古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

「シリウス」の謎(二) ―「弥生時代への移行」と「シリウス」―

2024年03月04日 | 古代史
前稿に続き以前の投稿のアップデート版となります。

「シリウス」の謎(二) ―「弥生時代への移行」と「シリウス」―

「要旨」
「ローマ」に伝わる伝承から「シリウス」がかなり増光していたと見られること。「縄文時代」から「弥生時代」への移行は全地球的気候変動にその原因があると考えられること、その時期として紀元前八世紀が措定できること。その原因は「シリウス」の新星爆発に伴う「宇宙線」の増加である可能性が考えられること。同様の理由によりこの時期に放射性炭素(C14)が増加したと見られること。以上を考察します。

Ⅰ.「シリウス」は「昼間」見えていた?
 「シリウス」には「白色矮星」の伴星(連星系で質量の小さい星をいう)を持っています。この「白色矮星」はその前身は「赤色巨星」であったとされます。(註一)
 シリウスが赤かったという記録とこの伴星の元の姿が「赤色巨星」であることは関係しているのではないかと誰しも考えることで、その立場で諸説が建てられているようです。しかし「赤色巨星」から「白色矮星」への進化には十万年から百万年単位で時間がかかるとされ、紀元前付近から現代までというたかだか三千年程度の時間スケールでは無理とされているようです。ただし、「シリウス」から「伴星」である「白色矮星」に向かって「質量」が移動した結果、それが「伴星」の表面付近で核融合反応を起こして「増光」につながったとする考え方もあるようであり(註二)(それは「伴星」から「X線」が出ているとする「観測」(註三)と整合しています(ただし「軟X線」です)。
 さらにこの「シリウス」の増光に関しては「桜井天体」という存在との関連が考えられます。「桜井天体」とは一九九六年に日本のアマチュア天文家の「桜井幸夫」氏が発見したもので「いて座」の天体です。この「桜井天体」は「最後のヘリウムフラッシュの可能性がある天体」として知られ、「白色矮星」が「ヘリウム殻フラッシュ」という現象を起こした結果、膨張して「赤色巨星」になったものと考えられているようです。このような現象は「白色矮星」の段階で起こるものであり、一時的に「赤色巨星」になった後最終的には元の「白色矮星」に戻るとされており、その期間として二〇〇年以上かかるとされています。シリウスの場合「増光」以前から「赤色」であったとされていますから、「白色矮星」から一度「赤色巨星」へと「戻った」のはかなり遡る時期であったと思われ、それが再度「白色矮星」へと「進化」する際に「新星爆発」的現象を起こしたものと考えられます。
 現在このような天体は(増光中ということ)数個しか確認されていないようですが、単独で存在する場合はその周囲に「星間塵」などを放出・形成しますが、「シリウス」は「主星」がすぐ側におり(増光段階では「伴星」というべきか)、「増光」後発生する「星周塵」などは「主星」が吸収してしまうためいわば「跡」が残らないとも言えそうです。そのようなイベントが紀元前八世紀付近に起きていたという可能性もあると思われます。そのような場合「伴星」が大きく増光することとなり、「火星より赤い」といわれるような状態となったというストーリーも考えられるわけです。それを示唆するのが後述する「ロビガリア」という「古代ローマ」における「赤犬」を生贄にしたという儀式です。それによれば『炎暑の原因として「シリウス」と太陽が一緒に出ているから』とされていたようですが、しかし「シリウス」といえど「星」なのですから、その出番は夜であるはずです。それを踏まえると不審の残る表現と言えるでしょう。「シリウス」は「太陽」と共に昇る(これを「ヘリアカルライジング」という)とされますが、通常であればその直後視界から消えるわけですから、「共に昇るから」と言う理由だけからは夏の暑さを「シリウス」に帰することはできないでしょう。太陽がなければ見えているはずといってもそれは他の星も全く同様ですから、特にそれがシリウスの場合にだけ展開される論理とはできないはずです。これは実際に太陽とシリウスが同時に見えていたとき初めて有効な表現ではないでしょうか。つまり、太陽とシリウスが両方とも同時に見えて初めて夏の暑い理由を(あるいは責任を)「シリウス」という存在に帰することができるわけです。つまり「シリウス」が「昼間でも見えていた」時期があったと考えられるわけです。(註四)(註五)
