しておらず、自分の喜びや楽しみを追いかけている場合、あるいは、給料をもらうためだけに仕事に明け暮れている場合には、なかなか見つかりません。

 ただ、「氏名の中には、生まれながらの使命、役割があるらしい」ということだけはお伝えしておきます。


 偶然につけられた名前は、ひとつもありません。私たちは、一人ひとりがその家と親を選び、生まれ、親に「私の名」をつけさせたのです。

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 私たちは、自分の意思で進む方向を決めていると思っていますが、選ぶ道は「生前に書いたシナリオどおり」らしいのです。

 このような話をすると「じゃあ、どちらを選んでも同じ結果になるのか」と質問されます。答えは、ノー。

「右を選べば盛岡、左を選べば新潟」のように、2つの電車があれば、どちらを選ぶかによって、行き先は変わります。ただ、「どちらを選ぶか」という選択は、あらかじめ決まっているらしい。

 まだ体験していない「未来」ではわかりにくいと思いますので、「過去」で考えてみます。過去の選択を考えてみると、ほとんど(あるいは、全部)が、「選択の余地がなかった」と言えるのではないでしょうか。

 私自身の例で言えば、父親から「家業を継がないなら、出て行け」と言われたので、「わかった。出て行く」と家を出ました。

 家を出た私は、アルバイトを探しましたが、日中は司法試験の勉強があったため、家にいてもできるアルバイトを探し、その結果、「旅に関する原稿を書く」ようになったのです。

 やがて、出版社の編集長から、「原稿を書いてほしい」と言われるようになり、旅行作家として旅をするうちに、行く先々で「人相を見てほしい、人生相談に乗ってほしい」と頼まれました。

 相談ごとは増えていきましたが、同じような相談内容が多かったため、私なりの答えをワープロで打って、コピーし、無料で配布するようにしたところ、そのコピーを本にしてくださる方があらわれた(坂本道雄さんは、私の本を出すために、わざわざ専用の「弘園社」という出版社をつくってくださいました)。

 そして、その本を読んだ方たちから「講演をしてほしい」「話を聞かせてほしい」と頼まれるようになったのです。

 私は、ただ、流され、動かされてきたのです。少なくとも私、小林正観の人生は、こう言い切ることができます。

「私の人生に、選択肢はなかった。それしか選べなかったし、必ずそうなるようになっていた」

 過去のすべてがそうであるなら、これからの「未来」も、おそらく、選択肢はないでしょう。

 すべて「そのようにしか、選べない」のです。どれほど慎重に考えて選んだところで、その選択の結果は「シナリオどおり」らしいのです。

 みなさんが「この文章」を読んだ結果、「今までと違う生き方をしよう」と決めたとします。さんざん怒鳴っていた人が怒鳴らなくなったら、まわりの人は「あの人は変わった」と思うでしょう。けれどそれも、シナリオどおりです。

 その人に出会うようになっていた。その話を聞くようになっていた。

 偶然に「その人」に会ったり、その文章に出合ったりしているわけではありません。みなさんが、今、この本を読んでいるのも、すべて「自分が書いたシナリオどおり」。

 どうも、人生は、そうなっているらしいのです。



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心理学博士が教える「傷つきやすい心が世に蔓延している理由

2024年12月16日 00時03分54秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康

人間の心や頭の発達にとって、子ども時代は重要な意味を持ちます。近年、傷つきやすい若者、すぐキレる若者、頑張れない若者が散見されるのは、学力や知力とは関係ない、何か他の能力の不足が関係している――と、

心理学博士の榎本博明氏は語ります。ここでは、その能力とは何か、どうしたら高められるのかを紹介します。


本連載は、榎本博明著『伸びる子どもは〇〇がすごい』(日本経済新聞出版)から一部を抜粋・編集したものです。

(※写真はイメージです/PIXTA)


