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戦車が2両。部隊は完全武装し…」ベテラン猟師を殺した“凶悪ヒグマ”の駆除に自衛隊が立てた作戦とは

2025年02月07日 00時03分35秒 | 政治のこと


「戦車が2両。部隊は完全武装し…」ベテラン猟師を殺した“凶悪ヒグマ”の駆除に自衛隊が立てた作戦とは(文春オンライン) - Yahoo!ニュース 




「戦車が2両。部隊は完全武装し…」ベテラン猟師を殺した“凶悪ヒグマ”の駆除に自衛隊が立てた作戦とは

2/24(金) 6:12配信2023

138コメント138件
©AFLO

 イノシシ、シカ、クマ……。害獣被害の報道が絶えない近年であるが、先日こんな報道があった。千葉県議会の超党派でつくる「有害鳥獣対策推進議員連盟」が、防衛相に次のような陳情をしたという。 

【写真】クマを警戒して、自衛隊のM3ハーフトラックで登校する児童 

 陳情書では、自衛隊の退職者について「社会貢献への意識が高く、野外活動経験が豊富で、高度な技術を持つ」として、鳥獣被害防止活動への参加を促す広報活動の充実を求めた。また、現役隊員による鳥獣対策への「組織的な支援」も検討するよう求めている。

 朝日新聞 イノシシなど害獣捕獲に自衛隊活用案 ベテラン猟師が感じた限界

 https://digital.asahi.com/articles/ASR1S3QMNR1RUDCB00F.html   

ここでいう「組織的な支援」とは、集団で猟を行う際に獲物を追い立てる勢子(せこ)役や、輸送支援などを期待しているようだ。自衛隊の小銃で害獣を駆除するわけではない。


「まるで戒厳令」1962年、北海道標津町で…


 ところが、過去に害獣対策で自衛隊が出動し、武器が使われた事例もいくつか存在する。F-86戦闘機まで投入された北海道日高地方のトド駆除が有名だが、戦車まで出動し、小中学校の生徒が自衛隊車両で送迎され、自衛隊も駆除に駆り出された熊害事件もある。ところが、事態の切迫度に比して知名度が低い。自衛隊による害獣対策としてこのクマ駆除事案を取り上げたい。

 〈戦車が二台、ものすごい土煙をあげて進み、そのあとに広瀬二郎一尉がひきいる第二十七普通科連隊の精鋭二十四人がつづいた。部隊は完全武装し、機動力はトラック四台、ジープ一台。本隊と結ぶ無線機は、ひっきりなしに鳴りつづけた。部隊の到着を、部落は不気味な静寂をもって迎えた。部落民は、まだ日のあるうちに畑仕事を切りあげ、しめきった家のなかで息を殺していた。 「まるで戒厳令だなあ」 

 広瀬一尉らは、クマの襲撃にそなえ、部落の守備隊として進駐してきたのである〉  これは北海道標津町の古多糠部落(集落)に自衛隊が進駐する様子を伝えた「週刊読売」(1962年11月4日号)の記事の一節である。  

自衛隊の災害派遣報道は今も多いが、伝え方が明らかにそれとは異なり、まるで戦火に怯える村のような風情だ。


家畜の被害のみならず猟師2名が亡くなる惨事に

 1962年は、道東でヒグマ被害が相次いだ年だ。十勝岳が6月に噴火したことで道東の広範囲が降灰に見舞われ、夏の長雨もあって、クマの食料が不足していたと見られる。特に標津町では秋に入ってクマ被害が多発しており、酪農を主要産業とする標津町は熊害対策本部を設置し、根室支庁を通じて陸上自衛隊第5師団の災害派遣を要請した。 

 最近でも、2019年から標茶町や厚岸町で家畜に被害を出している「OSO18」と呼ばれるヒグマが話題になっている。しかし、OSO18は単独のヒグマであるのに対して、1962年の標津町の事例では複数のヒグマが地域に出没して家畜を襲っていた。それこそ、毎日のようにクマを撃ったと報告があるのに、家畜に被害が出る状況だったという。

  OSO18との最大の違いは、人的被害も生じていたことだ。生涯で63頭のクマを仕留めた73歳の男性は、9月24日にワナの見回りに銃を持って出かけたところ、翌日に背後から襲われて亡くなっているのが発見された。翌月、仇討ちに出た男性の息子も背後から襲われ負傷している。また、これもベテランのアイヌの猟師も市街地に近い場所で襲われて亡くなるなど、駆除に関わっていた猟師2名が亡くなる惨事となっていた。


害獣への武器使用は法的に可能?

