前稿に続き以前の投稿のアップデート版となります。
「シリウス」の謎(二) ―「弥生時代への移行」と「シリウス」―
「要旨」
「ローマ」に伝わる伝承から「シリウス」がかなり増光していたと見られること。「縄文時代」から「弥生時代」への移行は全地球的気候変動にその原因があると考えられること、その時期として紀元前八世紀が措定できること。その原因は「シリウス」の新星爆発に伴う「宇宙線」の増加である可能性が考えられること。同様の理由によりこの時期に放射性炭素(C14)が増加したと見られること。以上を考察します。
Ⅰ.「シリウス」は「昼間」見えていた?
「シリウス」には「白色矮星」の伴星(連星系で質量の小さい星をいう)を持っています。この「白色矮星」はその前身は「赤色巨星」であったとされます。(註一)
シリウスが赤かったという記録とこの伴星の元の姿が「赤色巨星」であることは関係しているのではないかと誰しも考えることで、その立場で諸説が建てられているようです。しかし「赤色巨星」から「白色矮星」への進化には十万年から百万年単位で時間がかかるとされ、紀元前付近から現代までというたかだか三千年程度の時間スケールでは無理とされているようです。ただし、「シリウス」から「伴星」である「白色矮星」に向かって「質量」が移動した結果、それが「伴星」の表面付近で核融合反応を起こして「増光」につながったとする考え方もあるようであり(註二)(それは「伴星」から「X線」が出ているとする「観測」(註三)と整合しています(ただし「軟X線」です)。
さらにこの「シリウス」の増光に関しては「桜井天体」という存在との関連が考えられます。「桜井天体」とは一九九六年に日本のアマチュア天文家の「桜井幸夫」氏が発見したもので「いて座」の天体です。この「桜井天体」は「最後のヘリウムフラッシュの可能性がある天体」として知られ、「白色矮星」が「ヘリウム殻フラッシュ」という現象を起こした結果、膨張して「赤色巨星」になったものと考えられているようです。このような現象は「白色矮星」の段階で起こるものであり、一時的に「赤色巨星」になった後最終的には元の「白色矮星」に戻るとされており、その期間として二〇〇年以上かかるとされています。シリウスの場合「増光」以前から「赤色」であったとされていますから、「白色矮星」から一度「赤色巨星」へと「戻った」のはかなり遡る時期であったと思われ、それが再度「白色矮星」へと「進化」する際に「新星爆発」的現象を起こしたものと考えられます。
現在このような天体は(増光中ということ)数個しか確認されていないようですが、単独で存在する場合はその周囲に「星間塵」などを放出・形成しますが、「シリウス」は「主星」がすぐ側におり(増光段階では「伴星」というべきか)、「増光」後発生する「星周塵」などは「主星」が吸収してしまうためいわば「跡」が残らないとも言えそうです。そのようなイベントが紀元前八世紀付近に起きていたという可能性もあると思われます。そのような場合「伴星」が大きく増光することとなり、「火星より赤い」といわれるような状態となったというストーリーも考えられるわけです。それを示唆するのが後述する「ロビガリア」という「古代ローマ」における「赤犬」を生贄にしたという儀式です。それによれば『炎暑の原因として「シリウス」と太陽が一緒に出ているから』とされていたようですが、しかし「シリウス」といえど「星」なのですから、その出番は夜であるはずです。それを踏まえると不審の残る表現と言えるでしょう。「シリウス」は「太陽」と共に昇る(これを「ヘリアカルライジング」という)とされますが、通常であればその直後視界から消えるわけですから、「共に昇るから」と言う理由だけからは夏の暑さを「シリウス」に帰することはできないでしょう。太陽がなければ見えているはずといってもそれは他の星も全く同様ですから、特にそれがシリウスの場合にだけ展開される論理とはできないはずです。これは実際に太陽とシリウスが同時に見えていたとき初めて有効な表現ではないでしょうか。つまり、太陽とシリウスが両方とも同時に見えて初めて夏の暑い理由を(あるいは責任を)「シリウス」という存在に帰することができるわけです。つまり「シリウス」が「昼間でも見えていた」時期があったと考えられるわけです。(註四)(註五)
(ちなみに「シリウス」が「赤かった」という古記録を「歳差」(註六)を理由とする考え方もあります。確かに「紀元前二〇〇〇年」付近ではりゅう座アルファ星が天の北極付近にいたらしいことが推論されており、この時点では「シリウス」は「赤道」からかなり南方に下がった位置にあったこととなります。このことから「大気」の影響により「赤い」という記録につながったというわけですが、そのような位置にある星が暑さの原因となったという伝承が成立するというのははなはだ考えにくく、このような伝承が形成されるにはもっと「シリウス」の高度が高いことがその前提にあるのは明らかであり、そのためにはその成立の上限として紀元前もせいぜい数百年のことと考えなくなくてはなりませんが、それもまた古記録と整合するものです。)
もしそのような時期に「シリウス」の「伴星」において「桜井天体」として「赤色巨星」化していたとすると相当な増光となると同時にその「赤色」はかなり強い印象を多くの人に与えたと思われ(註七)、さらにその後再度「白色矮星」へと進化する過程でいわゆる「新星爆発」現象を起こしたとすするとかなり「増光」したものと思われ、一般的にはこのような際には絶対等級でマイナス10等級程度にもなる例もあるとされますから、昼間見えたとして不思議ではありません。
歴史上「昼間星が見えた」という記録はいくつか見られますが、それはいずれも遠距離にある「超新星」の例です。しかしそのようなスケールの大きいものではなく「新星爆発」現象を起こした程度でもそれが近傍の星であれば同様に昼間でも見える事となるのは当然です。
昼間でも見えるためには最低でも「マイナス4等級」つまり金星の最大光輝程度の明るさが必要と思われますが、現在はシリウス伴星は8.7等級とされており、これが当時も同じでそこから増光したとすると12~13等級の増光となりますが、これは新星爆発の際の増光としてはまだ少ない方であり、それよりもっと明るくなったとしても不自然ではありません。
Ⅱ.「縄文」から「弥生」への移行と「シリウス」
結局「紀元前」のかなり早い時期にシリウスの新星爆発とそれに伴う増光があったと見たわけですが、これと関係があるのではないかと考えられるのが、「縄文」と「弥生」の画期となった地球寒冷化です。