10・26・2020

小学校低学年の頃は、親に言われて勉強している子が成績の上位を占めるということがあるかもしれないが、小学校高学年や中学生になると、自分から勉強する意欲がないと徐々に成績は低迷していくものである。 そこで求められるのが、自発性を高めることである。これは本人自身の意欲によって動き出す性質なので、周囲の力によってこれを強化するというのは難しい。

だが、悪い事例を思い浮かべれば、どうするのが望ましいかのヒントがつかめるだろう。 

たとえば、指示待ちで自分から動けないという学生たちに子ども時代のことを尋ねると、何でも親が先回りして自分が困らないように教えてくれたり手伝ってくれたりしたというケースや、親が口うるさくあれこれ指図するので鬱陶しかったがいつのまにか親を頼るようになっていたというケースが目立った。


 ここから言えるのは、親があまり先回りしすぎずに、子どもが失敗してもいいから自分で考えてものごとに取り組むような環境にすることが大切だということ。その際、自分で考えて動くことでたとえ失敗しても、それを怖れる必要はない、失敗から学ぶことも多いということを教えることも大切である。


 また、子どもは未熟だし、能率が悪かったり建設的な方向になかなか動き出さなかったりしてもどかしく思うこともあるものだが、あえて指示を減らして、本人がやりたいように自由に漂わすことも大切である。そこで親に求められるのが待つ力である。 

大人の世界は効率性の原理で動いているようなところがある。だが、そうした効率性の原理に則って動いているうちに、仕事がパターン化してしまいがちである。仕事をパターン化するのは効率性をあげるためのコツではあるが、それによって創造性は枯渇していく。


子どものうちはものごとを型にはめるのではなく、いろんな方向から考えたり、いろんなやり方を試行錯誤したりして、創造性を発揮することが大切である。 そのためにも親としてはできるだけ口出しせずに本人の自発的な動きを見守る姿勢が求められる。


指示待ちで自分から動けないという学生たち
だれだって失敗するのは嫌だし、できることなら失敗などしたくない。でも、失敗をあまり怖れると、気持ちが委縮してしまい、のびのびした行動が取れなくなる。学生たちをみていても、失敗を怖れて何ごとに対しても躊躇する傾向が強まっているように感じる。学生だけではない。失敗を怖れてチャレンジしない子どもや若者が目立つのである。 


先生の指示に従って動けば間違いないし、勝手に動いて叱られるのは嫌なので、自分たちは失敗しないように先生のサポートに頼るようになったのではないか、言われた通りにやっていればうまくいくのならあえて自分からチャレンジする必要もないし、などというのである。

 これは、マニュアル依存や指示待ち傾向にも通じることだが、面倒見の良いサポート環境の弊害と言えないだろうか。教育のサービス産業化の動きの中で、生徒や学生に対して手取り足取りの教育が行われ、そうしたサポート体制が整っていることが売り物になっている感がある。


だが、そうしたサポート体制が失敗を怖れチャレンジしない心を生み出している面もあるといってよいだろう。 そこで大事なのは、失敗することの意味や価値を認識するように導くことである。IT革命によりますます先の読めない時代になっていくが、そのような時代を生きるには、失敗しながら歩んでいくしかない。失敗にいちいちめげていたら先に進めない。 


そこで求められるのは、失敗への対処能力を高めること、そして失敗から学ぶことである。大事なのは、失敗しないことではなく、失敗を怖れずに試行錯誤すること、そして失敗してもめげずに前を向き、失敗を糧にして前進することである。 

モチベーションの心理を解剖していくと、成功追求動機のほかに失敗回避動機があることがわかる。だれの心の中にも、成功したいという思いがあると同時に、失敗したくないといった思いもある。そのせめぎ合いのなかで行動が決まってくる。積極的な行動をとるためには、失敗回避動機を多少和らげる必要がある。

 子どもたちは、失敗することを通して、現実を生き抜く上で大事なことを学んでいくのである。だが、子どもを教育する立場にある大人たちがそのことを忘れ、失敗を極力排除しようと過保護な環境をつくってしまっているように思われる。


 そこで教育上大切なのが、失敗することの意味や価値をしっかりと認識するように導くことである。できるだけ失敗はしたくないものだが、失敗することもあるし、ときに失敗するのも悪くないと気づかせることである。



失敗を恐れ、チャレンジしない子どもたち

書籍の詳細はこちら!

