親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。写真ACからの写真
中学受験は数字がモノをいう世界。中高一貫校は“偏差値”という数字で明確に上位校から下位校までがランキングされている。さらに受験生たちは、毎月行われるテストの点数でクラス分けされ、塾によっては席までもが、成績順で決められているのだ。
このように、好むと好まざるにかかわらず、塾内には数字によるヒエラルキーが存在する。つまり、超難関校を目指す一番上のクラスが、その塾の校舎内では格付け上位になるわけだ。
当然、一番上のクラスの、そのまたトップ層に君臨している児童は、小学校内でも、塾内でも“神童”という名を欲しいままにしている。そのため、たいていの子たちは「自分は天才・秀才である」というプライドを保ったまま、最難関校に入学していくのだ。
健君(仮名)も、そういう“神童”の一人だった。健君は幼い頃から、音楽教師の母、美恵子さん(仮名)の影響でピアノを始め、さらに英会話、水泳、公文式と、さまざまな習い事をしていたそうだが、利発で聡明、練習熱心ということもあり、どの習い事でも、先生方に「筋がいい」と褒められていたという。
やがて、小学4年生になった健君は中学受験塾に入塾した。もちろん、健君の努力もあり、卒塾するまで、最上位クラスの1番に君臨し続けたという。
そして、最難関と呼ばれる中学に無事に合格。意気揚々と中学生活をスタートさせたが、健君はその後、ある壁にぶつかったという。
「イジメではない」のに、中2の夏休み明けから不登校に
中1の時は、それでも楽しそうに通っていたらしいのだが、中2に進級し始めたあたりから、健君に元気がなくなってきたのを、美恵子さんは感じ取っていたという。
やがて1学期の期末考査が行われたが、成績は見るも無残。夏休み明けの2学期になると、健君は登校することができなくなったそうだ。
美恵子さんが「原因はイジメなの?」と聞いてみるものの、健君は「違う」と力なく答えるだけで、布団を被って寝てしまう。体調不良かと疑い、内科医に連れていくも、「問題なし」という診断結果で、美恵子さんはほとほと困ってしまったという。
美恵子さんいわく「朝からずっと沈んでいて、夕方近くになると、ようやく元気になる」という“謎の病”を発症したかのようだったとのこと。しかし、カウンセラーの先生のところに行っても原因はわからなかったそうだ。
そして健君は学校に行けないまま、中2の3月を迎えることになった。そんな中、健君の従弟に当たる大学生の勇気君(仮名)がやって来て、健君を東南アジア旅行に誘ってくれたという。
「健、暇なら、俺に付き合え!」
旅が趣味でもある勇気君は、自転車で日本1周旅行をしたり、北米大陸をキャンピングカーで縦断したという人物。一人っ子の健君にとっては兄貴分である。久しぶりに会う真っ黒に日焼けした勇気君に魅せられたのか、健君は意外にもあっさりと了承し、2人は機上の人となったのだそうだ。
それから約1カ月あまりたった後、健君が帰国。身長を追い抜かれたことに美恵子さんは、まず驚いたという。
「どうだった?」と聞く美恵子さんに、健君は「土埃舞う道で市井に生きる人たちの喧騒を聞いていた」と答えたらしい。
そして、健君は中3に進級、何事もなかったかのように、クラスに復帰した。
最難関私立は「本当の天才」がゴロゴロいる環境
なぜ息子は、再び学校へ行けるようになったのか。不思議でたまらなかった美恵子さんは、勇気君に「健の心境の変化を教えて」と尋ねたらしいが、笑顔で「さあね、中2病を抜けたんじゃねえの?」としか答えてくれず。真相は藪の中かぁ……と思っていたという。
それから、5年の年月が流れ、健君は難関私立大学に入学。そんなある日、筆者に「あの時の原因がわかった!」と、美恵子さんからの連絡が入ったのだ。
なんでも、健君から、ポツリとこんな話をされたのだという。
「俺、ずっと井の中の蛙だったんだと思う。子どもの頃、結構ピアノがうまかったじゃん? だから、『合唱祭の伴奏は絶対、俺が選ばれるだろう』と思ってたんだよ。でもうちのクラス、ピアノ弾ける奴なんか山ほどいて、しかも有名コンクールで表彰されてる奴もいてさ。しかもそいつに、勉強でも負けてて、もう何やっても勝てないんだよ。あの頃、上には上がいるってことが、結構ショックだったんだ」
幼稚園から小学校時代、全てにおいて“神童”扱いされてきた健君には、相当なるプライドがあり、そのおかげで、日々努力ができていたそう。しかし、中学校に入ったら、周りは神童だらけ。必死に努力して、その地位をキープしてきた自分とは違い、彼らは本当の天才だといい、しかもそんな同級生がそこらにゴロゴロいる環境に、ドンドンと自分の価値を見失っていく思いだったそうだ。
美恵子さんは健君が自分のことを「井の中の蛙」と表現したことで、全てに合点がいったという。
「健は、あの学校の中で天狗の鼻をへし折られたんです。でも東南アジア旅行で、自分のいる世界は狭すぎるって気付いたみたい。随分と大人になってくれたと思います……」
今、健君は1年間の海外留学に向けて準備中だと聞いている。