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『週刊文春』が暴いた「“愛子天皇”極秘計画」は、天皇制の根幹に関わる深刻な問題を浮き彫りにしている

2025年01月20日 03時03分22秒 | 皇室のこと


『週刊文春』が暴いた「“愛子天皇”極秘計画」は、天皇制の根幹に関わる深刻な問題を浮き彫りにしている(篠田博之) - エキスパート - Yahoo!ニュース 




『週刊文春』が暴いた「“愛子天皇”極秘計画」は、天皇制の根幹に関わる深刻な問題を浮き彫りにしている


篠田博之月刊『創』編集長
1/5(日) 17:28 2025

『週刊文春』1月2・9日号(筆者撮影)
愛子さまの結婚をめぐる女性・女系天皇論
 『週刊文春』2025年1月2・9日号が目玉として掲載した特集記事「悠仁さまを揺さぶる“愛子天皇”極秘計画」は、ある意味衝撃的な内容だ。


 2016年、現在の上皇が「生前退位の意向」を表明した当時の安倍政権で、ある極秘計画が進行していたという。女性天皇は容認するにしても女系天皇は受け入れがたいとして、愛子天皇が誕生した時に夫となるべき旧皇族の青年を探せという指示が出されたというのだ。記事中で「事情を知る当時の政権中枢」がこう証言している。


「安倍総理はこの指示を極秘裏に、杉田和博官房副長官(当時)に命じました。血統が天皇に連なる旧皇族の男系男子と愛子さまが結婚すれば、その子どもも天皇に連なるY染色体をもつ『男系男子』となる。それならば愛子天皇が誕生した後も、男系の子どもが皇位を継承していけるという計画だったのです」


 そしてこう続く。「密命を受けた杉田氏が調査した結果、旧皇族の賀陽家に年齢が近い男子が二人いることが判明した」


 2013年、週刊誌で愛子さまの見合い相手として賀陽家の息子の存在が報じられたが、それにはこんな背景があったのかもしれない。


「該当する皇族は生身の人間」との秋篠宮発言
 証言した「当時の政権中枢」とは誰なのか、どこまで裏がとれている話なのか。そのあたりがもう少し明らかにされれば大スクープとして新聞・テレビが後追いしただろうが、今回は、それを紹介したYouTubeチャンネルだけが盛り上がって終わりそうな気配だ。ただ安倍元総理らは男系男子にこだわっていたし、その意向を受けて杉田和博官房副長官(当時)が動いたというのは、いかにもありそうな話だ。


 秋篠宮さまが2024年11月の誕生日会見で女性皇族問題について訊かれ、「該当する皇族は生身の人間」と語っていたが、当の愛子さまにしてみれば、気持ちの良い話ではないだろう。当事者の意思と別に後継問題が論じられ、政権中枢が密かに動くという経緯が、この問題の本質を映し出している。天皇制の伝統をどう守るのかという観点からすれば当事者の気持ちは二の次になってしまう。


『週刊新潮』1月2・9日号(筆者撮影)
 


 さて、その秋篠宮さまの「生身の人間」云々の言葉を引用しながら、『週刊新潮』1月2・9日号が報じたのが「佳子さま30歳 加速する『皇室離脱』願望に秋篠宮さまの胸の内」だ。こちらもある意味で深刻な問題で、記事中の関係者によれば、佳子さまは今も「皇室から出るには結婚するしかない」と語っているという。ただ、今のままであれば、眞子さんのように自分の意思で結婚相手を見つけるのは至難の業だろう。女性皇族をめぐる議論が高まりつつある中で、佳子さまについて今後どう考えていくべきなのか。関係者も頭を痛めているに違いない。


 そういえば『週刊現代』が12月28日・1月4日号から「17年ぶりの大幅リニューアル」を敢行し、本文のレイアウトを大きく変えたのだが、その号の表紙は何と佳子さまだ。女性週刊誌の場合は佳子さまの表紙は珍しくないが、いまや男性高齢者向け雑誌となっている同誌に佳子さまの写真がドーンと掲げられているのは確かに目立つ。つまり同誌の読者にとっても佳子さまというのは気になる存在になっているというわけだ。