 当初、派遣された自衛隊部隊は学童の護送や地域のパトロール活動のみで、クマに対する武器の使用は狩猟法(現:鳥獣保護管理法)を盾に否定的だった。しかし、地域からの「人の生命より法律がだいじなのか」との声によって、応援部隊の到着を待ってクマ狩りを展開することになったと前掲の週刊読売の記事は伝えている。 

 害獣相手に自衛隊の武器が使用できるか、と疑問に思われる方もいるかもしれない。自衛隊法第94条では災害派遣時の自衛官の権限を定めている。これは警察官の職務執行における手段を定めた警察官職務執行法に準じていて、警察官がその場にいない場合、

「人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞のある天災、事変、工作物の損壊、交通事故、危険物の爆発、狂犬、奔馬の類等の出現、極端な雑踏等危険な事態がある場合」(強調部筆者)においては、

「危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる」としており、これに則った対応を取ったと考えられる。 

 実際、自衛隊によるクマ狩りはこれが初めてではない。1961年9月5日には、北海道松前地方でのクマによる農業被害を受けて、海上自衛隊函館基地隊から隊員3名と猟銃5丁が出動して、5日間のクマ狩りが実施されたと1962年の自衛隊年鑑に記されている。60年代は自衛隊によるクマ狩りが度々行われており、現在とは異なる切迫した空気を感じさせる。  



毒入り肉を食べたクマに這って忍び寄り…
 帯広から増援で駆け付けた安藤一尉も加わって作戦会議が行われ、毒入りの豚肉が出没予想地点に撒かれた。そして、湿原に埋設した毒入り豚肉が掘り起こされているのが確認されると、戦車1両と自衛隊員25名が周囲を包囲、捜索し、毒で苦しみ川で水を飲んでいるクマを発見した。  湿地帯を腹ばいで進み、クマまで30メートルに接近すると、安藤一尉と古多糠農協秘書長が立ち上がり、ライフルと散弾銃でクマを射撃。頭部に4発の銃弾を浴びて倒れたクマは250キロ以上もある大物だったという。


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立憲が“紙の保険証”復活法案を提出 「廃止は時期尚早」

2025年01月31日 21時03分44秒 | 政治のこと





立憲が“紙の保険証”復活法案を提出 「廃止は時期尚早」
1/28(火) 10:53配信




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TBS NEWS DIG Powered by JNN
TBS NEWS DIG Powered by JNN


立憲民主党は28日、去年12月に新規の発行が停止された健康保険証を復活させるための法案を提出しました。


立憲民主党 中島克仁 衆院議員
「マイナ保険証に対する信頼、やっぱりこの不安をしっかり払拭しなきゃいけないと。そういう状況になるまでは、やはり紙の保険証、現行保険証を併用していくこと、これが大前提」


立憲民主党は、マイナ保険証について「利用率は25%と低迷し、国民に浸透しているとは評価できない」「紙の保険証の廃止は時期尚早」だとして、去年12月に新規発行が停止された保険証の発行を復活させるための法案を提出しました。


これに対し、平デジタル大臣は会見で、マイナ保険証について「政府としては比較的順調に進捗をしている」との認識を示し、「大きな方針の転換は必要ない」と反論しました。


TBSテレビ




立民、健康保険証「復活」法案を提出 「廃止は時期尚早」 マイナとの併用継続を訴え
1/28(火) 20:00配信


立民、健康保険証「復活」法案を提出 「廃止は時期尚早」 マイナとの併用継続を訴え
1/28(火) 20:00配信


カナロコ by 神奈川新聞
法案提出後に記者団の取材に応じる中谷氏(中央)ら=28日、国会内


 立憲民主党は28日、昨年12月2日に新規発行が停止された健康保険証を復活させる法案を衆院に提出した。提出した議員らは「現時点での保険証廃止は時期尚早」とし、当面の間はマイナ保険証との併用継続を訴えた。