ちょっとしたことで傷つきやすい心が世の中に蔓延しているのは、だれもが感じていることだろうが、そうした現実への対処として傷つかないような子育てや教育が行われていることには違和感を抱かざるを得ない。


 傷つけないようにと配慮しすぎることで、傷つきやすい子どもや若者がつくられていく。これは、冷静に考えれば、ごく当然のことのはずだ。菌を排除して純粋培養すれば、雑菌だらけの環境に弱くなるのと同じだ。現実の社会に出れば、思い通りにならないことだらけである。


頑張ってもうまくいかないこともある。 学校時代なら、いくら試験の準備勉強をしても良い点を取れず、成績が上がらないということもあるだろう。受験勉強を頑張ったのに、志望校に合格できないということだってあるだろう。

部活でも、必死に練習しているのに、ライバルを追い抜くことができず、いつまでたってもレギュラーになれないということがあるかもしれない。 就職後なら、仕事でいくら成果を出しても、期待するような評価が得られないこともあるだろう。上司と価値観や性格が合わず、不遇な目に遭うこともあるかもしれない。


組織の上層部や取引先からの処遇に理不尽さを感じても、我慢しなければならないこともあるはずだ。社内のライバルやライバル社にどうにもかなわないこともある。信じていた人に裏切られることもある。好きな人に振り向いてもらえないこともある。 そのたびに深く傷つき、落ち込み、立ち直れずにいたら、厳しい現実を生き抜くことなどできない。


そこで大切なのが、思い通りにならない状況への耐性を高めることである。動機づけと原因帰属(成功や失敗を何のせいにするかということ)を組み合わせた古典的な心理学実験からも、そのことが示唆されている。 動機づけの心理学で有名なドゥウェックは、原因帰属の仕方を変える、つまり失敗を努力不足のせいにする認知の枠組みを植えつけることで、無力感の強い子の達成動機を強められるのではないかと考えた。


そこで、8歳から13歳の子どもたちのなかから極端に強い無力感をもつ子ども(失敗すると急にやる気をなくし成績が低下する子)を選び、6人に成功経験法を、他の6人に原因帰属再教育法を施した。 成功経験法とは、常に成功するように易しい課題を設定する方法である。

原因帰属再教育法とは、5回に1回の割合で失敗させ(到達不可能な基準を設定する)、その際にもう少し頑張ればできたはずだと励まし、失敗の原因は自分の能力不足ではなく努力不足にあると思わせる方法である。 

これらの治療教育の前、中間、後の3つの時点における失敗後の反応をみると、原因帰属再教育法のみに治療効果がみられた。原因帰属再教育法による治療教育を受けた子どもたちでは、失敗の後に成績が急降下するということがなくなり、「もっと頑張らなければ」と発憤するのか、失敗直後にむしろ成績が上昇する子が多くなった。

 一方、成功経験法による治療教育を受けた子どもたちは、成功しているうちはよいものの、失敗すると成績が急降下するといった傾向を相変わらず示した。この実験からわかることが2つある。ひとつは、失敗すると傷つくからと失敗させないでいると、失敗に弱い心理傾向が改善されることはないということである。

 もうひとつは、失敗の受け止め方を前向きにすることで失敗に傷ついたり落ち込んだりすることなく、むしろ発憤する心がつくられるということである。成功体験をいくらしても、失敗への耐性は高まらないのである。


 では、ものごとに対するタフな受け止め方は、どうしたら身につくのだろうか。まず第一に大切なのは、小さな失敗やなかなか思い通りにならない苦しい状況を繰り返し経験することで、失敗による感情的な落ち込みに慣れることである。何度も経験していれば、慣れの効果により、その衝撃度合いは弱まっていく。