『週刊現代』12月28日・1月4日号(筆者撮影)
「天皇制というそもそも非合理性を孕んでいるシステム」
 女性皇族問題を含めて象徴天皇制をどう考えるのか。本格的議論を始めるべきだという声は広がっているように見える。


 年明け1月4日に発売された『週刊ポスト』1月17・24日号が「天皇家の昭和100年」という巻頭特集を掲載している。2025年は昭和100年にあたるのだが、佐藤優さんと片山杜秀さんの対談の形で天皇制の経緯や問題点を8ページにわたって語り合っているのだ。その中で佐藤優さんがこう語っている。


「天皇制を維持したいのであれば、私は女系天皇、女性天皇といった議論は危ないと思います。なぜなら、天皇制というそもそも非合理性を孕んでいるシステムに、部分的に合理性を持ち込もうとしているからです」


 つまりそもそも天皇制というのは非合理性を孕んでいるシステムだというわけだ。その発言の前には片山さんがこう語っている。


「昭和100年は、明治以来続いた天皇制の分岐点に差し掛かっている印象を受けます」


 確かに、今、後継問題をめぐって象徴天皇制は大きな岐路に立たされている。大学でジェンダー問題を学んだ佳子さまや愛子さまは、その時代の流れと相反する天皇制の問題に悩んでいるはずだ。それは天皇制の持つ絶対的矛盾で、愛子さまや佳子さまの結婚問題はその具体的現れだ。


秋篠宮「生身の人間」発言の真意
 先に言及した秋篠宮誕生日会見での発言はこうだった。「該当する皇族は生身の人間。その人たちがそれによってどういう状況になるのか。(略)宮内庁の然るべき人たちは、その人たちがどういう考えを持っているかを知っておく必要がある」


 前出『週刊新潮』では、この発言について「秋篠宮家の事情を知る関係者」がこう語っている。「今回のご発言は一見して宮内庁に苦言を呈された格好になっていますが(略)ご発言の真意は、ご自身や佳子さまのお気持ちを把握しないまま協議を進めていく与野党の政治家、そしてその立法府から報告を受ける政府への“痛烈なご批判”に他なりません。新たな制度が作られつつある裏で、当事者が抱く思いを世間に知ってほしいと考え、あえて“身内”たる宮内庁の名を挙げてアピールされたのです」


 2025年、皇室や天皇制をめぐる議論は広がっていくのだろうか。









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なぜ日本の皇室は「世界から一目おかれている」のか? 他国からリスペクトを集める人間性 「ソフト外交」で戦争責任と向き合う

2025年01月19日 13時03分34秒 | 皇室のこと



なぜ日本の皇室は「世界から一目おかれている」のか? 他国からリスペクトを集める人間性 「ソフト外交」で戦争責任と向き合う

1/17(金) 11:00配信




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歴史人
ペリリュー島戦争遺跡


日本の皇室は、武士政権の移り変わりがあっても断絶することなく、1500年という歴史を紡いできた。その長い歴史と人間性により諸外国からも一目置かれている日本の皇室は、諸外国を訪問し戦後課題と向き合うなど、外交において重要な役割を果たしている。福田赳夫外相が「多くの外交官をもってしても天皇の親善外交には足元にも及ばない」とも述べた皇室の「ソフト外交」について、改めて見ていこう。


■日本の皇室が世界一 もっとも歴史深い王室


 海外には古い歴史をもつ王室は多く存在する。日本の皇室の誕生は紀元前と言われるが、確認できる歴史では6世紀に誕生して少なくとも1500年は継続している。


 日本皇室は最古だが、2位は10世紀に成立したデンマーク、3位は11世紀の発祥と言われるイギリス王室、4位は15世紀半ばに起源を持つスペイン王室、5位は何度も交代したが現在の王朝は16世紀に誕生したスウェーデン王室だ。


 また名称について日本では天皇だが、世界ではエンペラーと紹介されている。日本の情報を記したエンゲルベルト・ケンペル『日本誌』には徳川将軍は「世俗的皇帝」、天皇は「天子」・「帝」(ミカド)と呼称されたが「聖職的皇帝」と紹介され、明治時代になり天皇となっている。黒船で有名なペリー提督はやはり天皇について皇帝の名称を使っている。


