藤井聡太の強さは“神の一手”にあるわけではない 「将棋は暗記すれば勝てる」論が見落としていること
11/20(月) 11:12配信
文春オンライン
史上初の「八冠」となった藤井聡太竜王・名人 ©文藝春秋
14歳2か月での史上最年少プロデビュー後、29連勝、最年少タイトル、最年少名人位獲得、さらには前人未到の八冠独占......次々と将棋界の記録と常識を塗り替えていく藤井聡太竜王・名人。
【写真】2012年に撮影された、当時小3だった藤井聡太少年と森内俊之九段の貴重な写真
そんな“令和の覇者”の「圧倒的強さ」「真理に迫る一手」の秘密を、羽生世代のレジェンド棋士・森内俊之九段が鋭く深い視点で読み解く。『 超進化論 藤井聡太 将棋AI時代の「最強」とは何か 』(飛鳥新社)から一部を抜粋してお届けする。
暗記と集中力
よく「将棋は暗記すれば勝てるか」と聞かれるが、これは理論的には「YES」、現実的には「NO」だ。
もちろん、あらゆる変化を究極的に暗記すれば将棋の解明に近づくが、このときに求められる情報の量は、想像するよりも遥かに大きい。
将棋の有効局面数は、10の68乗から69乗と推測されている。これは数字の位で言えば“無量大数”だ。1無量大数は、銀河系に含まれる原子の総数に近い数字だと言われているが、そう説明されても、人間にとっては正直ピンとこない数字だろう。
将棋は、1か所でも形が違えば結論がガラリと変わるケースが多い。
「過去の実戦では出ていない局面だけど、似た形でこう指していたから同じように指せばいいだろう」
そういう考えで戦うと、痛い目に遭う。記憶がプラスに作用することもあるが、記憶だけで勝つのは現実的ではないのだ。
それに、そもそもまず研究に使っているAIが正しい答えを出すとは限らない、という前提がある。
また、先に書いた通り、局面は一手進むごとに変化をし続ける。そのため、ずっとAIを使った事前研究を参考にできるわけではなく、事前研究を離れるタイミングがどこかで来る。研究から離れたところでどう指すかが大切であり、勝負を分ける。
また研究から離れれば、ある程度の頻度で“ミス”をすることは避けられない。
将棋は好手で勝つゲームではなく、いかに悪手を指さないかで差がつくゲームである。ミスは難解な局面で起こるが、将棋は終盤になると「最善手以外は負け」というような難しい局面が頻出するのだから、持ち時間が少なくなる終盤では、ある程度のミスが出るのは仕方がないとも言える。
形勢が悪くなっても、粘り強く戦って逆転に漕ぎつける
ところが、藤井さんはそのミスが圧倒的に少ない。
「藤井曲線」という言葉は、藤井さんが徐々にリードを広げて評価値を上げていくグラフの形を言い表したものだが、ミスが少ないからこそ、勝利に向かって揺るぎなく淀みない美しい曲線が描ける。
また形勢が良いときだけでなく、悪いときもミスをしないことは重要だ。プロは大差になれば間違えないが、微差でついていければ何が起こるかわからないからだ。
藤井さんは悪くなっても、粘り強く戦って逆転に漕ぎつける。だがそれは、しばしば“神の一手”と評されるような何か特別な手を指しているわけでも、まして一発逆転の秘術に長けているからでもない。一手一手、深く集中しながら考え続けて、精度の高い手を指し続けているからにほかならない。藤井さん自身も、著書の中でそう認めている。
〈《秒読みで残り時間が少ないときでも、本当に集中していれば、最善に近い手を導き出せるような感覚はあります》(『考えて、考えて、考える』より)〉
藤井さんには多くの武器があるが、こうした集中力の高さも強さの源泉であると私は思っている。
常識にとらわれない
藤井さんには、中盤で選択肢がいくつかある状況では、見た目は指しにくくても効果的な手であれば躊躇なく指す、という特徴がある。
最近は、従来の常識では考えられないような手が有効だと判明することが増えた。現在のAI活用法としては、自分の価値観とマッチする指し方を掘り下げ、理解の枠外にあるような手は避けるのが多くの棋士の考え方ではないかと思う。
その中で藤井さんは、棋力向上を自身最大の目標として掲げていることもあり、AIの判断基準を取り入れて自分の力にしようとしている。
将棋は論理的なゲームだが、一方で、美意識の強い世界だ。
大相撲で横綱が搦め手を使ったり、立ち合いで変化すると批判が出るように、「第一人者は正々堂々とあれ」という空気が将棋界にもあった。
例えば、羽生さんは20代の頃、まれにそれまでの常識にはなかった手を指すこともあったが、勝つことで批判の声を押さえてきた。
現在はAIの評価値が“新たな権威”となっている感があるが、人間が持つ美意識もまだ根強く残っている。美しい、筋がいい、味がいい、手厚い、際どい、危ない――人間はこうした直感を形勢判断の助けにしてきた。特に、美意識から外れた手を排除することで、効率よく読みを進める考え方は、棋士の本能とも言える。
ところが、藤井さんはそのミスが圧倒的に少ない。