すでに国立民俗博物館の報告(註八)により「縄文」から「弥生」への以降は従来考えられていたよりもかなり遡上する時期であったことが明らかとされています。これは「放射性炭素年代測定法」によって算出したものですが、すでに国際的に標準とされる較正年代が公表されており、「歴博」はこれを元に弥生時代の始まりを紀元前一〇世紀としたわけですが、海洋リザーバー効果等の「蓄積効果」により海洋に至近の地域では年代測定に誤差が含まれることが推定されており、この量は地域によって異なり、日本のような周囲を海に囲まれた地域はかなりその効果が強いという見方もあります。「歴博」の発表はこの地域差に対する検討がやや欠如していた可能性が指摘されており、この点を考慮すると二〇〇~二五〇年程度新しくなるという考えが主流と思われます。つまり「弥生時代」の開始年代としてはほぼ「紀元前八世紀」というものが措定されるわけですが、さらに熊本大学の甲元眞之氏を代表とする「考古学資料に基づく「寒冷化」現象把握のための基礎的研究」(註九)によれば、「乾燥化」「寒冷化」に伴う砂丘・砂堤・砂地の形成状況を分析することで寒冷化の時期を特定することができるとされ、結論として「…すなわち紀元前750年をピークとする寒冷化現象は、オリエントや西ヨーロッパでも確認され、中国では軍都山の墓地の切り込み層位や、香港周辺地域の「間歇層」と対応し、西周末期の寒冷化に比定できる。北部九州ではこの時期に形成された砂丘の下部からは縄文時代晩期終末の黒川式土器が、砂丘の上層からは弥生時代初頭の夜臼1式土器が検出されることから、弥生時代の始まりは寒冷乾燥化した状況で成立したものであり、その時期はほぼ紀元前8世紀終わり頃と推定される。…」とされ、縄文から弥生への移行は全地球的気候変動がその背景にあったとし、それは(「歴博」が指摘した時代とはやや異なるものの)「紀元前七五〇年前後」という時期であったとされています。さらに多くの諸氏によりいろいろな切り口から「弥生」への移行時期について研究されていますが、多く議論が七~九世紀付近にそのターニングポイントがあることを結論として示しており、このように多くの論者が全く別の方法でアプローチして算出した値がある程度の範囲に収まるという実態は、全地球的気候変動がこの時期起きていたことを間違いなく示すものと思われますが、その「原因」となるものについては深く考慮された形跡がありません。(註十)
通常寒冷化のもっとも大きな要因は地球が外部から受ける輻射熱の減少であると思われ、火山の噴火による大気中のエアロゾルの増加が最も考えやすいものです。しかし、基本的に火山噴火のエアロゾルはかなり大きなサイズのものが多く、成層圏まで到達したとしてもその多くが早々に落下していったものと思われます。つまり火山による影響はよほど大規模で連続的噴火でない限り短期的であり、時代の画期となるほどの大規模で長期的なものの原因とはなりにくいと思われます。
これについては、すでに述べたように背景として「シリウス」の「新星爆発」があったことが窺われますが、それは古代ローマの儀式からもいえるものです。
Ⅲ.「ロビガリア」と気候変動
「古代ローマ」の風習であった「ロビガリア」(Robigalia)では、「作物」が旱魃(水不足)などで生育が不順とならないように「ロビゴ」(Robigo)という「神」に「生贄」を捧げるとされていますが、それが「赤犬」であったものです。
この「ロビガリア」の起源は伝説では「紀元前七五〇年付近」の王である「Numa Pompilius」が定めたとされています。(註十一)それは四月二十五日に「赤犬」を「生贄」にすることで「ロビゴ」という女神を祭り、「小麦」が「赤カビ」「赤いシミ」が発生するような「病気」やそれを誘発する「旱魃」に遭わないようにするためのものであったとされます。(この地域では「寒冷化」ではないことに注意)
これについては紀元前四十七年の生まれとされる詩人「Ovid」の『Fasti』という詩集の中では「司祭」に対して「なぜ四月二十五日に赤犬を生贄にするのか」という問いが発せられ、それに対し「司祭」は「シリウスは犬星と呼ばれ太陽と共に上ることと関係している」として、「それと炎暑が同時に起きるから」と答えています。(註十二)このことからこの伝承の当初から「赤犬」は「シリウス」に対して捧げられていたと考えられ「ロビゴ」とは「シリウス」の農耕神としての側面の名前ではなかったかと考えられることとなります。つまりこの「気候変動」が発生したと考えられる年次付近でこの儀式も発生しているわけであり、多くの人々が「シリウス」と「旱魃」など気候変動との関連を疑ったものと思われるわけです。
さらにこの「シリウス」という名称については他の多くの星と違い「アラビア起源」ではなく「ギリシャ起源」とされており、またその契機は「ヘシオドス」(Hesiod)に始まると見られ、その時期としては紀元前八〇〇年頃とされています。
「ホメロス」などは「シリウス」について「秋の星」(Autumnnstar)あるいは「オリオンの犬」(Orion's dog)とだけ記していますが、「ヘシオドス」は彼の生きた時代より一〇〇年前である「紀元前八世紀」のことを記した時点以降「Serios」(シリウス)つまり「燃える星」という形容をするようになります。(註十三)それはやはりその時点付近で「シリウス」の増光という現象が発生したと見られることと関連していると思われるわけです。
また「バビロン」発掘で得られた楔形文字が書かれた「粘土板」の中に「カレンダー」があり、その研究が欧米では進んでいるようです。それによればカレンダーを作るためのデータベースといえる「日記」(ダイアリー)が確認されており、その最古の記録が「紀元前六五二年」とされていますが、そもそもカレンダーの作成のための観測が始められ、記録がとられるようになったのは「Nabuna sir」(ナブナシル)王の治世初年である「紀元前七四三年」であることが推定されており、この年次以降データの蓄積が開始されたものとみられています。そしてこのカレンダーは新バビロニア帝国の祖「Nabopolassar(ナボポラッサル)紀元」として開始されたものと思われています。
この「紀元」は「紀元前七四七年」を起点としているとされ、彼の時代から遡って起点が設定されており、バビロンの地に君臨した各代の王について数えられたとされます。しかも、そのデータの中身としては月の運行と惑星に関するデータとともに「シリウス」に関する観測が存在しており、当時「シリウス」が注目される事情があったことが強く推定できます。
この気候変動と「シリウス」が当初から関連づけて考えられていたとみられることから、「シリウス」に何らかの異常があったという可能性があり、仮に「新星爆発」があったとすると大量の高エネルギー粒子が飛来したと思われ、それによる影響があったと見るべきこととなるでしょう。
このように紀元前八世紀半ばという時期にローマにおいて気候変動(この場合は「温暖化」)が発生したと考えられる訳ですが、一般に気候変動は「極域振動」と呼ばれる極から赤道にかけての気圧分布パターンの変化がその原因であるケースがほとんどであり(それは「極域」と「赤道域」の温度差に起因するものとされますが)、このときもローマ付近ではそれ以前よりも高温となったと言うことが推察されます。(彫刻やレリーフなどでローマやギリシャの人々が薄手の服装をしているように見えるのはこの当時の気温がかなり上昇していたことを推測させるものです)
この「紀元前八世紀付近」に全地球的な気候変動があったというのは「ギリシャ」や「ローマ」で人々が移動や植民を多く行った時期がまさにその時期であったことからもいえることです。
例えば「ギリシャ」で「ポリス」という小国家群が成立するのもこの時期ですし、それは「山間」など川沿いの地が選ばれそこに集落の連合体のようなものが形成されたとされますが、これは気候変動による集落間の土地や収穫物の奪い合いや各部族間同士の抗争という危機的状況が生み出した防御的制度と言えるでしょう。それを示すように核となる領域である都市部分は城壁の中に形成されていました。それらの都市の中心はアテネの場合は「アクロポリス」と呼ばれ「神殿」であると同時に「砦」でもあったものです。