 また本来なら武士政権が権力を奪取したとき皇室は消滅しても不思議ではない。中国の歴代王朝は政権が倒されると王朝そのものも瓦解している。ところが日本では、武士政権は皇室に敬意を払い、権力を奪取しても皇室は官位を武家に与えることで一定の影響力を持ち、武士政権はそれを最大限に活用した。


 さらに武士政権が終焉を迎え天皇に政治政権を返すという建武の新政、王政復古など皇室が断絶することなく、武士とのダブルスタンダードで時代を乗り越えてきたことが他国では例を見ない統治形態でもある。


 ともあれ1500年も継続している皇室は前代未聞の存在となっている。現在君主国家は28か国、それらの国々や王室を失った国から皇室は深い敬意を持たれている。福田赳夫外相は裕仁天皇の外遊に帯同した時、多くの外交官をもってしても天皇の親善外交には足元にも及ばないと述べている。一般の日本人には実感は薄いかもしれないが、諸外国からは長い歴史とその人間性についてリスペクトされており、日本には重要な外交資産ということができる。


 天皇外遊が協議されているとき、国会では天皇は国家元首か否か、議論が繰り返された。憲法では明記されておらず、天皇は国民統合の象徴ではあるが外国ではなかなか理解が難しいようで国際的には国家元首、国内的は象徴というこれもまたダブルスタンダードの様相となっている。これは今後の課題になるかもしれない。


 即位の礼や大喪の儀などで皇室は古き伝統のある儀式を行うなど変わらないシステムは続いているが、宮中での祭祀など国家と国民の安寧と繁栄を祈るシステムは続いており、政教分離の政策は堅持しつつ、新嘗祭、大嘗祭など田植え、稲の刈り入れといった農耕民族の形態を残している。


 昭和64年(1989)1月7日に裕仁天皇は崩御した。おりしもパリで化学兵器禁止の国際会議が開かれていたが参加国149か国の全員から黙とうが捧げられ、2月24日の大喪の儀では164か国、国際機関の代表や元首が参列、稀にみる規模となった。ただしオランダ王室だけ欠席している。


 裕仁天皇への同国の想いは最後まで変わらなかった。この時、日本特集の番組を組んだ各国の報道機関も多く、戦争責任問題も含めて皇室の存在をあらためて世界に問う機会にもなった。


 イギリス王室は外に向かってオープンだが、元来保守的な皇室の菊のカーテンはまだまだ厚く、他の王室に比べ不透明な部分はある。昨今、宮内庁はIT時代に合わせてインスタグラムで皇室を紹介するなど開かれた皇室を目指して尽力している。そうした神秘性と伝統的な祭祀を粛々と毎年こなしていく皇室は、その継続性がゆえに各国に畏敬の念を抱かせている。


 さて戦後課題と向き合った明仁天皇は、各地の激戦地を訪れて献花し深々とこうべを垂れる様子、それは慰霊の旅として知られているが在位時代、平和への願いを訴える象徴的な光景だった。


 最初は、沖縄や国内の戦場跡だったが、その後硫黄島はもとより、パラオ、ベトナム、フィリピン、ホノルルを訪れて戦死者、戦没者の冥福を祈る真摯な姿勢、さらには「お言葉」に表れるような平和への願いと一貫している。長年にわたってこの姿勢を退位するまで継続した想い、それは少なからず世界に影響を与えた。明仁天皇の努力により皇室外交は新たな使命を帯びることになったともいえる。


 戦後、裕仁天皇の名代として明仁皇太子は数多くの外遊をこなしたが、それは何も彼だけではない。三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)親王、高松宮宣仁(たかまつのみやのぶひと)親王、常陸宮正仁(ひたちのみやまさひと)親王など裕仁天皇の弟宮たちは新生日本との親交を深めるため諸外国を訪問している。戦後賠償が一段落すると、平和国家の使者としてアジア諸国を、欧米を始め各地を訪問している。


