この時点で「卑弥呼」の鬼道が熱烈な支持を得た背景としては、当時大きな「社会不安」があり、それに対して宗教がそれを担うことを求める民衆の強烈な欲求が大きかったものと見られます。そのような欲求はその時点まではそれほどのものではなかったものが、急激に社会の中で大きなウェイトを占めることとなったものと思われ、そのことと新たに立った「男王」を民衆は支持しないということとは強く関係していると思われます。
その「社会不安」については後ほど触れますが、その時点で「祭祀」が重要な要素を占めることとなったわけであり、そこでは「卑弥呼」でなければならないという民衆の支持あるいは意思が示されたものと見られるわけです。その理由はいくつかあると思われますが、当然ですがその時点で彼女の「霊的能力」が突出して優れていたと大衆が認めていたからという理由が最も大きいと思われ、それは「能く衆を惑わす」という『倭人伝』の表現に表れています。
このように古代において「霊的能力」の高い存在は現実世界ではえてして「役に立たない」存在であったという可能性があり、「卑弥呼」も例外ではなかったものではないでしょうか。
古代においては「不具」であったり「身体能力」の一部が欠如しているような人物はその共同体の中での実生活の役にはほぼ立たないわけですが、その代わり(というよりそれだからこそ)霊的能力に長けた存在として一定の尊敬を集めていたという可能性があります。「左手第四指」に対する霊的信仰はそのことを暗示しているのではないでしょうか。
世界中で「左手第四指」に対して「無名指」という意味の呼称がされている事実があります。現在日本では「薬指」と呼称されますが、これは「薬」を調合する際にこの指を使用する(かき混ぜる)からというのがその理由とされますが、それはその指でなければ薬が効かないからであり、「左手第四指」に「霊的能力」があるからとされます。それが「無名指」とされるのは「名前」を「鬼神」に知られると「霊的能力」がなくなってしまうからとされ、「名前」と「鬼神」という超現実的存在との間に強いつながりがあることに対する信仰が世界各国であったことが知られるものです。
このように「左手第四指」が重要視される最大の理由はそれが「役に立たない」からであり、「不器用」の象徴だからです。
「第四指」は「第五子」(小指)と「腱」の一部がつながっており、(通常は)単独で動かすことができません。特にそれが「左手」である場合は特にその指を主体的に使用することはないといって支障ないでしょう。つまり「左手第四指」は典型的な「役に立たない」存在であるわけですが、それだからこそ、この指に対する「畏怖」と「敬意」があったものではないかと思われ、それは「古代」における「共同体(集落)」の中においても、同様の意味がその存在に対して与えられたものではないでしょうか。(「蛭子」に対する信仰もそれに良く似たものといえるでしょう)
「縄文」遺跡からは明らかに「不具」と思われる「人骨」が出ており、それは「成人」に達していることが確認されていますから、その人物は少なくとも周囲の助けを受けて生活していたことを示しており、「縄文」の社会が弱者に寛容であった証拠というような理解がされる場合がありますが、それについてもその人物が「祈祷師」など当時の共同体に必要な存在となっていたという可能性について考慮されるべきではないかということを示唆するものでもあります。つまりそのような人物は「シャーマン」的位置にいたものではないかと考えられ、逆に重要視されていたものとも考えられるわけです。
「卑弥呼」もどこかに(身体的あるいは精神的かは不明ではあるものの)不具合を抱えていたものであり、それ故に強い「霊的能力」を有していた(少なくとも周囲はそう理解していた)可能性があると思えます。それは「男弟」が現実の政治を補佐していたという中にも現れているものと思われ、「卑弥呼」の能力が「霊的」な部分に特化していたことを示すものであり、当時の実生活ではほとんど「役立たず」というべき状態ではなかったかと推察されることとななります。
彼女という存在は『書紀』では「神功皇后」に投影されているわけですが、「神功皇后」の治績は政治的軍事的領域に亘っており、単なる「霊的能力」を持った人物という範疇を超えています。これは明らかに「卑弥呼」とは異なるものです。「卑弥呼」の能力は実生活や実際の政治には関与しなかった、というよりできなかったことを示唆するものですが、それは彼女の身体的能力に何らかの欠陥があったという可能性につながるものと思われます。またそれだからこそ「佐治國」しているという「男弟」の存在が大きかったものと推量されるわけです。
この「鬼道」はその後「宗女」である「壹與」に受け継がれますが、この「壹與」も「13歳」(二倍年暦とすると6歳強)と「幼少」であり、「共同体」の実生活上ではほとんど「役に立たない」人物ですから、その意味でも「霊的存在」として畏敬の念を持たれていたとも思われます。
このことは「実生活」において有用な仕事のできるような人物は「霊的能力」については周囲からその能力を認められていなかったという可能性が考えられ、そのことと「卑弥呼」の死後「男王」が立ったものの周囲の賛同が得られず争乱となったということの間には関係があると思えます。
その人物は(その時点では必須であった)「霊的能力」を認められず、「祭祀」の主宰者としての地位に疑問符が付けられたものと思われます。そのため「壹與」が選ばれたというわけでしょう。
このことはまた「男弟」の存在の理由にもつながります。「卑弥呼」や「壹與」が「霊的能力」に突出して統治の実務能力が欠如していたとすると誰かが補佐しなければならなくなるのは必然ですから、「男弟」がそれをカバーしていたというのはそのような推察が正しいことを示すと共に、逆に「男弟」が自分の思うような統治を行おうとすると「実務能力」に欠ける人物が前面に立っていた方がやりやすいというのもまた当時の事情からは考えられるところです。つまり「男弟」の側の事情から「実務能力」のない人物があえて選ばれているともいえるかもしれないわけです。(それは当然民衆の支持に沿っている形であるところがミソであるわけですが)