 法案は、マイナ保険証の利用が低迷する現状では現場の混乱や国民の不安が生じる懸念があると指摘。従来の保険証発行を復活し、改めて保険証の廃止時期を検討すべきとした。マイナ保険証によるオンライン資格確認が安全、確実に行われる環境整備が整うことなどを検討し、廃止時期を定めるとした。


 提出後に記者団の取材に応じた中谷一馬氏(衆院7区)は、マイナ保険証導入後も政府の医療DX(デジタルトランスフォーメーション)が遅れている現状を念頭に「デジタル政策を推進する立場から、アナログとデジタルのバランスを取りデジタル社会を形成することが重要だ」と訴えた。


 県関係の提出者には早稲田夕季氏(4区)、阿部知子氏(12区)も加わった。


神奈川新聞社





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元首相が30年以上、朝の駅前に立ち続ける理由 原点に松下幸之助さんの助言

2025年01月31日 03時03分08秒 | 政治のこと


元首相が30年以上、朝の駅前に立ち続ける理由 原点に松下幸之助さんの助言
1/4(水) 6:01配信



JRの駅前で「かわら版」と称する政策ビラを配る野田佳彦首相=12月26日、千葉県

 「おはようございます」―。昨年末。まだ夜の帳が降りたままの午前6時前。千葉県内のJR駅前に、背広姿をした政治家の声が響いた。

【写真】衆院本会議で安倍元首相の追悼演説をする立憲民主党の野田元首相  気温は2度。コートを着ないと凍えそうだが、この男性は平気な顔をして、自身の活動をつづった政策ビラを通勤客に配っていく。ビラを受け取ってもらえなくても、頭を下げ「いってらっしゃい」と声をかけた。

  男性は、選挙を目の前にして焦っている政治家ではない。かつて、この国の宰相を務めた野田佳彦衆院議員(65)=立憲民主党最高顧問=だ。

  野田氏は平日の朝、2~3時間、選挙区(千葉4区=船橋市南西部)内のいずれかの駅前に立ち、通勤客らに「かわら版」と称するビラを配布するのが日課だ。立民ベテランは「野田氏ほど『駅立ち』に熱心に取り組む議員は日本にいないだろう」と言い切る。 

 野田氏は選挙に弱いわけではない。これまで9回の当選を重ね、選挙区は「野田王国」(自民党関係者)と呼ばれる。では、なぜ首相も経験した大物政治家が早朝から駅に立ち、常在戦場の活動を続けるのか。野田氏はきっぱりと言う。

  「私は『街頭の野田』です。その看板を下ろすつもりはありません」



■全国紙とNHKに内定


 野田氏は、父が自衛官の家庭に生まれた。家族、親戚に政治家はいなかったが、幼少期から政治の存在を強く意識してきた。社会党の浅沼稲次郎委員長やジョン・F・ケネディ米大統領の暗殺事件を知り、「政治家は命懸け」と子供心に敬意を覚えた。一方で学生時代、ロッキード事件に端を発した田中金脈問題が発覚し、金権政治に失望した。


 金権体質を批判した自民の中堅議員らが離党して新自由クラブを結成。大学生だった野田氏は、その行動に共感してボランティアとして選挙を手伝ったが、旬が去ると、議員たちはあっさりと古巣に出戻っていった。野田氏は「志がない」と落胆し、

「非自民」を貫く原点となった。

  一時は記者を志し、全国紙とNHKに内定をもらった。だが、「経営の神様」といわれたパナソニック創業者・松下幸之助氏が「松下政経塾」を創立すると知り、就職をやめ、塾の門をたたいた。




「権力は必ず腐敗する。自民に代わる政党をつくる必要がある」。政権交代ができる「二大政党制」の実現を追い求める政治家人生が始まった。



■「皿回しして人を集めたらよい」


 5年に及ぶ政経塾での研修を終え、千葉県議選への挑戦を決めたものの、その時点での身分はフリーター。選挙に必要な「地盤(後援会)」「看板(知名度)」「カバン(選挙資金)」のどれ一つない20代の若者が当選する可能性は低かった。 

出馬に不安はあったが、松下氏から「日本をよくしたいという善意があれば、必ず当選する」と背中を押された。家庭教師や、プロパンガス店でのガス漏れ検針のアルバイトで生活費を稼ぎつつ、戸別訪問など地道な政治活動を行った。 