 首相や閣僚の政治外交使節ではないために、この皇室によるソフト外交は日本をめぐる国際環境を整えるためには今後も重要な役割を果たすことは間違いないだろう。


監修・文/波多野勝


『歴史人』2024年10月号「天皇と皇室の日本史」より






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同じ皇室でも思想や行動がまったく違う…天皇家と秋篠宮家の"兄弟確執"が解消されない根本原因

2025年01月08日 21時03分07秒 | 皇室のこと

同じ皇室でも思想や行動がまったく違う…天皇家と秋篠宮家の"兄弟確執"が解消されない根本原因


1/11(水) 17:17配信2023
0コメント0件

新年一般参賀であいさつされる天皇陛下=2023年1月2日午前、皇居 - 写真=時事通信フォト

■“冷戦”状態のきっかけは「人格否定発言」  

このままでは「令和の壬申の乱」が起きるかもしれない。 

【この記事の画像を見る】  

イギリスのチャールズ国王の次男・ヘンリー王子が自伝『スペア』の中で、妻のメーガン妃に対して批判的な物言いをした兄のウィリアム皇太子と口論になり、兄がヘンリー王子の襟首をつかんで床に叩きつけたと主張しているという。 

兄弟は他人の始まりというが、振り返って、この国の兄・天皇と弟・秋篠宮の関係も長年、“冷戦”といってもいいような状態が続いているのではないかと思い至った。  

壬申の乱は、672年、兄・天智天皇の後継を望んでいた同母弟・大海人皇子が、天智天皇崩御後、子どもの大友皇子が弘文天皇に即位したことを恨み、兵を挙げ、自害に追い込んだといわれる内乱である。

  時代背景も人心も違う現代で、このようなことは起こりえないだろうが、似たような構図が天皇と秋篠宮にあることは否定できないのではないか。

  天皇家と秋篠宮家との関係を年代順に見てみたい。  

萌芽は2004年だった。

皇太子(当時)が会見で、

「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と発言した。

「浩宮の乱」とまでいわれて騒ぎになった。 

■「壬申の乱の勃発を招きかねません」

 秋篠宮はそのことについて、

記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」と苦言を呈した。

  秋篠宮のいい分に利ありとメディアは挙(こぞ)って秋篠宮贔屓になり、雅子妃へのバッシングをさらに強めていった。

  当時の首相だった小泉純一郎氏は、皇室に皇太子の次の後継男子がいないことを憂えて、2006年1月に「有識者会議の報告に沿って皇室典範の改正案を提出する」と宣言し、女性・女系天皇を認める方針を打ち出した。

  だが、その直後の2月7日、NHKが「紀子さまご懐妊の兆候」というスクープを報じた。 

 当時官房長官だった安倍晋三氏は、

「神風が吹いた」と話したという。秋篠宮家に男の子が生まれるかもしれないのだ。  

皇嗣典範改正の見送りに逡巡していた小泉首相に安倍氏は、「お子さまが男子の場合、皇室典範改正は正当な皇位継承者から継承権を奪うことになります」。さらに、そんなことをしたら「壬申の乱の勃発を招きかねません」と助言していたと、元NHK記者で、安倍氏と最も親しかったといわれていた岩田明子氏が文藝春秋(2022年12月号)に書いている。 

 そして、2006年9月6日、秋篠宮家に長男が誕生したのだ。 

 眞子さん、佳子さん、次代の天皇である長男・悠仁さんに囲まれた秋篠宮夫妻は幸せな家族の象徴となった。 

 だが、美智子皇后(当時)はそんな息子たちを見ながら、一人心を痛めていたという。

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天皇陛下(当時)が心臓のバイパス手術を受けるために東大病院のICU(集中治療室)に入っていたときのことだという。 

 「実は、手術が終わったのち、真っ先に紀子妃殿下から病院関係者に『お見舞いに伺いたい』との打診があったのです。それを受け、医師団と侍従職が折衝し、一旦は手筈が整っていました。ところが、そうした動きをお知りになった雅子妃殿下(当時=筆者注)のご意向が、直前になって伝わってきたのです。それは、『順序が違うのではありませんか』という、強いご不快のお言葉でした」(さる秋篠宮家関係者)  これにより紀子さんのお見舞いは叶わなくなったという。 

