苦み走った男の中の男である私は、ほろ苦い人生を嘆きながら、切れのある苦いビールをこよなく愛しています。つまみと言えば、刺激的な味を好み、胡椒、生薑、ニンニク、わさび、唐辛子を料理に振りかけています。極力、塩味は避けていますが。
野菜では、タマネギのスライスを涙を流しながら食べるのが好きです。同じ系列で、苦くて後味に個性があるゴーヤも好きです。ゴーヤは沖縄風の呼び名で、ニガウリともツルレイシとも呼びます。英語では、bitter melonで、文字通り苦い瓜です。
窓の外をゴーヤの蔓や葉でカーテン状にすることで、冷房の設定温度を下げることができるとの報道を読みました。我が家では、節電よりも自家製のゴーヤをつまみで食べることが目的で、ゴーヤを育てることにしました。
1週間前にゴーヤの苗を手に入れ、庭の隅に植えました。<葉の色が悪い>、<枯れそうだ>と妻が何かと冷やかすものですから、梅雨にも係わらず、毎朝水をやるのが日課になってしまいました。
秋になれば、収穫したゴーヤとその料理を報告できるといいなと思っています。




野菜では、タマネギのスライスを涙を流しながら食べるのが好きです。同じ系列で、苦くて後味に個性があるゴーヤも好きです。ゴーヤは沖縄風の呼び名で、ニガウリともツルレイシとも呼びます。英語では、bitter melonで、文字通り苦い瓜です。
窓の外をゴーヤの蔓や葉でカーテン状にすることで、冷房の設定温度を下げることができるとの報道を読みました。我が家では、節電よりも自家製のゴーヤをつまみで食べることが目的で、ゴーヤを育てることにしました。
1週間前にゴーヤの苗を手に入れ、庭の隅に植えました。<葉の色が悪い>、<枯れそうだ>と妻が何かと冷やかすものですから、梅雨にも係わらず、毎朝水をやるのが日課になってしまいました。
秋になれば、収穫したゴーヤとその料理を報告できるといいなと思っています。





<良かったよ>と妻が珍しく私に強く勧めるものですから、平櫛田中展を見に行きました。全く事前の予備知識を持たず、作品と初対面で、何を自分が感じるかを試してみました。芸術に造詣の深い方は、無知な私を笑わないでください。
ひろしま美術館の地下の奥まった部屋に、こぢんまりと、高さ30cmばかりの木製の彫刻やブロンズ像が配列されていました。彩色されている彫刻もあり、大きなこけし人形のような感じで、中国の歴史上の人物が多いなという印象です。これなら、私も努力すれば、何とかなるかなと不遜な考えを思いながら、最後のコーナーに来て、印象が変わりました。
有名な<鏡獅子>の作製の経過やエピソードが説明されています。六代目尾上菊五郎をモデルに作製した彫刻は、高さ1m程度の像です。綺麗ですが、迫力はありません。何で絶賛される作品か、理解出来ずに、壁の白黒写真を見ました。本物の<鏡獅子>の横に立っている平櫛田中氏です。
本物の高さは、3mにも達するかもしれない巨大な彫刻で、いくつかの部位に分かれているのを合体させた像です。目の前に陳列されている<鏡獅子>は習作に過ぎず、実物は国立劇場に飾ってあるのでした。何の事はありません。展覧会であっても、実物は一体もなく、全て習作でした。道理で、迫力がないはずです。
平櫛田中氏は長寿の方で、107歳まで現役の彫刻家でした。面白いエピソードがあります。満100歳の誕生日の前に、30年分の彫刻用の材木を買い込んで、<男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから>と本人が話したとか。この貪欲さを見習わねばなりません。