 ある時、公民館での集会を企画した。意気込んで座布団をたくさん敷いたが、来たのはたった一人。

「これじゃとても当選できない」。松下氏に相談したら「皿回しして人を集めたらよい」とアドバイスを受けた。「皿回しする器用さはないが、人通りのある駅前で演説してみるか」と考えた。 

 1986年10月から野田氏の駅立ちは始まった。当時、選挙期間以外に街頭で演説をする人は珍しく、最初は皆、一見するだけだった。しかし、続けていると「頑張ってね」と声をかけてくれたり、あめやカイロをくれたりする人も現れた。訴えに共感して支援してくれるボランティアも次第に増えた。






■立てば0・5ミリでも前進する
野田佳彦氏が駅前で配っている政策ビラ。乗降客の多い駅では1日3千枚を配布するという

 29歳で県議に当選し、36歳で日本新党から国政に進出。新進党、民主党と所属は変わったが、平日の駅立ちは続けた。 

 たとえ前日仕事で遅くなっても、二日酔いでも、風邪をひいても駅に立った。最近では、新型コロナウイルスのワクチン接種で副反応があった時も、体にむち打ち、駅に向かった。

「1日でも立てば0・5ミリでも前進する。自分の都合で休んでしまったら後退してしまう」 

 街頭に立てば応援してくれる人ばかりではない。所属

2012年12月に首相を退任した後、駅立ちを再開した。支援者によると、野田氏は見知らぬ人から「あなたが民主党を駄目にした」などと容赦ない言葉をぶつけられ、受け取ったビラをその場で投げ捨てられたこともあったという。

  野田氏はたんたんとビラを拾い、厳しい声にも耳を傾け続けた。「逆風の時こそ有権者の前で説明責任を果たさないといけない。長い目で見れば、信頼につながるはず」と信じた。


■首相退任後よぎった引退
 実は、首相退任後、引退が頭をよぎった時期があった。短いながら首相となり、課題に全力で取り組んだという達成感がどこかにあった。「これから政治活動が惰性になってしまうのではないか」とも危惧した。  ただ、12年の総選挙で大敗した民主党はその後、離合集散を繰り返し、野党は多党化した。自民1強が際立つ中、自身が希求した二大政党制が遠のく様にじくじたる思いだった。  この10年の野党を「私も含め挫折の連続だった」と振り返る。「このままではいけない。もう一度、政権交代できる世の中をつくりたい。せめて道筋をつけなければいけない」。引退する案は消えた。  心に残る人がいる。民主党衆院議員だった永田寿康氏。弟のような存在で親しく付き合い、ともに二大政党制の夢を追った。その永田氏は06年、偽物のメールを根拠に自民党幹部を追及してしまい、議員辞職に追い込まれた。国対委員長で上司だった野田氏も引責辞任した。  そして永田氏は、09年に民主党が政権を獲得する前に自ら命を絶った。支えられなかった自責の念と、政権交代を見せられなかった心残りが今もある。「永田氏は、今の1強多弱の状況をどう思うか。私は死んでも死に切れない」  民主党の後継政党「民進党」の解党後はしばらく無所属だったが、20年9月に旧立民と旧国民民主党が合流した際に参加した。
■「演説で初めて泣きました」
政策ビラを配る野田佳彦元首相。「駅立ち」は1986年から続ける平日朝の日課だ=12月26日午前6時半ごろ、千葉県

 そんな野田氏に再び脚光が当たる機会が今年訪れた。自民党から安倍晋三元首相の追悼演説を依頼され、10月25日、衆院本会議場の演壇に立った。

  「政敵」である安倍氏の人柄を評価した上で功罪も問いつつ、「また議場で火花散る真剣勝負を戦いたかった」と訴えた。演説には、その場にいた与野党の議員だけでなく、国民にも大きな共感の輪が広がった。 

 演説後、駅前に立つと、通勤客から声をかけられるようになった。「感動しました」「演説で初めて泣きました」。それは、追悼演説から2カ月経過した今も続いている。野田氏はしみじみと語る。「ありがたい。政治とは言葉なんだとつくづく思います」  

野田氏が世間で再評価される中、立民の一部議員からは「やはり自民に対峙(たいじ)できるリーダーは野田さんだ」という待望論も聞こえてくる。ただ、野田氏は「党に厚みを感じさせるような、チームの一員でいたい」と一笑に付す。