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■メディアの「雅子妃バッシング」も燃えさかり…  

「まず10月下旬、皇后さまのお誕生日の夕食会において、皇太子ご夫妻が途中退席されるという出来事がありました。また11月に入って悠仁さまの七五三にあたる『着袴の儀』が執り行われますが、お祝いの宴も皇太子ご夫妻は欠席されています」(宮内庁担当記者)  

元々皇太子一家は葉山で静養する予定が入っていて、出席するつもりはなかったというのである。  

また、同じころ、天皇が気管支肺炎で入院したが、見舞いは秋篠宮夫妻が最初で、皇太子は兄妹の中で最後になった。雅子妃は発熱のために行かれず、見舞いに行ったのは天皇が退院後、3週間以上も後だったと報じている。

 「両妃殿下が確執の只中にある現状は、むろん皇室にとって由々しき事態である」(新潮)  この当時は、適応障害でなかなか公務にも出られない雅子妃に対して、メディアが厳しい批判を繰り返していた。

  公務には出ないのに、娘の愛子さんの修学旅行に付き添って高級ホテルに泊まったではないか。実家に何度も里帰りしているのはおかしいなど、雅子妃バッシングが燃えさかっていた。

  2008年2月には、羽毛田信吾宮内庁長官(当時)が、公式の定例記者会見で、「愛子さまが両陛下を訪問なさる回数が少ない」と発言することもあったのである。  

当時、秋篠宮に皇太子の位を譲るべきだという「廃太子論」までが雑誌に載ったこともあった。そのために美智子皇后は一計を案じたと、女性自身(2019年4月30日号)が報じている。

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■皇室典範が改正されたら、秋篠宮家はどうするのか  

私は愛子天皇待望論者である。可能性はあると思っている。先のように、安倍元首相は愛子天皇を選択肢として考えていたようだ。 

 岸田文雄首相は何を考えているのか分からないが、このところの反撃能力容認、防衛費のGDP比2%増など、安倍元首相がやり残した路線を闇雲に突っ走っているように見える。  

だとすれば、皇室典範を改正して女性天皇を容認することもあり得るのではないか。

  そうなった時、秋篠宮はどう感じ、どう動くのだろう。紀子さんは天皇の母「皇太后」になることを心待ちにしているといわれる。  

だが、仮に今上天皇が上皇と同じ年で退位したとして、その後を愛子さんが継いだとすれば、悠仁さんが天皇に即位するのは50代以降ということになるのではないか。  

卑近な例で申し訳ないが、世襲企業がダメになる理由の多くは、跡目争いからである。

■兄弟が胸襟を開いて話し合うことが必要だ  

高貴な生まれの方たちだから、そのようなことはないと思う。だが、小さな火種だが、このままにしておいては、安倍元首相がいったような“困った事態”になるかもしれない。 

 そのためには、天皇と秋篠宮が何度も会い、胸襟を開いて話し合うことが必要なこというまでもない。 

今年、3年ぶりに行われた一般参賀に、愛子さんが初めて出席した。最初はやや緊張気味だったようだが、その初々しい姿が参列した人たちに「かわいい」と、好感をもたれたようだ。  

これからは「皇室の顔」になる愛子さんを、このままどっちつかずの状態のままにしておいていいはずはない。愛子天皇実現には、表立ってはできないが、内々、秋篠宮の同意も必須であるはずだ。 

 子どもの頃、仲のいい兄弟だった2人だから、できないはずはない。2人が談笑している姿を、多くの国民も見たいと思っているのは間違いないのだから。 



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皇室存続の危機のなか、愛子さまが「もっとも天皇にふさわしい」と言える、2つの「シンプルな理由」(現代ビジネス)

2024年12月07日 21時03分40秒 | 皇室のこと

皇室存続の危機のなか、愛子さまが「もっとも天皇にふさわしい」と言える、2つの「シンプルな理由」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース 






皇室存続の危機のなか、愛子さまが「もっとも天皇にふさわしい」と言える、2つの「シンプルな理由」

12/6(金) 8:04配信




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過去のわが国には、10代8人の女性天皇がいたとされています。しかし、明治時代になりと、制定された明治22年(1889年)の旧皇室典範で、皇位継承は「男系の男子」だけに限定されました。