感情的な落ち込みに慣れれば、冷静に対処できるようになる。 第二に、原因帰属再教育法をヒントに、思うような結果が出なかったときやなかなか窮状を脱することができないときに、「自分はダメだ」などと自分を責めたりせずに前向きな気持ちになれるように、適切な声がけをすることが大切である。

 たとえば、「だれだって失敗することはあるよ」「挫折を経験することで人は強くなっていくんだよ」「結果がすべてじゃない。頑張ることで力がつくことが大事なんだ」「頑張ったときの爽快感はかけがえのないものだよ」などといった主旨の前向きの受け止め方に気づかせるような声がけも有効だろう。 


 榎本 博明

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死にたい時は俺に電話しろ 2万人を論破、

2024年12月15日 00時03分03秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康
死にたい時は俺に電話しろ 2万人を論破、坂口恭平さん

作家・建築家の坂口恭平さん(42)は、自らの携帯番号「090・8106・4666」を公表し、「死にたい」と思う人の相談にのっている。名付けて「いのっちの電話」。


11/1/2020

公表から8年間で、かけてきた人は2万人を超える。8月に「苦しい時は電話して」を出版したこともあり、コロナ禍の中、相談件数は激増しているという。なぜ、電話を受け続けるのか。

以下はリンクで


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「"死にたい"と言える人は自殺しない」は間違い…死を選んでしまう人たちの"本当の共通点"

2024年12月12日 22時03分25秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康

「"死にたい"と言える人は自殺しない」は間違い…死を選んでしまう人たちの"本当の共通点"



なぜ人は自殺してしまうのか。ジャーナリストの渋井哲也さんは「自殺してしまう人たちには共通点がある。私が取材した当事者たちはほとんどが自傷行為や自殺未遂を繰り返していた。『死にたいと言っている人は自殺しない』とよく言われるが、これは迷信だ」という――。



(第1回) 【写真】渋井哲也氏の著書『ルポ自殺 生きづらさの先にあるのか』(河出新書)  ※本稿は、渋井哲也『ルポ自殺 生きづらさの先にあるのか』(河出新書)の一部を再編集したものです。

 ■周囲で死亡事故や自殺が起きていた少年時代  

私がなぜ「自殺」に関心を持ち、取材テーマとして選んだのか。 

 自宅前は大きな街道が交差していて、子どもの頃は、ひっきりなしに大型車が通行していた。夜間になると、交通量が減るためにスピードを出したまま運転するため、単独の交通事故がよく発生した。交通死亡事故は1955年から64年にかけて、高水準になっていた。  

59年には死者数は1万人を突破し、「交通戦争」と呼ばれたが、歩道や信号機が整備され、以降死者数は減少した(※1)。ただ、71年以降、再び、死者数が増加に転じ、80年には死者数は1万人を超えて、「第二次交通戦争」と呼ばれた(※1)。こうした時期に私は育ち、死亡事故を見ていた。  

さらに、その交差点から南に行くと、橋があった。那須町と黒磯市(現・那須塩原市)を結ぶ橋で、那珂川にかけられている。橋はアーチ型(長さが127.8メートル、幅は8.7メートル、水面からの高さが23メートル)。2002年には栃木県で初めて、土木学会の選奨土木遺産に選ばれたが(※2)、自殺の名所となっていた。

 小学生の頃だったと思うが、身近な人もこの交差点で事故に遭い、その家族がうつ状態になったのか、この橋から飛び降り自殺。さらに、その家族が後追い自殺をした。2010年、女子中学生がこの橋から飛び降り自殺した。当時、亡くなった女子中学生がいじめについて家人に伝えていたことで、それが原因ではないかとの話があった。彼女は部活の途中でいなくなったことがわかったが、学校は保護者に伝えていなかった。  