(ちなみに「シリウス」が「赤かった」という古記録を「歳差」(註六)を理由とする考え方もあります。確かに「紀元前二〇〇〇年」付近ではりゅう座アルファ星が天の北極付近にいたらしいことが推論されており、この時点では「シリウス」は「赤道」からかなり南方に下がった位置にあったこととなります。このことから「大気」の影響により「赤い」という記録につながったというわけですが、そのような位置にある星が暑さの原因となったという伝承が成立するというのははなはだ考えにくく、このような伝承が形成されるにはもっと「シリウス」の高度が高いことがその前提にあるのは明らかであり、そのためにはその成立の上限として紀元前もせいぜい数百年のことと考えなくなくてはなりませんが、それもまた古記録と整合するものです。)
 もしそのような時期に「シリウス」の「伴星」において「桜井天体」として「赤色巨星」化していたとすると相当な増光となると同時にその「赤色」はかなり強い印象を多くの人に与えたと思われ(註七)、さらにその後再度「白色矮星」へと進化する過程でいわゆる「新星爆発」現象を起こしたとすするとかなり「増光」したものと思われ、一般的にはこのような際には絶対等級でマイナス10等級程度にもなる例もあるとされますから、昼間見えたとして不思議ではありません。
 歴史上「昼間星が見えた」という記録はいくつか見られますが、それはいずれも遠距離にある「超新星」の例です。しかしそのようなスケールの大きいものではなく「新星爆発」現象を起こした程度でもそれが近傍の星であれば同様に昼間でも見える事となるのは当然です。
 昼間でも見えるためには最低でも「マイナス4等級」つまり金星の最大光輝程度の明るさが必要と思われますが、現在はシリウス伴星は8.7等級とされており、これが当時も同じでそこから増光したとすると12~13等級の増光となりますが、これは新星爆発の際の増光としてはまだ少ない方であり、それよりもっと明るくなったとしても不自然ではありません。

Ⅱ.「縄文」から「弥生」への移行と「シリウス」 
 結局「紀元前」のかなり早い時期にシリウスの新星爆発とそれに伴う増光があったと見たわけですが、これと関係があるのではないかと考えられるのが、「縄文」と「弥生」の画期となった地球寒冷化です。
 すでに国立民俗博物館の報告(註八)により「縄文」から「弥生」への以降は従来考えられていたよりもかなり遡上する時期であったことが明らかとされています。これは「放射性炭素年代測定法」によって算出したものですが、すでに国際的に標準とされる較正年代が公表されており、「歴博」はこれを元に弥生時代の始まりを紀元前一〇世紀としたわけですが、海洋リザーバー効果等の「蓄積効果」により海洋に至近の地域では年代測定に誤差が含まれることが推定されており、この量は地域によって異なり、日本のような周囲を海に囲まれた地域はかなりその効果が強いという見方もあります。「歴博」の発表はこの地域差に対する検討がやや欠如していた可能性が指摘されており、この点を考慮すると二〇〇~二五〇年程度新しくなるという考えが主流と思われます。つまり「弥生時代」の開始年代としてはほぼ「紀元前八世紀」というものが措定されるわけですが、さらに熊本大学の甲元眞之氏を代表とする「考古学資料に基づく「寒冷化」現象把握のための基礎的研究」(註九)によれば、「乾燥化」「寒冷化」に伴う砂丘・砂堤・砂地の形成状況を分析することで寒冷化の時期を特定することができるとされ、結論として「…すなわち紀元前750年をピークとする寒冷化現象は、オリエントや西ヨーロッパでも確認され、中国では軍都山の墓地の切り込み層位や、香港周辺地域の「間歇層」と対応し、西周末期の寒冷化に比定できる。