【写真】小室圭さんの様子がおかしい…2年前とはまるで「別人」に


専門家によれば、「側室制度のあった時代の古いルール」ということですが、その側室制度がすでに過去のものとなっているにもかかわらず、現行の皇室典範でも「男系の男性」に限っています。そんな皇位継承のルールは、「明らかな欠陥を抱えている」と識者は力説します。


『愛子さま 女性天皇への道』をこのほど上梓した、皇室研究者の高森明勅さん(國學院大學講師)に、そもそも天皇の地位を継承することにおいて、最も必要なことは何か――。そのシンプルな視点で、次代の天皇像ををうかがいました。


欠陥を抱えるルールは見直しが必要
天皇の地位を継承するルールについて、政治の取り組みが遅れ、迷走が続いています。しかし常識的に考えると、とりたてて難しいテーマではありません。いたってシンプルな話なのです。そのポイントはふたつだけ。


ポイントの「1」は、天皇陛下の後継者は今の天皇陛下と最も血縁が近く、そのお気持ちや考え方をきちんと受け継いでいる人が誰よりもふさわしい、ということ。当たり前ですね。


もうひとつ、ポイントの「2」は、こちらは意外と気づかれていないかもしれませんが、皇位継承のルールが歴史上かつてないほど狭く、窮屈になっている。


それが原因で遠くない将来に、後継者を確保できなくなりそうな不安定な状態に陥っています。だから、欠陥をかかえるルールを見直して、安定的な皇位継承が可能になるルール作りが欠かせません。このふたつだけ。


血統とお気持ちをまっすぐ受け継ぐ方
写真:現代ビジネス


天皇陛下の後継者になりえる皇族のうち、最も血縁が近い人はどなたでしょうか――。改めて言うまでもなく、令和の皇室でただおひとりの「皇女」(天皇の娘)、敬宮愛子内親殿下という答えになります。


「愛子さま」という呼び方がすっかり定着しています。ご本人のお人柄や雰囲気とお名前が、ぴったりと一致しているからでしょう。それはもちろん結構だと思います。


その一方で、直系の血筋を受け継いでおられるので、お若い皇族方の中でおひと方だけ、「愛子」というご本名とは別に、「敬宮」というご称号もお持ちです。


堅苦しい印象を与えても困るのですが、こちらのご称号が置き去りにされがちなのもちょっぴり残念なので、本記事では「敬宮殿下」という呼び方とさせてください。


しかも、敬宮殿下は単に血縁が近いだけではありません。お生まれになって以来、天皇、皇后両陛下によって愛情深く育てられ、両陛下のお気持ち、お考えを、誰よりも深くおそばで学んでこられています。


もうこれらの事実だけからでも、次の天皇に最もふさわしいのはどなたかということは、明らかなのではないでしょうか。


本来、次の天皇になられることが誰よりもふさわしい方が実際におられるのに、「女性だから」という“だけ”の理由でその方が天皇になれないルールがあった場合、どうすればよいのでしょうか。


仕方がないので、その方以外の“男性”の中から後継者を選び直すのか。それともルール自体を正しく直すのか。


答えは簡単ですね。とても正当と思えない理由によって、最適な方が後継者から除外されてしまうという欠陥をかかえたルールなら、そのルールを正すのが「正解」ではありませんか。


…皇室研究者の高森明勅氏によれば、天皇、皇后両陛下のお気持ちを敬宮殿下がまっすぐに受け継いでおられるといいます。そのエピソードを後編記事<やっぱり「愛子さま」は凄かった…伊勢神宮参拝でみせた秋篠宮家との「圧倒的な違い」>で明かします。


高森 明勅(皇室研究者)






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悠仁さま 筑波大の推薦入試を受験されていた! 紀子さまの“高学歴志向”に国民反発で東大は断念