以下はリンクで、




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石破首相はトランプ氏に見捨てられたが…安倍昭恵夫人に訪米報道、会談行う方針 決め手は「会う価値」あるかどうか

2024年12月13日 11時13分50秒 | 政治のこと


石破首相はトランプ氏に見捨てられたが…安倍昭恵夫人に訪米報道、会談行う方針 決め手は「会う価値」あるかどうか

12/12(木) 17:00配信




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夕刊フジ
安倍元首相の昭恵夫人(写真)はトランプ夫妻との交流も深い


【ニュースの核心】


米誌タイムが12日に発表する毎年恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」にドナルド・トランプ次期大統領が選ばれるとニュースサイト、ポリティコが報じた。トランプ氏は来年1月の就任前に、ロシアのウクライナ侵略で続く戦争の終結を目指して各国首脳と会談するなど、外交を本格化させている。一方、日本の石破茂首相はトランプ氏の早期会談を実現できないままだ。こうしたなか、フジテレビと産経新聞が11日夜、安倍晋三元首相の昭恵夫人が今週末にも訪米し、トランプ氏と会談する方向で調整していると報じた。石破首相は安倍政権時代、後ろから弾を撃ち続けた人物である。ジャーナリストの長谷川幸洋氏は、石破政権下で高まる「日本の危機」に迫った。


【比較してみる】若干フサフサに…。左が11月27日午後の石破茂首相、右が12月2日午前の姿


トランプ氏が7日、パリで開かれたノートルダム大聖堂の再建を祝う祝典に参加したのを機に、フランスのエマニュエル・マクロン大統領、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談した。これで、石破首相はトランプ氏から排除された事実がはっきりした。


最重要な同盟国である米国の大統領に会えないようでは、石破首相が何を語ろうとも、日本の将来は危うい。


石破首相は11月、南米訪問の帰途に米国に立ち寄って、トランプ氏との会談をもくろんでいたが、実現しなかった。その際、首相周辺は「大統領は就任前に外国首脳とは会わない法律(ローガン法)がある」と説明していた。


ところが、実は会っていた。今回だけではない。アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領とはフロリダで開かれた祝賀会で顔を合わせ、カナダのジャスティン・トルドー首相や、ハンガリーのオルバン・ビクトル首相とも会談している。


「法律がある」というのは、建前にすぎなかったのだ。


なぜ、トランプ氏は石破首相と会わなかったのか。


理由は明白だ。会う価値がなかったからだ。トランプ氏がパリで3者会談に応じたのは、ウクライナ停戦の可能性を探るためだった。ゼレンスキー氏は「生産的な会談だった。公正な平和が必要だ」と語っている。


ゼレンスキー氏はその後、ドイツの野党指導者と開いた会見で、「外交的解決を探る」と語り、NATO(北大西洋条約機構)に加盟するまでの間、停戦を監視する「外国軍の駐留案」まで口にしている。トランプ氏との会談が下敷きになったのは明らかだ。

マクロン氏はウクライナ支援の継続を強く訴えており、停戦を模索するトランプ氏とは距離がある。それでも会談したのは「意味がある相手」だったからだ。ようするに、トランプ氏にとっては、会う価値がある相手なら会うが、なければ会わない。それだけの話なのである。


石破首相が「アジア版NATO創設」のような、日本が憲法を改正しなければ実現できない政策を掲げているのは、周知の事実だ。トランプ氏は石破首相が自分の盟友だった安倍元首相の「政敵」だったことも承知している。


■石破政権は「中国の暴発を誘発する促進剤」


来年3月末に来年度予算案が成立すれば、「石破おろし」が始まる可能性も高い。そんな石破首相に「会う価値はない」と見たに違いない。石破首相は結局、トランプ氏に会えない状態が続くのではないか。


そうなったら、日本にとって一大事だ。


中国は「日米同盟が揺らいでいる」とみて、大攻勢を仕掛けてくる可能性がある。すでに、その兆候はある。


中国は日本人に対する短期ビザの免除再開を決めた。日本を米国から切り離すチャンスとみて、アメをぶら下げたのだ。逆にムチもある。中国は台湾周辺に100隻規模の軍艦などを展開し、軍事演習を開始する構えを見せている。この機に乗じて、日本と米国を牽制(けんせい)する意味もあるだろう。