北部九州ではこの時期に形成された砂丘の下部からは縄文時代晩期終末の黒川式土器が、砂丘の上層からは弥生時代初頭の夜臼1式土器が検出されることから、弥生時代の始まりは寒冷乾燥化した状況で成立したものであり、その時期はほぼ紀元前8世紀終わり頃と推定される。…」とされ、縄文から弥生への移行は全地球的気候変動がその背景にあったとし、それは(「歴博」が指摘した時代とはやや異なるものの)「紀元前七五〇年前後」という時期であったとされています。さらに多くの諸氏によりいろいろな切り口から「弥生」への移行時期について研究されていますが、多く議論が七~九世紀付近にそのターニングポイントがあることを結論として示しており、このように多くの論者が全く別の方法でアプローチして算出した値がある程度の範囲に収まるという実態は、全地球的気候変動がこの時期起きていたことを間違いなく示すものと思われますが、その「原因」となるものについては深く考慮された形跡がありません。(註十)
 通常寒冷化のもっとも大きな要因は地球が外部から受ける輻射熱の減少であると思われ、火山の噴火による大気中のエアロゾルの増加が最も考えやすいものです。しかし、基本的に火山噴火のエアロゾルはかなり大きなサイズのものが多く、成層圏まで到達したとしてもその多くが早々に落下していったものと思われます。つまり火山による影響はよほど大規模で連続的噴火でない限り短期的であり、時代の画期となるほどの大規模で長期的なものの原因とはなりにくいと思われます。
 これについては、すでに述べたように背景として「シリウス」の「新星爆発」があったことが窺われますが、それは古代ローマの儀式からもいえるものです。

Ⅲ.「ロビガリア」と気候変動
 「古代ローマ」の風習であった「ロビガリア」(Robigalia)では、「作物」が旱魃(水不足)などで生育が不順とならないように「ロビゴ」(Robigo)という「神」に「生贄」を捧げるとされていますが、それが「赤犬」であったものです。
 この「ロビガリア」の起源は伝説では「紀元前七五〇年付近」の王である「Numa Pompilius」が定めたとされています。(註十一)それは四月二十五日に「赤犬」を「生贄」にすることで「ロビゴ」という女神を祭り、「小麦」が「赤カビ」「赤いシミ」が発生するような「病気」やそれを誘発する「旱魃」に遭わないようにするためのものであったとされます。(この地域では「寒冷化」ではないことに注意)
 これについては紀元前四十七年の生まれとされる詩人「Ovid」の『Fasti』という詩集の中では「司祭」に対して「なぜ四月二十五日に赤犬を生贄にするのか」という問いが発せられ、それに対し「司祭」は「シリウスは犬星と呼ばれ太陽と共に上ることと関係している」として、「それと炎暑が同時に起きるから」と答えています。(註十二)このことからこの伝承の当初から「赤犬」は「シリウス」に対して捧げられていたと考えられ「ロビゴ」とは「シリウス」の農耕神としての側面の名前ではなかったかと考えられることとなります。つまりこの「気候変動」が発生したと考えられる年次付近でこの儀式も発生しているわけであり、多くの人々が「シリウス」と「旱魃」など気候変動との関連を疑ったものと思われるわけです。
 さらにこの「シリウス」という名称については他の多くの星と違い「アラビア起源」ではなく「ギリシャ起源」とされており、またその契機は「ヘシオドス」(Hesiod)に始まると見られ、その時期としては紀元前八〇〇年頃とされています。
 「ホメロス」などは「シリウス」について「秋の星」(Autumnnstar)あるいは「オリオンの犬」(Orion's dog)とだけ記していますが、「ヘシオドス」は彼の生きた時代より一〇〇年前である「紀元前八世紀」のことを記した時点以降「Serios」(シリウス)つまり「燃える星」という形容をするようになります。(註十三)それはやはりその時点付近で「シリウス」の増光という現象が発生したと見られることと関連していると思われるわけです。