2024年12月06日 13時03分57秒 | 皇室のこと

悠仁さま 筑波大の推薦入試を受験されていた! 紀子さまの“高学歴志向”に国民反発で東大は断念(女性自身) - Yahoo!ニュース 



悠仁さま 筑波大の推薦入試を受験されていた! 紀子さまの“高学歴志向”に国民反発で東大は断念
12/3(火) 6:00配信


筑附は筑波大学への内部進学枠を持っていません。しかし推薦入学であれば、推薦する高校と、推薦を受ける大学のトップが同じわけですから、不合格という事態は避けることができるでしょう。永田学長は’23年度で任期満了となりましたが、再任し、任期は’27年3月までとなっています」(前出・宮内庁関係者)



女性自身
この数年、ご進学先に注目が集まっていた悠仁さま(写真提供:宮内庁)


キャンパスの周辺を警察車両が周回し、テレビクルーの姿まで……、いつもとは異なる張りつめた空気に、学生たちはいぶかしげな表情を見せていたという。


【写真あり】受験日の前々日の11月26日に、斂葬の儀に参列されていた悠仁さま


「悠仁さまが筑波大学で推薦入試を受けているそうです」


そんな宮内庁関係者の情報をもとに、本誌が茨城県つくば市に急行すると、大学の門の前には複数のテレビ局のカメラをかまえたクルーたちが……。


8月には推薦制度を利用した東京大学入学への反対署名活動が起こり、その署名を東大が受け取り拒否するなど、国民的関心事になっている悠仁さまのお受験騒動の“答え”が判明したのだ。


「11月28日と29日、2日にわたって筑波大学の推薦入試(学校推薦型選抜)が行われました。1日目が小論文、2日目が面接です。


推薦要件はそれぞれ異なり、悠仁さまがどの学類を受験されたかはわかりません。ちなみにご進学先として有望視されている『生命環境学群・生物学類』の推薦要件は《(1)生物界や生き物の仕組みに関する広い興味を有し、調査書の学習成績概評A段階に属する者……、(2)生物界や生き物の仕組みに関する広い興味を有し、生物や数学に優れた能力を持ち、かつ、生物の学習や実験に意欲的で、生物に関連する自主研究や国際生物学オリンピック等で実績を有する者……》などとあります。


トンボなどの研究を長年続け、国際昆虫学会議にも参加した悠仁さまは、この推薦要件に該当されたのでしょう」(皇室担当記者)


紀子さまは母として、悠仁さまのご進学について、幼いころから入念に進められてきた。


皇室担当記者が続ける。


「祖父や父が東大を卒業しており、実弟の川嶋舟さんも東大大学院で博士号を取得しています。また“天皇家の嫁”として比較され続けてきた雅子さまも東大で学ばれたということもあってか、ずっと悠仁さまの東大ご進学を目指されてきたといわれています」


’10年に悠仁さまがお茶の水女子大学附属幼稚園に入られた際には、特別入園制度を利用された。


「紀子さまが日本学術振興会の名誉特別研究員として同大で研究されていたことから、女性研究者を支援する制度が適用されたのです。


また悠仁さまのお茶の水女子大学附属中学校から都内有数の難関校である筑波大学附属高等学校(以下、筑附)へのご進学時も、『提携校進学制度』を利用されました。この経緯についても宮内庁からは十分な説明がなかったために物議を醸し、紀子さまの“高学歴志向”が国民に強く印象づけられたのです」(前出・皇室担当記者)

悠仁さまの論文の執筆に対して“不公平”との声も
さらに、昨年11月に悠仁さまと有名研究者との共同執筆による論文「赤坂御用地のトンボ相─多様な環境と人の手による維持管理─」が発表されたことで、秋篠宮家に対する逆風はより強まっていった。


前出の宮内庁関係者はこう語る。


「赤坂御用地は、一般人は立ち入ることができません。そういった場所で、専門知識を持つ宮内庁職員や、国立科学博物館の研究員たちと論文を執筆できるのは、悠仁さまが特別な立場でいらっしゃるからにほかならず、“競争の場である受験に、こうした論文を利用されるのは不公平なのではないか”という意見も多かったのです。


この事態に紀子さまは焦燥を募らせておられたと思います。このまま悠仁さまが東大に入学したとしても、将来、天皇として即位されたときにはたして国民から支持を受けられるのか、という問題に直面されたのです」