ひろしま美術館の地下の奥まった部屋に、こぢんまりと、高さ30cmばかりの木製の彫刻やブロンズ像が配列されていました。彩色されている彫刻もあり、大きなこけし人形のような感じで、中国の歴史上の人物が多いなという印象です。これなら、私も努力すれば、何とかなるかなと不遜な考えを思いながら、最後のコーナーに来て、印象が変わりました。
有名な<鏡獅子>の作製の経過やエピソードが説明されています。六代目尾上菊五郎をモデルに作製した彫刻は、高さ1m程度の像です。綺麗ですが、迫力はありません。何で絶賛される作品か、理解出来ずに、壁の白黒写真を見ました。本物の<鏡獅子>の横に立っている平櫛田中氏です。
本物の高さは、3mにも達するかもしれない巨大な彫刻で、いくつかの部位に分かれているのを合体させた像です。目の前に陳列されている<鏡獅子>は習作に過ぎず、実物は国立劇場に飾ってあるのでした。何の事はありません。展覧会であっても、実物は一体もなく、全て習作でした。道理で、迫力がないはずです。
平櫛田中氏は長寿の方で、107歳まで現役の彫刻家でした。面白いエピソードがあります。満100歳の誕生日の前に、30年分の彫刻用の材木を買い込んで、<男ざかりは百から百から。わしもこれからこれから>と本人が話したとか。この貪欲さを見習わねばなりません。





今年のろうかさんは、6月3日から5日まで行われました。広島市にゆかりのある方ならご存知のように、浴衣の着始めのお祭りです。梅雨時分ですが、10代の人たちにとっては、心は晴れやかな気分でデートを楽しむ絶好のチャンスです。女性が浴衣を着飾って、艶やかな色彩で競い合い、町が活気づく日です。
私の治療していた患者さんの女子高校生が治療を終えて帰る時、<先生、今日とうかさんだから、浴衣で行くんよ>と嬉しそうに話していたことを思い出します。今から10年前でしょうか。広島の女の子なら、待ちに待った浴衣美人になる日なのです。
私自ら、とうかさんに行く機会は全くありませんでした。昨日6月5日に、用事があって広島へ出掛けてみて、当日とうかさんであることに気がつきました。浴衣を着た女の子が、すさまじい数、本通りから中央通りまで歩き、私は思ったように前に進めません。
何とか遅刻せずに目的地まで行けそうなことを確認して、私も圓隆寺に参拝しました。当然、私は浴衣ではありませんが。浴衣でお参りしないと、御利益も少ないかもしれないと思いながら、目的地に急ぎました。




私の治療していた患者さんの女子高校生が治療を終えて帰る時、<先生、今日とうかさんだから、浴衣で行くんよ>と嬉しそうに話していたことを思い出します。今から10年前でしょうか。広島の女の子なら、待ちに待った浴衣美人になる日なのです。
私自ら、とうかさんに行く機会は全くありませんでした。昨日6月5日に、用事があって広島へ出掛けてみて、当日とうかさんであることに気がつきました。浴衣を着た女の子が、すさまじい数、本通りから中央通りまで歩き、私は思ったように前に進めません。
何とか遅刻せずに目的地まで行けそうなことを確認して、私も圓隆寺に参拝しました。当然、私は浴衣ではありませんが。浴衣でお参りしないと、御利益も少ないかもしれないと思いながら、目的地に急ぎました。





私は、クリスマス時分はキリスト教徒で、年が明けてお正月になると日本神道を信じ、葬式には仏教のお坊さんのお経を聞きます。宗教的には全く節操のない日本人です。場面場面で、いいとこ取りを心掛けています。かなりの強がりですが。
雑誌<致知>に連載されているコラムに、<人生を照らす言葉>があります。6月号に、新約聖書からの素敵な言葉が引用されていました。
ー求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。・・・まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。ー
試練や危機に際しての、生きるための心掛けを端的に述べています。別の言葉を思い出しました。<求めよ。されば、開かれん。>これは、新約聖書の簡略版であったのですね。
求めるのも、探すのも、門をたたくのも、強い目的意識が必要です。試練や危機を乗り越えるための、強い意志です。<求め、探し、門をたたく>行為は、将に現在の日本人に必要とされることです。




雑誌<致知>に連載されているコラムに、<人生を照らす言葉>があります。6月号に、新約聖書からの素敵な言葉が引用されていました。
ー求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。・・・まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。ー
試練や危機に際しての、生きるための心掛けを端的に述べています。別の言葉を思い出しました。<求めよ。されば、開かれん。>これは、新約聖書の簡略版であったのですね。
求めるのも、探すのも、門をたたくのも、強い目的意識が必要です。試練や危機を乗り越えるための、強い意志です。<求め、探し、門をたたく>行為は、将に現在の日本人に必要とされることです。