 また「バビロン」発掘で得られた楔形文字が書かれた「粘土板」の中に「カレンダー」があり、その研究が欧米では進んでいるようです。それによればカレンダーを作るためのデータベースといえる「日記」(ダイアリー)が確認されており、その最古の記録が「紀元前六五二年」とされていますが、そもそもカレンダーの作成のための観測が始められ、記録がとられるようになったのは「Nabuna sir」(ナブナシル)王の治世初年である「紀元前七四三年」であることが推定されており、この年次以降データの蓄積が開始されたものとみられています。そしてこのカレンダーは新バビロニア帝国の祖「Nabopolassar(ナボポラッサル)紀元」として開始されたものと思われています。
 この「紀元」は「紀元前七四七年」を起点としているとされ、彼の時代から遡って起点が設定されており、バビロンの地に君臨した各代の王について数えられたとされます。しかも、そのデータの中身としては月の運行と惑星に関するデータとともに「シリウス」に関する観測が存在しており、当時「シリウス」が注目される事情があったことが強く推定できます。
 この気候変動と「シリウス」が当初から関連づけて考えられていたとみられることから、「シリウス」に何らかの異常があったという可能性があり、仮に「新星爆発」があったとすると大量の高エネルギー粒子が飛来したと思われ、それによる影響があったと見るべきこととなるでしょう。
 このように紀元前八世紀半ばという時期にローマにおいて気候変動(この場合は「温暖化」)が発生したと考えられる訳ですが、一般に気候変動は「極域振動」と呼ばれる極から赤道にかけての気圧分布パターンの変化がその原因であるケースがほとんどであり(それは「極域」と「赤道域」の温度差に起因するものとされますが)、このときもローマ付近ではそれ以前よりも高温となったと言うことが推察されます。(彫刻やレリーフなどでローマやギリシャの人々が薄手の服装をしているように見えるのはこの当時の気温がかなり上昇していたことを推測させるものです)
 この「紀元前八世紀付近」に全地球的な気候変動があったというのは「ギリシャ」や「ローマ」で人々が移動や植民を多く行った時期がまさにその時期であったことからもいえることです。
 例えば「ギリシャ」で「ポリス」という小国家群が成立するのもこの時期ですし、それは「山間」など川沿いの地が選ばれそこに集落の連合体のようなものが形成されたとされますが、これは気候変動による集落間の土地や収穫物の奪い合いや各部族間同士の抗争という危機的状況が生み出した防御的制度と言えるでしょう。それを示すように核となる領域である都市部分は城壁の中に形成されていました。それらの都市の中心はアテネの場合は「アクロポリス」と呼ばれ「神殿」であると同時に「砦」でもあったものです。
 またギリシャではこの時期に「墓」の数が急増することが知られており、さらに廃棄される井戸や深く掘られた井戸が多数に上ることも指摘されるなど「干ばつ」が深刻な影響をたらしていたことが考えられ、食糧不足や疫病の流行などの要因がこの時期に集中することが指摘されています。(註十四)その中ではそれまで多くは見られなかった「神域」や「神殿」が設けられ、多くの供物が奉納されるようになるとされます。また「雨乞い」のための「壺」を「供物」とする例が「七三五年」以降激増することも知られています。それまでの四倍ほどに急増するわけですが、一〇〇年ほど経つと元へ戻ってしまうことも明らかとなっています。これについて安永信二氏は「すなわち神と人との関係が,前8世紀を境として大きく変わったのである。」と指摘していますが (※3)、「ローマ」における「ロビガリア」と同様「干ばつ」による農作物の不作を「神」に祈ることで回避しようとするものであり、「宗教的」な存在に寄り縋ることを多くの人々が望んだことを示しています。