また悠仁さまのご成績も伸び悩んでいたという。本誌の取材に次のように証言する関係者もいた。


「悠仁さまのクラスでの授業を受け持った教諭は、“質問をされても悠仁さまは、お答えになれず、硬直されてしまわれた”と話していました。はたして筑附へのご進学は、悠仁さまにとって望ましいことだったのか……」


東大への推薦入学のためには、共通テストでおおむね8割以上の得点も必要とされているのだ。


宮内庁が紀子さまのご体調不良を発表したのは今年1月6日のことだった。年末から胃腸の不良が続いていらしたという。しかし、それから約10カ月たち、紀子さまのご体調は回復傾向にあるようだ。


秋篠宮さまは11月30日に59歳のお誕生日を迎えられた。それに先立つ25日の記者会見では、紀子さまのご体調についてこう語られたのだ。


「完全に元の状態に戻っているかというとそうではないと思います。ただ、随分と回復して、通常の活動を行えるようになっております」


またこの同日には、12月3日から8日までトルコを公式訪問されるのに際して、ご夫妻で記者会見にも臨まれているが、お二人の表情は心なしか明るく、悠仁さまのご留学についても言及されていた。


「私は、長男には海外で学ぶ機会を得てほしいと思っています。今暮らしている所と違う場所、また違う文化の所に行って、そこから日本を見つめ直すこともできましょうし、また、その機会を使って、いろいろな所を回って、見聞を広めるという意味でも大事だと思います。


そして、本人が大学に入ったら学びたいと言っているのが、自然誌分野なわけですけれども、もし、自然誌の分野で、更に深めようと思うときに、私の経験からでも言えることではありますけれども、欧米は資料を日本と比べものにならないぐらい持っております」

ご留学の話題から感じられたご夫妻の余裕
これまで悠仁さまの大学ご進学について言及が少なかった秋篠宮さまが、悠仁さまの未来について、とうとうと語られたことに、記者たちは驚いたという。


こうした記者会見で目撃されたご夫妻の“変化”について静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは次のように語る。


「記者会見のご様子からは、どこか余裕のようなものを感じました。一般的に言えば、進学先がまだ決まっていない不安な状況では、おそらく大学入学後となるご留学について想像することは難しいと思います。


それにもかかわらず秋篠宮ご夫妻が悠仁さまのご留学について明るく話していたことから、ある程度ご進学先が固まっているような印象を受けました」


紀子さまが目指された“東大一直線”から筑波大学ご入学への進路急転は、いつごろのことだったのだろうか?


「9月11日、西村泰彦宮内庁長官が定例会見で、悠仁さまの進学先に関し『根拠のない報道については、私も心を痛めている』と、唐突に言及しています。


宮内庁長官のいう“根拠のない報道”とは東大進学に関する報道のことを指すと思われます。おそらくこの前に、悠仁さまの筑波大学推薦ご入学の方針が固まったのでしょう。『もともと悠仁さまは東大を目指されていなかった』ということにしたかったのでしょうか。


悠仁さまは高校2年生の6月に学校行事の一環として筑波大学に、さらに8月には、つくば市にある農業・食品産業技術総合研究機構を訪問されています。このころからご本人は筑波大学を志望校として意識されるようになったのではないでしょうか。


東大へのご進学戦略を推進されてきた紀子さまも、不本意ながらも方針転換を余儀なくされたようです。最終的にコンセンサスを得るにあたってはキーパーソンの存在も見逃せません」(前出・宮内庁関係者)


そのキーパーソンとは、筑波大学の永田恭介学長だという。


「筑附も筑波大学も同じく国立大学法人筑波大学が経営しています。永田学長は、悠仁さまが筑附に入学された際、『大変光栄なこと』などと語っています。


筑附は筑波大学への内部進学枠を持っていません。しかし推薦入学であれば、推薦する高校と、推薦を受ける大学のトップが同じわけですから、不合格という事態は避けることができるでしょう。永田学長は’23年度で任期満了となりましたが、再任し、任期は’27年3月までとなっています」(前出・宮内庁関係者)


秋篠宮さまのお誕生日に公表されたご一家4人のお写真は、笑みがあふれており、苦闘の末にようやく“末っ子の難題”を乗り越えた安堵も伝わってくるかのようだった。














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