またギリシャではこの時期に「墓」の数が急増することが知られており、さらに廃棄される井戸や深く掘られた井戸が多数に上ることも指摘されるなど「干ばつ」が深刻な影響をたらしていたことが考えられ、食糧不足や疫病の流行などの要因がこの時期に集中することが指摘されています。(註十四)その中ではそれまで多くは見られなかった「神域」や「神殿」が設けられ、多くの供物が奉納されるようになるとされます。また「雨乞い」のための「壺」を「供物」とする例が「七三五年」以降激増することも知られています。それまでの四倍ほどに急増するわけですが、一〇〇年ほど経つと元へ戻ってしまうことも明らかとなっています。これについて安永信二氏は「すなわち神と人との関係が,前8世紀を境として大きく変わったのである。」と指摘していますが (※3)、「ローマ」における「ロビガリア」と同様「干ばつ」による農作物の不作を「神」に祈ることで回避しようとするものであり、「宗教的」な存在に寄り縋ることを多くの人々が望んだことを示しています。
Ⅳ.気候変動と「シリウス」
現在気候変動について提唱されている説の中には「宇宙線による大気電離が,大気中のエアロゾル形成を促進し,雲核生成やそれに基づく雲量変化をもたらし,地球気候の変動に影響する」というものがあり(註十五)、通常は「銀河宇宙線」(銀河系中心からの宇宙線)あるいは「太陽宇宙線」がその主役とされていますが、「シリウス」が「新星爆発」を起こしたとすると、そのとき放たれた「高エネルギー宇宙線」が至近距離にある太陽系に(ほぼ減衰なく)向かってきたと思われるわけです。
すでに新星が宇宙線の発生源となりうるという研究が出ており(註十六)、その意味では「シリウス」が新星爆発を起こしたとすると、近距離でもあり、大量に宇宙線が太陽系に飛来したと見られることとなります。このように太陽系に向けて高エネルギー宇宙線(特にシリウス起源のもの)が侵入したとするとそれにより高層大気に多くのエアロゾルが形成された可能性が考えられ、それが気候変動の要因となったものと推定できるでしょう。
大気中のちりがエアロゾルとなり雲核となるという過程はすでに知られていますが、従来の観測と簡易計算によるシミュレーションでは生成される雲量が大きく食い違うことが知られていたようです。それがどのような理由によるか不明であったのですが、JAXAのサイトト(http://www.jaxa.jp/press/2018/03/20180313_aerosol_j.html)によればスーパーコンピューター「京」により精細計算を長期間のスパンで行ったところ、観測に近い結果となったということのようです。それによれば全地球的に雲量が増加するのではなく、特に海洋あるいは低緯度地域においては逆に雲量が減少するという結果となったというのです。これはかなり興味深い結果といえます。
このスーパーコンピュータによる解析結果では極域付近で雲量増加するエリアが広くあるように見られ、逆に低緯度地域では雲量低下となるわけですから、明らかに両地域の日照量の差は通常の場合より増大することとなります(そもそも宇宙線量は荷電粒子であるため地球磁場にトラップされ極域で多く降り注ぐこととなります)。
宇宙線がエアロゾル生成の有力な要因として考えられていることを踏まえると、「京」によるシミュレーションによっても雲量が極域で増大するという可能性が高く、この結果は明らかに「極域振動」に対して「外乱」として作用するものと思います。その場合特に中緯度地域でジェット気流の蛇行が起き、広い地域で気候変動が起きたことが推定できます。
太陽フレアのように割と頻繁に起こる小爆発の場合、太陽から飛来する宇宙線の速度は光速のせいぜい20~30%程度ですが、新星爆発のようなイベントの場合光速に匹敵するほどのものも飛来すると思われ、「シリウス」は太陽から近距離(8.6光年)に存在しているわけですから、「シリウス」でそのような爆発が起きたとすると、気候変動に対する影響は増光とさほど変わらない時期から起き始めたと推定出来ます。そう考えると、多くの人々はシリウスの増光と気候変動を関連して考えたとしても不思議ではなく、「ロビガリア」のような儀式が発生する一因となったものと考えられます。もしこの考えが正しければ、高エネルギー宇宙線の影響が別の面で現われる可能性が高いと思われます。それは放射性炭素(C14)の生成量の増加です。
この時代の寒冷化が大気中のエアロゾル増加によるものであり、それが火山などの地球起源のものであるなら、C14の生成量の変化には結びつかないと思われます。この紀元前八世紀付近におけるC14の生成量はどうだったのでしょうか。
シリウスの新星爆発により発生した宇宙線が地球に飛来し上層大気にエアロゾルを大量に生成するという影響を与えたとすると、同様の影響としてこの時大量のC14を生成したとも考えられるわけです。そう考えると、大気中のC14の生成率は紀元前のある時期それまでと全く異なる値を示したと考えられるわけですが、それは「年輪年代」と比較較正した「国際較正曲線」をみると明らかとなります。(はずです。)
上の考え方によれば紀元前八世紀付近で(主に年輪年代法による)暦年代と放射性炭素年代とでかなりの乖離が発生することが予想されます。そもそも大気中のC14の量が一定でかつ植物などがいつも一定の代謝を行うならば、年輪年代法と炭素年代法は一対一で対応し、その交点群は傾き一定の直線となるはずですが、実際には直線からずれが生じる年代があります。そして、まさに紀元前八世紀付近でかなり長期に亘って「傾き」が変化するのがみてとれます(急峻になる)。
曲線を見てみると2800BPから2700BPまでの値が年輪年代よりもC14年代の方がかなり新しいと出ています。これはこの時期C14が大量に生成されたためそれを取り込んだ遺物も大量のC14を残しているからと考えられるわけです。
通常はこのようなC14の生成率の変化は太陽活動と関係があり、活動低下期(マウンダー極小期のような)に太陽磁場の弱体化によって外部からの宇宙線が太陽系の内部に侵入しやすくなることで起きると思われていますが、宇宙線の飛来する量そのものの増加と言うことも充分考えられる訳です。
その場合にその飛来源として従来は「遠方」の超新星爆発を措定していたわけですが、新星爆発現象の方が宇宙では普遍的であり、頻度も桁違いに多いのですから、それが飛来源と見ることもできるわけです。
このようなことが実際に起きたことを示唆するのがいわゆる「二四〇〇年問題」です。
「二四〇〇年問題」というのは、弥生時代と思われる2400BP付近より以前の時期において、放射性炭素の残存量が実年代(暦年代)に関わらず一定となる現象です。つまり2700BP付近から2400BP付近までにおいて放射性炭素測定の結果はほぼ一定となり、そのことから、この期間においては放射性炭素による年代測定が非常に困難となっているとされるものです。