「藤井曲線」という言葉は、藤井さんが徐々にリードを広げて評価値を上げていくグラフの形を言い表したものだが、ミスが少ないからこそ、勝利に向かって揺るぎなく淀みない美しい曲線が描ける。
また形勢が良いときだけでなく、悪いときもミスをしないことは重要だ。プロは大差になれば間違えないが、微差でついていければ何が起こるかわからないからだ。
藤井さんは悪くなっても、粘り強く戦って逆転に漕ぎつける。だがそれは、しばしば“神の一手”と評されるような何か特別な手を指しているわけでも、まして一発逆転の秘術に長けているからでもない。一手一手、深く集中しながら考え続けて、精度の高い手を指し続けているからにほかならない。藤井さん自身も、著書の中でそう認めている。
〈《秒読みで残り時間が少ないときでも、本当に集中していれば、最善に近い手を導き出せるような感覚はあります》(『考えて、考えて、考える』より)〉
藤井さんには多くの武器があるが、こうした集中力の高さも強さの源泉であると私は思っている。
常識にとらわれない
藤井さんには、中盤で選択肢がいくつかある状況では、見た目は指しにくくても効果的な手であれば躊躇なく指す、という特徴がある。
最近は、従来の常識では考えられないような手が有効だと判明することが増えた。現在のAI活用法としては、自分の価値観とマッチする指し方を掘り下げ、理解の枠外にあるような手は避けるのが多くの棋士の考え方ではないかと思う。
その中で藤井さんは、棋力向上を自身最大の目標として掲げていることもあり、AIの判断基準を取り入れて自分の力にしようとしている。
将棋は論理的なゲームだが、一方で、美意識の強い世界だ。
大相撲で横綱が搦め手を使ったり、立ち合いで変化すると批判が出るように、「第一人者は正々堂々とあれ」という空気が将棋界にもあった。
例えば、羽生さんは20代の頃、まれにそれまでの常識にはなかった手を指すこともあったが、勝つことで批判の声を押さえてきた。
現在はAIの評価値が“新たな権威”となっている感があるが、人間が持つ美意識もまだ根強く残っている。美しい、筋がいい、味がいい、手厚い、際どい、危ない――人間はこうした直感を形勢判断の助けにしてきた。特に、美意識から外れた手を排除することで、効率よく読みを進める考え方は、棋士の本能とも言える。
視野を広く持つことは、将棋そのものの可能性を広げる
もちろん例外も存在するため、美意識に固執することは例外を見落とす危うさにもつながる。最近では「見栄えは良くないが、深く読んでみると好手」といった手が、AIによってしばしば発見されるようになっている。
藤井さんは、そうした自分の直感だけに頼った判断をしない。常にイレギュラーな手も読むように心がけているという。
〈《美学などの感覚があることで、人間はAIと比べて、効率よく考えることができます。ただ一方で、人間の感覚が多くの場面で正しいとしても、常に正しいわけではありません。だから、フラットに考えて、AIにとっての最善手などの「例外」を拾い上げることも、必要なのかなと思っています》(『考えて、考えて、考える』より)〉
突き詰めれば、美意識も評価値も絶対的な基準ではない。
視野を広く持つことは、一局の将棋に勝つだけでなく、将棋そのものの可能性を広げる意味でも重要なことである。
そのためには、常識にとらわれてはいけない。
名実ともに棋界の盟主となった藤井さん自身も、それを強く意識している。
〈《自分も常識にとらわれず将棋に向かっていく、革新的なところを大事にしていきたいと思っているんです》(『考えて、考えて、考える』より)〉
藤井聡太竜王・名人とチームメイトになって実感した「本質を見抜く」力 へ続く
もちろん例外も存在するため、美意識に固執することは例外を見落とす危うさにもつながる。最近では「見栄えは良くないが、深く読んでみると好手」といった手が、AIによってしばしば発見されるようになっている。
藤井さんは、そうした自分の直感だけに頼った判断をしない。常にイレギュラーな手も読むように心がけているという。
〈《美学などの感覚があることで、人間はAIと比べて、効率よく考えることができます。ただ一方で、人間の感覚が多くの場面で正しいとしても、常に正しいわけではありません。だから、フラットに考えて、AIにとっての最善手などの「例外」を拾い上げることも、必要なのかなと思っています》(『考えて、考えて、考える』より)〉
突き詰めれば、美意識も評価値も絶対的な基準ではない。
視野を広く持つことは、一局の将棋に勝つだけでなく、将棋そのものの可能性を広げる意味でも重要なことである。
そのためには、常識にとらわれてはいけない。
名実ともに棋界の盟主となった藤井さん自身も、それを強く意識している。
〈《自分も常識にとらわれず将棋に向かっていく、革新的なところを大事にしていきたいと思っているんです》(『考えて、考えて、考える』より)〉
藤井聡太竜王・名人とチームメイトになって実感した「本質を見抜く」力 へ続く