また、一時はいじめを認めていたが、記者会見では「いじめはない」と教頭は言った。しかし、日付のない遺書があり、友人関係のトラブルがあったことが記されていた。  (※1)警察庁「交通事故発生状況の推移」 (※2)晩翠橋「とちぎ旅ネット」


■自殺リスクを高める8つの要因  

身近な人が自殺で亡くなったこともある。私が自殺をテーマに取材をする前の1994年のことだ。長野県の新聞社に入社してすぐに知り合った男性が、自動車内で排ガス自殺した。周囲の人の話によると、1週間前、男性は、借りたものを返しに知人に顔を見せに来ていた。すでにそのとき、自殺を考えていたのだろうか。 

 「自殺」をテーマにした取材をするようになって、取材した人が実際に自殺、もしくは自殺の疑いで亡くなっている。当初、私は、言語化できる相手がいれば自殺しないのではないか、という仮説を立てていたが、正しくなかった。今となっては当たり前のことだ。 


例えば、いじめや虐待、ハラスメントなどは、すぐには問題解決ができない。すぐに悩みが消えるわけではない。具体的なソーシャルワークにつなげても、メンタルヘルスのケアやサポートがなければ、自殺のリスクは軽減しない。一般に、リスク要因が多ければ、自殺リスクが高いと言われている。  その要因として、

---------- 
1、自殺未遂歴(自殺未遂の状況や、方法、意図、周囲からの反応などを検討) 2、精神疾患の既往(躁うつ病〔双極性障害〕、人格障害、アルコール依存症、薬物依存など)
3、サポート不足(未遂者、離婚者、配偶者との離別、近親者の死亡を最近経験) 
4、性別(自殺既遂者:男性〉女性 自殺未遂者:女性〉男性) 

5、年齢(年齢が高くなるとともに、自殺率が上昇する) 
6、喪失体験(経済的損失、地位の失墜、病気や外傷、近親者の死亡、訴訟など) 
7、自殺の家族歴(近親者に自殺者が存在するか? ) 
8、事故傾性(事故を防ぐのに必要な措置を不注意にも取らない) 

----------  

などがあげられているが(※3)、取材実感とも似ている。  (※3)高橋祥友『自殺のサインを読みとる』講談社、2001年、87頁 

■「『死にたい』と言っている人は、実際には死なない」は迷信  私が取材をした中で亡くなった約40人の共通点をあげてみる。  

自殺未遂(自傷行為を除く)を3回以上繰り返していたのは8割。この中で10回以上繰り返した人は2割いた。さらに言えば、30回以上、繰り返した人もひとりいた。常に「死にたい」と言っていた人も9割いた。


  「『死にたい』と言っている人は、実際には死なない」というのは迷信だと言われている。少なくとも、取材経験から考えても、迷信だと断言できる。  

「死にたい」「さよなら」「もう死にます」というメールやLINEが届く。また、ツイッターなどのSNSでつぶやく人もいる。そうした後に、自殺のリスクが高い行動を取ったり、実際に亡くなってしまう人もいた。取材した中で、自殺で亡くなった人の半数は、死ぬ直前に、私を含む誰かに予告めいたメールやLINEを送っている。深夜に自殺予告のメールが届いたことがあった。  

その女性は、それまでにも自殺をほのめかすことがあった。朝起きて、メールを読むと、飲み合わせや量次第では亡くなってしまいかねない薬の名前が羅列してあった。すぐに連絡を取ったが、返事がない。しばらくすると、その女性の知人から連絡があり、亡くなったことを知った。 



 その女性がメールをしてきたときに、私に何かできたことはなかったかと思い悩み、知人の精神科医に連絡を取った。そのメールが送られてきたときに薬を飲んだことを前提にしても、助かった可能性が低いほど、飲み合わせが悪いものだったと聞いた。それでも、「メールに返信をしていれば」「すぐに電話していれば」と今でも思うことがある。


以下はリンクで




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