このようなことが起きる原因はもっぱら「海洋リザーバー効果」によるとされます。つまり「海洋」に蓄えられた二酸化炭素が大気中に放出されることで、大気中の放射性炭素の量が増加してしまい、それがちょうど半減期による崩壊量を打ち消した状態となっているというのです。もしそれが正しければ、海洋中から大気に放出される炭素(というより二酸化炭素)の量が異常に増えたか、量は増えていないがその中に含まれる放射性炭素の割合が多かったのかのいずれかであることとなります。
海洋からの放出量が異常に増加するというイベントがあったと見るには実際にはその根拠が曖昧です。深海からの上昇流が表面に現われた段階で海面から放出されたとするとその流れのサイクルが異常に速くなったか、気温が異常に高くなり、それにより蒸発が盛んになった結果大気中の二酸化炭素も増加したというようなことを考えなければなりません。しかし現在の研究では紀元前に大きな気温上昇とそれに伴う海進現象があったとは考えられていません。このことは気温上昇などによる大量の二酸化探査の大気中への放出という現象の可能性を否定するものです。そうとすればこの時期海洋に蓄積された二酸化炭素の中に大量の放射性炭素が含まれていたと見なさざるを得ないこととなります。通常この「リザーバー効果」というもののタイムラグとして400年間程度が推定されていますから、その意味からもその大量の放射性炭素の由来として最も考えられるのは、すでに述べた「シリウス」の新星爆発に淵源する放射線による大量の放射性炭素の生成という現象です。
BP2800付近でシリウスからの宇宙線増加という現象があり、それはその時点の植物など光合成を行う際に取り込まれた二酸化炭素にも影響を与えたと思われると同時に、海洋に取り込まれた二酸化炭素にも同様に大量の放射性炭素が含まれていたことを推定させるものです。そして、それから数百年の間大気中に高い濃度の放射性炭素が含まれた二酸化炭素を放出し続けたとすると、まさに「二四〇〇年問題」に現われる現象となったと見ることができるでしょう。
(註)
一.ただしその質量は太陽の質量を基準に考えて、その1.4倍を超えないとされます。それを超えた場合は爆発後「中性子星」になるとされます。
二.NASAのX線望遠鏡衛星である「チャンドラ」が撮影した映像では「シリウスA」よりも、伴星である「シリウスB」の方が明るく映っており、これはシリウスAからもたらされたガスがシリウスBに吸い込まれる際に加速され、その摩擦で何百万度にも熱せられているためであるとされます。また同様の現象は「紫外領域」でも確認されています。
三.同様の議論は既に一九八六年に科学雑誌「Nature」に掲載された「The Historical Record For Sirius:evidence for a white-dwarf thermonuclear runaway?」(Frederick c.bruhweiler, yoji kondo & Edward M.Sion)でも議論されています。そこでは連星系の一方から定期的に質量がもう一方の星にもたらされた結果その表面付近で核融合反応が強く起き、ある周期で増光するというものであり、広い意味で「シリウス」もそうではないかと考えられるわけです。ただし、質量の移動が非常にゆっくりとしたタイプとは思われます。
四.このことは「赤い宝石」たとえば「ルビー」や「ガーネット」などが珍重された理由もそれが「シリウス」という昼間も見えた「赤い」星に由来するからともいえるのではないでしょうか。
五.ただし「シリウス」は高所で空気の薄いきれいなところで「太陽」と離角が大きいときには現在でも見えるとされていますから、当時昼間見ることはそれほど困難ではなかったともいえそうです。それが平地で太陽の近くでも見えるというところが重要であったものでしょう。
六.地球の自転軸が月や太陽の影響により二万六千年の周期で「みそすり運動」をすること。
七. 中国で「天狼星」という呼称が「シリウス」に対して行われますが、それは「シリウス」の青白く輝くその印象が「狼」の「眼」をイメージするとされていることからのネーミングと思われていますが、そもそも「狼」の「眼」の色は基本「アンバー」(赤銅色)であり、けっして「青」や「白」ではありません。このことは「天狼」という名称そのものが「シリウス」の色を表していると思われ、「天狼」という呼称がされ始めた時点では「シリウス」の色は「赤」かったということを示していると思われます。
八.二〇〇三年五月十九日に「国立歴史民俗博物館」より記者会見という形で発表されたもの。その後各種の論文・報告が行われています。
九.「科学研究費助成データベース」研究課題番号:17652074 2005年度~2006年度によります。
十.山本直人「縄文時代晩期における気候変動と土器型式の変化」名古屋大学文学部研究論集(史学)が詳しい
十一智. Varro『On Agriculture』translated by William Davis Hooper(1935)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY 283)
十二.Ovid『Ovid's Fasti』translated by James George Frazer(1935)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY 283)
十三.Hesiod『The Homeric Hymns & Homerica (Theogony).』Translated by H.G.Evelyn-White.(1914)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY )
十四. Camp,Jr.John.McK.“ A Drought in the Late Eighth Century B.C.”(『Hesperia:The Journal of the American School of Classical Studies at Athens 』vol.48(1979)Page397-411)
十五.増田公明「宇宙線による微粒子形成」名古屋大学太陽地球環境研究所(J. Plasma Fusion Res. Vol.90,№2 「2014」)など。
十六.武井大、北本俊二 (立教大学)、辻本匡弘 (JAXA)、高橋弘充 (広島大学)、向井浩二 (NASA)、Jan-Uwe Ness(ESA)、Jeremy J. Drake(SAO)「新星は新たな宇宙線の起源か?」(アメリカ天文学会研究報告誌( Takei et al.2009,ApJL,697,54 )ここでは「新星爆発」によっても高エネルギー粒子が大量に生成されることを解明しています。
「要旨」
「ローマ」に伝わる伝承から「シリウス」がかなり増光していたと見られること。「縄文時代」から「弥生時代」への移行は全地球的気候変動にその原因があると考えられること、その時期として紀元前八世紀が措定できること。その原因は「シリウス」の新星爆発に伴う「宇宙線」の増加である可能性が考えられること。同様の理由によりこの時期に放射性炭素(C14)が増加したと見られること。以上を考察します。
Ⅰ.「シリウス」は「昼間」見えていた?