Ⅳ.気候変動と「シリウス」
 現在気候変動について提唱されている説の中には「宇宙線による大気電離が,大気中のエアロゾル形成を促進し,雲核生成やそれに基づく雲量変化をもたらし,地球気候の変動に影響する」というものがあり(註十五)、通常は「銀河宇宙線」(銀河系中心からの宇宙線)あるいは「太陽宇宙線」がその主役とされていますが、「シリウス」が「新星爆発」を起こしたとすると、そのとき放たれた「高エネルギー宇宙線」が至近距離にある太陽系に(ほぼ減衰なく)向かってきたと思われるわけです。
 すでに新星が宇宙線の発生源となりうるという研究が出ており(註十六)、その意味では「シリウス」が新星爆発を起こしたとすると、近距離でもあり、大量に宇宙線が太陽系に飛来したと見られることとなります。このように太陽系に向けて高エネルギー宇宙線(特にシリウス起源のもの)が侵入したとするとそれにより高層大気に多くのエアロゾルが形成された可能性が考えられ、それが気候変動の要因となったものと推定できるでしょう。
 大気中のちりがエアロゾルとなり雲核となるという過程はすでに知られていますが、従来の観測と簡易計算によるシミュレーションでは生成される雲量が大きく食い違うことが知られていたようです。それがどのような理由によるか不明であったのですが、JAXAのサイトト(http://www.jaxa.jp/press/2018/03/20180313_aerosol_j.html)によればスーパーコンピューター「京」により精細計算を長期間のスパンで行ったところ、観測に近い結果となったということのようです。それによれば全地球的に雲量が増加するのではなく、特に海洋あるいは低緯度地域においては逆に雲量が減少するという結果となったというのです。これはかなり興味深い結果といえます。
 このスーパーコンピュータによる解析結果では極域付近で雲量増加するエリアが広くあるように見られ、逆に低緯度地域では雲量低下となるわけですから、明らかに両地域の日照量の差は通常の場合より増大することとなります(そもそも宇宙線量は荷電粒子であるため地球磁場にトラップされ極域で多く降り注ぐこととなります)。
 宇宙線がエアロゾル生成の有力な要因として考えられていることを踏まえると、「京」によるシミュレーションによっても雲量が極域で増大するという可能性が高く、この結果は明らかに「極域振動」に対して「外乱」として作用するものと思います。その場合特に中緯度地域でジェット気流の蛇行が起き、広い地域で気候変動が起きたことが推定できます。
 太陽フレアのように割と頻繁に起こる小爆発の場合、太陽から飛来する宇宙線の速度は光速のせいぜい20~30%程度ですが、新星爆発のようなイベントの場合光速に匹敵するほどのものも飛来すると思われ、「シリウス」は太陽から近距離(8.6光年)に存在しているわけですから、「シリウス」でそのような爆発が起きたとすると、気候変動に対する影響は増光とさほど変わらない時期から起き始めたと推定出来ます。そう考えると、多くの人々はシリウスの増光と気候変動を関連して考えたとしても不思議ではなく、「ロビガリア」のような儀式が発生する一因となったものと考えられます。もしこの考えが正しければ、高エネルギー宇宙線の影響が別の面で現われる可能性が高いと思われます。それは放射性炭素(C14)の生成量の増加です。
 この時代の寒冷化が大気中のエアロゾル増加によるものであり、それが火山などの地球起源のものであるなら、C14の生成量の変化には結びつかないと思われます。この紀元前八世紀付近におけるC14の生成量はどうだったのでしょうか。
 シリウスの新星爆発により発生した宇宙線が地球に飛来し上層大気にエアロゾルを大量に生成するという影響を与えたとすると、同様の影響としてこの時大量のC14を生成したとも考えられるわけです。そう考えると、大気中のC14の生成率は紀元前のある時期それまでと全く異なる値を示したと考えられるわけですが、それは「年輪年代」と比較較正した「国際較正曲線」をみると明らかとなります。(はずです。)