トランプ氏に見捨てられたも同然の石破政権は「中国の暴発を誘発する促進剤」になっているのだ。


慌てた石破政権は、安倍元首相の妻、昭恵夫人を米フロリダ州のトランプ氏の別荘に派遣して、トランプ氏と面会する可能性を探っているようだ。政敵の妻にすがるとは、まさに「なりふり構っていられない」政権の情けなさを示している。


このまま石破政権が続けば、「台湾危機」という「日本の危機」が訪れるかもしれない









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《“半ケツ”ビラ配り投稿が物議》選挙スタッフ女性が語った過激衣装を着る理由「先生は私を“開発”してくれる」

2024年11月29日 13時03分16秒 | 政治のこと





《“半ケツ”ビラ配り投稿が物議》選挙スタッフ女性が語った過激衣装を着る理由「先生は私を“開発”してくれる」






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SNSで物議を醸したビラ配り(右は晴美本人のXより)
SNSで物議を醸したビラ配り(右は晴美本人のXより)


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 投開票が10月27日に迫る衆議院議員選挙。どの候補者も一層闘志を燃え立たせている一方で、東京26区で出馬している田淵正文氏(66・無所属)の選挙スタッフ女性らに注目が集まっている。SNS上では、ヒップが半分はみ出しているような超ミニスカートのスタッフ女性の写真が相次いで拡散され、物議を醸しているのだ。本人たちに服装の狙いを聞くと、驚くような回答が返ってきた——。【前後編の後編。前編から読む】




 10月25日の夕方18時ごろ、中目黒駅近くに止まった選挙カーには、メガネをかけた真面目そうな男性と、3人の若い女性が上っていた。女性の1人は網タイツにホットパンツの装いで、街宣カーの下から写真を撮ろうとする男性有権者の姿もあった。


 演説が終わったあと、女性スタッフの服装について聞くと、「服装なんていうのは、それぞれの判断で着てきたということですね」「我々の若い頃、バブルのときは、あんなの当たり前だった。それを常識とすると、そんなに騒がれるのかと」と平然と答えた田淵氏。その後、選挙カーに上がっていた女性2人にも話を聞いた。


 網タイツにホットパンツという装いの女性は、セクシー女優の花芽ありすだ。選挙カーに上がっていた女性・A子さんとともに、充実した表情で話した。
──女性スタッフの露出が多すぎると話題になっています。




A子「先生の指示ではない、ということは伝わってほしいですね。完全に自主性なんで」


花芽「普段からこういう格好しているので、普段の格好してたらバズっちゃった感じです。私、セクシー女優やってるんで、シンプルに露出の多い服装が好きなんです」


《“半ケツ”ビラ配り投稿が物議》選挙スタッフ女性が語った過激衣装を着る理由「先生は私を“開発”してくれる」
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「半ケツ」と問題になった投稿(本人のXより引用)
「半ケツ」と問題になった投稿(本人のXより引用)


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──どういう経緯でスタッフになったんですか?




A子「普通に(共通の)友達がいるんですよ。その友達に、仕事でお世話になってて、呼んでもらったんです」


──田淵さんのどういう政策に共感しているんですか?


花芽「いろいろ体の中を見ているお医者さんなので、いつも“開発”されてるんじゃないかなとか。私もぜひ“開発”してほしいなって思いです。私のを見てもらいたいですね」


A子「それ、サイコー!」


──田淵さんの人柄は?




A子「めっちゃ優しいですね。グラビアの子がいるからニヤニヤするとか全然ない。めっちゃ紳士ですよ」


──選挙活動中に男性から声をかけられることはありますか?


花芽「それはありますね。ずっと撮ってくる人とか、ナンパしてくる人もいます。でも意外とクレームはありません。私たち、真面目にやってるだけなんで」



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──写真などがSNSで拡散されることについては?




花芽「バズっていることは良いと思います。男性の支持者も増えると思いますし、そうやって先生の評価を上げられるなら」


 ふたりは楽しそうに話すと、次の街宣場所に移動していった。


 あくまで田淵氏が指示したわけではなく、知人を介して集められた女性スタッフたちが自主的に露出度の高い服装を選んだだけだという。このバズり方が、選挙という場においては吉と出るか、凶と出るか──。





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