「シリウス」には「白色矮星」の伴星(連星系で質量の小さい星をいう)を持っています。この「白色矮星」はその前身は「赤色巨星」であったとされます。(註一)
シリウスが赤かったという記録とこの伴星の元の姿が「赤色巨星」であることは関係しているのではないかと誰しも考えることで、その立場で諸説が建てられているようです。しかし「赤色巨星」から「白色矮星」への進化には十万年から百万年単位で時間がかかるとされ、紀元前付近から現代までというたかだか三千年程度の時間スケールでは無理とされているようです。ただし、「シリウス」から「伴星」である「白色矮星」に向かって「質量」が移動した結果、それが「伴星」の表面付近で核融合反応を起こして「増光」につながったとする考え方もあるようであり(註二)(それは「伴星」から「X線」が出ているとする「観測」(註三)と整合しています(ただし「軟X線」です)。
さらにこの「シリウス」の増光に関しては「桜井天体」という存在との関連が考えられます。「桜井天体」とは一九九六年に日本のアマチュア天文家の「桜井幸夫」氏が発見したもので「いて座」の天体です。この「桜井天体」は「最後のヘリウムフラッシュの可能性がある天体」として知られ、「白色矮星」が「ヘリウム殻フラッシュ」という現象を起こした結果、膨張して「赤色巨星」になったものと考えられているようです。このような現象は「白色矮星」の段階で起こるものであり、一時的に「赤色巨星」になった後最終的には元の「白色矮星」に戻るとされており、その期間として二〇〇年以上かかるとされています。シリウスの場合「増光」以前から「赤色」であったとされていますから、「白色矮星」から一度「赤色巨星」へと「戻った」のはかなり遡る時期であったと思われ、それが再度「白色矮星」へと「進化」する際に「新星爆発」的現象を起こしたものと考えられます。
現在このような天体は(増光中ということ)数個しか確認されていないようですが、単独で存在する場合はその周囲に「星間塵」などを放出・形成しますが、「シリウス」は「主星」がすぐ側におり(増光段階では「伴星」というべきか)、「増光」後発生する「星周塵」などは「主星」が吸収してしまうためいわば「跡」が残らないとも言えそうです。そのようなイベントが紀元前八世紀付近に起きていたという可能性もあると思われます。そのような場合「伴星」が大きく増光することとなり、「火星より赤い」といわれるような状態となったというストーリーも考えられるわけです。それを示唆するのが後述する「ロビガリア」という「古代ローマ」における「赤犬」を生贄にしたという儀式です。それによれば『炎暑の原因として「シリウス」と太陽が一緒に出ているから』とされていたようですが、しかし「シリウス」といえど「星」なのですから、その出番は夜であるはずです。それを踏まえると不審の残る表現と言えるでしょう。「シリウス」は「太陽」と共に昇る(これを「ヘリアカルライジング」という)とされますが、通常であればその直後視界から消えるわけですから、「共に昇るから」と言う理由だけからは夏の暑さを「シリウス」に帰することはできないでしょう。太陽がなければ見えているはずといってもそれは他の星も全く同様ですから、特にそれがシリウスの場合にだけ展開される論理とはできないはずです。これは実際に太陽とシリウスが同時に見えていたとき初めて有効な表現ではないでしょうか。つまり、太陽とシリウスが両方とも同時に見えて初めて夏の暑い理由を(あるいは責任を)「シリウス」という存在に帰することができるわけです。つまり「シリウス」が「昼間でも見えていた」時期があったと考えられるわけです。(註四)(註五)
(ちなみに「シリウス」が「赤かった」という古記録を「歳差」(註六)を理由とする考え方もあります。確かに「紀元前二〇〇〇年」付近ではりゅう座アルファ星が天の北極付近にいたらしいことが推論されており、この時点では「シリウス」は「赤道」からかなり南方に下がった位置にあったこととなります。このことから「大気」の影響により「赤い」という記録につながったというわけですが、そのような位置にある星が暑さの原因となったという伝承が成立するというのははなはだ考えにくく、このような伝承が形成されるにはもっと「シリウス」の高度が高いことがその前提にあるのは明らかであり、そのためにはその成立の上限として紀元前もせいぜい数百年のことと考えなくなくてはなりませんが、それもまた古記録と整合するものです。)
もしそのような時期に「シリウス」の「伴星」において「桜井天体」として「赤色巨星」化していたとすると相当な増光となると同時にその「赤色」はかなり強い印象を多くの人に与えたと思われ(註七)、さらにその後再度「白色矮星」へと進化する過程でいわゆる「新星爆発」現象を起こしたとすするとかなり「増光」したものと思われ、一般的にはこのような際には絶対等級でマイナス10等級程度にもなる例もあるとされますから、昼間見えたとして不思議ではありません。
歴史上「昼間星が見えた」という記録はいくつか見られますが、それはいずれも遠距離にある「超新星」の例です。しかしそのようなスケールの大きいものではなく「新星爆発」現象を起こした程度でもそれが近傍の星であれば同様に昼間でも見える事となるのは当然です。
昼間でも見えるためには最低でも「マイナス4等級」つまり金星の最大光輝程度の明るさが必要と思われますが、現在はシリウス伴星は8.7等級とされており、これが当時も同じでそこから増光したとすると12~13等級の増光となりますが、これは新星爆発の際の増光としてはまだ少ない方であり、それよりもっと明るくなったとしても不自然ではありません。
Ⅱ.「縄文」から「弥生」への移行と「シリウス」
結局「紀元前」のかなり早い時期にシリウスの新星爆発とそれに伴う増光があったと見たわけですが、これと関係があるのではないかと考えられるのが、「縄文」と「弥生」の画期となった地球寒冷化です。
すでに国立民俗博物館の報告(註八)により「縄文」から「弥生」への以降は従来考えられていたよりもかなり遡上する時期であったことが明らかとされています。これは「放射性炭素年代測定法」によって算出したものですが、すでに国際的に標準とされる較正年代が公表されており、「歴博」はこれを元に弥生時代の始まりを紀元前一〇世紀としたわけですが、海洋リザーバー効果等の「蓄積効果」により海洋に至近の地域では年代測定に誤差が含まれることが推定されており、この量は地域によって異なり、日本のような周囲を海に囲まれた地域はかなりその効果が強いという見方もあります。「歴博」の発表はこの地域差に対する検討がやや欠如していた可能性が指摘されており、この点を考慮すると二〇〇~二五〇年程度新しくなるという考えが主流と思われます。つまり「弥生時代」の開始年代としてはほぼ「紀元前八世紀」というものが措定されるわけですが、さらに熊本大学の甲元眞之氏を代表とする「考古学資料に基づく「寒冷化」現象把握のための基礎的研究」(註九)によれば、「乾燥化」「寒冷化」に伴う砂丘・砂堤・砂地の形成状況を分析することで寒冷化の時期を特定することができるとされ、結論として「…すなわち紀元前750年をピークとする寒冷化現象は、オリエントや西ヨーロッパでも確認され、中国では軍都山の墓地の切り込み層位や、香港周辺地域の「間歇層」と対応し、西周末期の寒冷化に比定できる。北部九州ではこの時期に形成された砂丘の下部からは縄文時代晩期終末の黒川式土器が、砂丘の上層からは弥生時代初頭の夜臼1式土器が検出されることから、弥生時代の始まりは寒冷乾燥化した状況で成立したものであり、その時期はほぼ紀元前8世紀終わり頃と推定される。…」とされ、縄文から弥生への移行は全地球的気候変動がその背景にあったとし、それは(「歴博」が指摘した時代とはやや異なるものの)「紀元前七五〇年前後」という時期であったとされています。さらに多くの諸氏によりいろいろな切り口から「弥生」への移行時期について研究されていますが、多く議論が七~九世紀付近にそのターニングポイントがあることを結論として示しており、このように多くの論者が全く別の方法でアプローチして算出した値がある程度の範囲に収まるという実態は、全地球的気候変動がこの時期起きていたことを間違いなく示すものと思われますが、その「原因」となるものについては深く考慮された形跡がありません。(註十)
通常寒冷化のもっとも大きな要因は地球が外部から受ける輻射熱の減少であると思われ、火山の噴火による大気中のエアロゾルの増加が最も考えやすいものです。しかし、基本的に火山噴火のエアロゾルはかなり大きなサイズのものが多く、成層圏まで到達したとしてもその多くが早々に落下していったものと思われます。つまり火山による影響はよほど大規模で連続的噴火でない限り短期的であり、時代の画期となるほどの大規模で長期的なものの原因とはなりにくいと思われます。
これについては、すでに述べたように背景として「シリウス」の「新星爆発」があったことが窺われますが、それは古代ローマの儀式からもいえるものです。
Ⅲ.「ロビガリア」と気候変動
「古代ローマ」の風習であった「ロビガリア」(Robigalia)では、「作物」が旱魃(水不足)などで生育が不順とならないように「ロビゴ」(Robigo)という「神」に「生贄」を捧げるとされていますが、それが「赤犬」であったものです。
この「ロビガリア」の起源は伝説では「紀元前七五〇年付近」の王である「Numa Pompilius」が定めたとされています。(註十一)それは四月二十五日に「赤犬」を「生贄」にすることで「ロビゴ」という女神を祭り、「小麦」が「赤カビ」「赤いシミ」が発生するような「病気」やそれを誘発する「旱魃」に遭わないようにするためのものであったとされます。(この地域では「寒冷化」ではないことに注意)
これについては紀元前四十七年の生まれとされる詩人「Ovid」の『Fasti』という詩集の中では「司祭」に対して「なぜ四月二十五日に赤犬を生贄にするのか」という問いが発せられ、それに対し「司祭」は「シリウスは犬星と呼ばれ太陽と共に上ることと関係している」として、「それと炎暑が同時に起きるから」と答えています。(註十二)このことからこの伝承の当初から「赤犬」は「シリウス」に対して捧げられていたと考えられ「ロビゴ」とは「シリウス」の農耕神としての側面の名前ではなかったかと考えられることとなります。つまりこの「気候変動」が発生したと考えられる年次付近でこの儀式も発生しているわけであり、多くの人々が「シリウス」と「旱魃」など気候変動との関連を疑ったものと思われるわけです。
さらにこの「シリウス」という名称については他の多くの星と違い「アラビア起源」ではなく「ギリシャ起源」とされており、またその契機は「ヘシオドス」(Hesiod)に始まると見られ、その時期としては紀元前八〇〇年頃とされています。
「ホメロス」などは「シリウス」について「秋の星」(Autumnnstar)あるいは「オリオンの犬」(Orion's dog)とだけ記していますが、「ヘシオドス」は彼の生きた時代より一〇〇年前である「紀元前八世紀」のことを記した時点以降「Serios」(シリウス)つまり「燃える星」という形容をするようになります。(註十三)それはやはりその時点付近で「シリウス」の増光という現象が発生したと見られることと関連していると思われるわけです。
また「バビロン」発掘で得られた楔形文字が書かれた「粘土板」の中に「カレンダー」があり、その研究が欧米では進んでいるようです。それによればカレンダーを作るためのデータベースといえる「日記」(ダイアリー)が確認されており、その最古の記録が「紀元前六五二年」とされていますが、そもそもカレンダーの作成のための観測が始められ、記録がとられるようになったのは「Nabuna sir」(ナブナシル)王の治世初年である「紀元前七四三年」であることが推定されており、この年次以降データの蓄積が開始されたものとみられています。そしてこのカレンダーは新バビロニア帝国の祖「Nabopolassar(ナボポラッサル)紀元」として開始されたものと思われています。
この「紀元」は「紀元前七四七年」を起点としているとされ、彼の時代から遡って起点が設定されており、バビロンの地に君臨した各代の王について数えられたとされます。しかも、そのデータの中身としては月の運行と惑星に関するデータとともに「シリウス」に関する観測が存在しており、当時「シリウス」が注目される事情があったことが強く推定できます。
この気候変動と「シリウス」が当初から関連づけて考えられていたとみられることから、「シリウス」に何らかの異常があったという可能性があり、仮に「新星爆発」があったとすると大量の高エネルギー粒子が飛来したと思われ、それによる影響があったと見るべきこととなるでしょう。
このように紀元前八世紀半ばという時期にローマにおいて気候変動(この場合は「温暖化」)が発生したと考えられる訳ですが、一般に気候変動は「極域振動」と呼ばれる極から赤道にかけての気圧分布パターンの変化がその原因であるケースがほとんどであり(それは「極域」と「赤道域」の温度差に起因するものとされますが)、このときもローマ付近ではそれ以前よりも高温となったと言うことが推察されます。(彫刻やレリーフなどでローマやギリシャの人々が薄手の服装をしているように見えるのはこの当時の気温がかなり上昇していたことを推測させるものです)
この「紀元前八世紀付近」に全地球的な気候変動があったというのは「ギリシャ」や「ローマ」で人々が移動や植民を多く行った時期がまさにその時期であったことからもいえることです。
例えば「ギリシャ」で「ポリス」という小国家群が成立するのもこの時期ですし、それは「山間」など川沿いの地が選ばれそこに集落の連合体のようなものが形成されたとされますが、これは気候変動による集落間の土地や収穫物の奪い合いや各部族間同士の抗争という危機的状況が生み出した防御的制度と言えるでしょう。それを示すように核となる領域である都市部分は城壁の中に形成されていました。それらの都市の中心はアテネの場合は「アクロポリス」と呼ばれ「神殿」であると同時に「砦」でもあったものです。
またギリシャではこの時期に「墓」の数が急増することが知られており、さらに廃棄される井戸や深く掘られた井戸が多数に上ることも指摘されるなど「干ばつ」が深刻な影響をたらしていたことが考えられ、食糧不足や疫病の流行などの要因がこの時期に集中することが指摘されています。(註十四)その中ではそれまで多くは見られなかった「神域」や「神殿」が設けられ、多くの供物が奉納されるようになるとされます。また「雨乞い」のための「壺」を「供物」とする例が「七三五年」以降激増することも知られています。それまでの四倍ほどに急増するわけですが、一〇〇年ほど経つと元へ戻ってしまうことも明らかとなっています。これについて安永信二氏は「すなわち神と人との関係が,前8世紀を境として大きく変わったのである。」と指摘していますが (※3)、「ローマ」における「ロビガリア」と同様「干ばつ」による農作物の不作を「神」に祈ることで回避しようとするものであり、「宗教的」な存在に寄り縋ることを多くの人々が望んだことを示しています。
Ⅳ.気候変動と「シリウス」
現在気候変動について提唱されている説の中には「宇宙線による大気電離が,大気中のエアロゾル形成を促進し,雲核生成やそれに基づく雲量変化をもたらし,地球気候の変動に影響する」というものがあり(註十五)、通常は「銀河宇宙線」(銀河系中心からの宇宙線)あるいは「太陽宇宙線」がその主役とされていますが、「シリウス」が「新星爆発」を起こしたとすると、そのとき放たれた「高エネルギー宇宙線」が至近距離にある太陽系に(ほぼ減衰なく)向かってきたと思われるわけです。
すでに新星が宇宙線の発生源となりうるという研究が出ており(註十六)、その意味では「シリウス」が新星爆発を起こしたとすると、近距離でもあり、大量に宇宙線が太陽系に飛来したと見られることとなります。このように太陽系に向けて高エネルギー宇宙線(特にシリウス起源のもの)が侵入したとするとそれにより高層大気に多くのエアロゾルが形成された可能性が考えられ、それが気候変動の要因となったものと推定できるでしょう。
大気中のちりがエアロゾルとなり雲核となるという過程はすでに知られていますが、従来の観測と簡易計算によるシミュレーションでは生成される雲量が大きく食い違うことが知られていたようです。それがどのような理由によるか不明であったのですが、JAXAのサイトト(http://www.jaxa.jp/press/2018/03/20180313_aerosol_j.html)によればスーパーコンピューター「京」により精細計算を長期間のスパンで行ったところ、観測に近い結果となったということのようです。それによれば全地球的に雲量が増加するのではなく、特に海洋あるいは低緯度地域においては逆に雲量が減少するという結果となったというのです。これはかなり興味深い結果といえます。
このスーパーコンピュータによる解析結果では極域付近で雲量増加するエリアが広くあるように見られ、逆に低緯度地域では雲量低下となるわけですから、明らかに両地域の日照量の差は通常の場合より増大することとなります(そもそも宇宙線量は荷電粒子であるため地球磁場にトラップされ極域で多く降り注ぐこととなります)。
宇宙線がエアロゾル生成の有力な要因として考えられていることを踏まえると、「京」によるシミュレーションによっても雲量が極域で増大するという可能性が高く、この結果は明らかに「極域振動」に対して「外乱」として作用するものと思います。その場合特に中緯度地域でジェット気流の蛇行が起き、広い地域で気候変動が起きたことが推定できます。
太陽フレアのように割と頻繁に起こる小爆発の場合、太陽から飛来する宇宙線の速度は光速のせいぜい20~30%程度ですが、新星爆発のようなイベントの場合光速に匹敵するほどのものも飛来すると思われ、「シリウス」は太陽から近距離(8.6光年)に存在しているわけですから、「シリウス」でそのような爆発が起きたとすると、気候変動に対する影響は増光とさほど変わらない時期から起き始めたと推定出来ます。そう考えると、多くの人々はシリウスの増光と気候変動を関連して考えたとしても不思議ではなく、「ロビガリア」のような儀式が発生する一因となったものと考えられます。もしこの考えが正しければ、高エネルギー宇宙線の影響が別の面で現われる可能性が高いと思われます。それは放射性炭素(C14)の生成量の増加です。
この時代の寒冷化が大気中のエアロゾル増加によるものであり、それが火山などの地球起源のものであるなら、C14の生成量の変化には結びつかないと思われます。この紀元前八世紀付近におけるC14の生成量はどうだったのでしょうか。
シリウスの新星爆発により発生した宇宙線が地球に飛来し上層大気にエアロゾルを大量に生成するという影響を与えたとすると、同様の影響としてこの時大量のC14を生成したとも考えられるわけです。そう考えると、大気中のC14の生成率は紀元前のある時期それまでと全く異なる値を示したと考えられるわけですが、それは「年輪年代」と比較較正した「国際較正曲線」をみると明らかとなります。(はずです。)
上の考え方によれば紀元前八世紀付近で(主に年輪年代法による)暦年代と放射性炭素年代とでかなりの乖離が発生することが予想されます。そもそも大気中のC14の量が一定でかつ植物などがいつも一定の代謝を行うならば、年輪年代法と炭素年代法は一対一で対応し、その交点群は傾き一定の直線となるはずですが、実際には直線からずれが生じる年代があります。そして、まさに紀元前八世紀付近でかなり長期に亘って「傾き」が変化するのがみてとれます(急峻になる)。
曲線を見てみると2800BPから2700BPまでの値が年輪年代よりもC14年代の方がかなり新しいと出ています。これはこの時期C14が大量に生成されたためそれを取り込んだ遺物も大量のC14を残しているからと考えられるわけです。
通常はこのようなC14の生成率の変化は太陽活動と関係があり、活動低下期(マウンダー極小期のような)に太陽磁場の弱体化によって外部からの宇宙線が太陽系の内部に侵入しやすくなることで起きると思われていますが、宇宙線の飛来する量そのものの増加と言うことも充分考えられる訳です。
その場合にその飛来源として従来は「遠方」の超新星爆発を措定していたわけですが、新星爆発現象の方が宇宙では普遍的であり、頻度も桁違いに多いのですから、それが飛来源と見ることもできるわけです。
このようなことが実際に起きたことを示唆するのがいわゆる「二四〇〇年問題」です。
「二四〇〇年問題」というのは、弥生時代と思われる2400BP付近より以前の時期において、放射性炭素の残存量が実年代(暦年代)に関わらず一定となる現象です。つまり2700BP付近から2400BP付近までにおいて放射性炭素測定の結果はほぼ一定となり、そのことから、この期間においては放射性炭素による年代測定が非常に困難となっているとされるものです。
このようなことが起きる原因はもっぱら「海洋リザーバー効果」によるとされます。つまり「海洋」に蓄えられた二酸化炭素が大気中に放出されることで、大気中の放射性炭素の量が増加してしまい、それがちょうど半減期による崩壊量を打ち消した状態となっているというのです。もしそれが正しければ、海洋中から大気に放出される炭素(というより二酸化炭素)の量が異常に増えたか、量は増えていないがその中に含まれる放射性炭素の割合が多かったのかのいずれかであることとなります。
海洋からの放出量が異常に増加するというイベントがあったと見るには実際にはその根拠が曖昧です。深海からの上昇流が表面に現われた段階で海面から放出されたとするとその流れのサイクルが異常に速くなったか、気温が異常に高くなり、それにより蒸発が盛んになった結果大気中の二酸化炭素も増加したというようなことを考えなければなりません。しかし現在の研究では紀元前に大きな気温上昇とそれに伴う海進現象があったとは考えられていません。このことは気温上昇などによる大量の二酸化探査の大気中への放出という現象の可能性を否定するものです。そうとすればこの時期海洋に蓄積された二酸化炭素の中に大量の放射性炭素が含まれていたと見なさざるを得ないこととなります。通常この「リザーバー効果」というもののタイムラグとして400年間程度が推定されていますから、その意味からもその大量の放射性炭素の由来として最も考えられるのは、すでに述べた「シリウス」の新星爆発に淵源する放射線による大量の放射性炭素の生成という現象です。
BP2800付近でシリウスからの宇宙線増加という現象があり、それはその時点の植物など光合成を行う際に取り込まれた二酸化炭素にも影響を与えたと思われると同時に、海洋に取り込まれた二酸化炭素にも同様に大量の放射性炭素が含まれていたことを推定させるものです。そして、それから数百年の間大気中に高い濃度の放射性炭素が含まれた二酸化炭素を放出し続けたとすると、まさに「二四〇〇年問題」に現われる現象となったと見ることができるでしょう。
(註)
一.ただしその質量は太陽の質量を基準に考えて、その1.4倍を超えないとされます。それを超えた場合は爆発後「中性子星」になるとされます。
二.NASAのX線望遠鏡衛星である「チャンドラ」が撮影した映像では「シリウスA」よりも、伴星である「シリウスB」の方が明るく映っており、これはシリウスAからもたらされたガスがシリウスBに吸い込まれる際に加速され、その摩擦で何百万度にも熱せられているためであるとされます。また同様の現象は「紫外領域」でも確認されています。
三.同様の議論は既に一九八六年に科学雑誌「Nature」に掲載された「The Historical Record For Sirius:evidence for a white-dwarf thermonuclear runaway?」(Frederick c.bruhweiler, yoji kondo & Edward M.Sion)でも議論されています。そこでは連星系の一方から定期的に質量がもう一方の星にもたらされた結果その表面付近で核融合反応が強く起き、ある周期で増光するというものであり、広い意味で「シリウス」もそうではないかと考えられるわけです。ただし、質量の移動が非常にゆっくりとしたタイプとは思われます。
四.このことは「赤い宝石」たとえば「ルビー」や「ガーネット」などが珍重された理由もそれが「シリウス」という昼間も見えた「赤い」星に由来するからともいえるのではないでしょうか。
五.ただし「シリウス」は高所で空気の薄いきれいなところで「太陽」と離角が大きいときには現在でも見えるとされていますから、当時昼間見ることはそれほど困難ではなかったともいえそうです。それが平地で太陽の近くでも見えるというところが重要であったものでしょう。
六.地球の自転軸が月や太陽の影響により二万六千年の周期で「みそすり運動」をすること。
七. 中国で「天狼星」という呼称が「シリウス」に対して行われますが、それは「シリウス」の青白く輝くその印象が「狼」の「眼」をイメージするとされていることからのネーミングと思われていますが、そもそも「狼」の「眼」の色は基本「アンバー」(赤銅色)であり、けっして「青」や「白」ではありません。このことは「天狼」という名称そのものが「シリウス」の色を表していると思われ、「天狼」という呼称がされ始めた時点では「シリウス」の色は「赤」かったということを示していると思われます。
八.二〇〇三年五月十九日に「国立歴史民俗博物館」より記者会見という形で発表されたもの。その後各種の論文・報告が行われています。
九.「科学研究費助成データベース」研究課題番号:17652074 2005年度~2006年度によります。
十.山本直人「縄文時代晩期における気候変動と土器型式の変化」名古屋大学文学部研究論集(史学)が詳しい
十一智. Varro『On Agriculture』translated by William Davis Hooper(1935)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY 283)
十二.Ovid『Ovid's Fasti』translated by James George Frazer(1935)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY 283)
十三.Hesiod『The Homeric Hymns & Homerica (Theogony).』Translated by H.G.Evelyn-White.(1914)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY )
十四. Camp,Jr.John.McK.“ A Drought in the Late Eighth Century B.C.”(『Hesperia:The Journal of the American School of Classical Studies at Athens 』vol.48(1979)Page397-411)
十五.増田公明「宇宙線による微粒子形成」名古屋大学太陽地球環境研究所(J. Plasma Fusion Res. Vol.90,№2 「2014」)など。
十六.武井大、北本俊二 (立教大学)、辻本匡弘 (JAXA)、高橋弘充 (広島大学)、向井浩二 (NASA)、Jan-Uwe Ness(ESA)、Jeremy J. Drake(SAO)「新星は新たな宇宙線の起源か?」(アメリカ天文学会研究報告誌( Takei et al.2009,ApJL,697,54 )ここでは「新星爆発」によっても高エネルギー粒子が大量に生成されることを解明しています。