 上の考え方によれば紀元前八世紀付近で(主に年輪年代法による)暦年代と放射性炭素年代とでかなりの乖離が発生することが予想されます。そもそも大気中のC14の量が一定でかつ植物などがいつも一定の代謝を行うならば、年輪年代法と炭素年代法は一対一で対応し、その交点群は傾き一定の直線となるはずですが、実際には直線からずれが生じる年代があります。そして、まさに紀元前八世紀付近でかなり長期に亘って「傾き」が変化するのがみてとれます(急峻になる)。
 曲線を見てみると2800BPから2700BPまでの値が年輪年代よりもC14年代の方がかなり新しいと出ています。これはこの時期C14が大量に生成されたためそれを取り込んだ遺物も大量のC14を残しているからと考えられるわけです。
 通常はこのようなC14の生成率の変化は太陽活動と関係があり、活動低下期(マウンダー極小期のような)に太陽磁場の弱体化によって外部からの宇宙線が太陽系の内部に侵入しやすくなることで起きると思われていますが、宇宙線の飛来する量そのものの増加と言うことも充分考えられる訳です。
 その場合にその飛来源として従来は「遠方」の超新星爆発を措定していたわけですが、新星爆発現象の方が宇宙では普遍的であり、頻度も桁違いに多いのですから、それが飛来源と見ることもできるわけです。
 このようなことが実際に起きたことを示唆するのがいわゆる「二四〇〇年問題」です。
 「二四〇〇年問題」というのは、弥生時代と思われる2400BP付近より以前の時期において、放射性炭素の残存量が実年代(暦年代)に関わらず一定となる現象です。つまり2700BP付近から2400BP付近までにおいて放射性炭素測定の結果はほぼ一定となり、そのことから、この期間においては放射性炭素による年代測定が非常に困難となっているとされるものです。
 このようなことが起きる原因はもっぱら「海洋リザーバー効果」によるとされます。つまり「海洋」に蓄えられた二酸化炭素が大気中に放出されることで、大気中の放射性炭素の量が増加してしまい、それがちょうど半減期による崩壊量を打ち消した状態となっているというのです。もしそれが正しければ、海洋中から大気に放出される炭素(というより二酸化炭素)の量が異常に増えたか、量は増えていないがその中に含まれる放射性炭素の割合が多かったのかのいずれかであることとなります。
 海洋からの放出量が異常に増加するというイベントがあったと見るには実際にはその根拠が曖昧です。深海からの上昇流が表面に現われた段階で海面から放出されたとするとその流れのサイクルが異常に速くなったか、気温が異常に高くなり、それにより蒸発が盛んになった結果大気中の二酸化炭素も増加したというようなことを考えなければなりません。しかし現在の研究では紀元前に大きな気温上昇とそれに伴う海進現象があったとは考えられていません。このことは気温上昇などによる大量の二酸化探査の大気中への放出という現象の可能性を否定するものです。そうとすればこの時期海洋に蓄積された二酸化炭素の中に大量の放射性炭素が含まれていたと見なさざるを得ないこととなります。通常この「リザーバー効果」というもののタイムラグとして400年間程度が推定されていますから、その意味からもその大量の放射性炭素の由来として最も考えられるのは、すでに述べた「シリウス」の新星爆発に淵源する放射線による大量の放射性炭素の生成という現象です。
 BP2800付近でシリウスからの宇宙線増加という現象があり、それはその時点の植物など光合成を行う際に取り込まれた二酸化炭素にも影響を与えたと思われると同時に、海洋に取り込まれた二酸化炭素にも同様に大量の放射性炭素が含まれていたことを推定させるものです。そして、それから数百年の間大気中に高い濃度の放射性炭素が含まれた二酸化炭素を放出し続けたとすると、まさに「二四〇〇年問題」に現われる現象となったと見ることができるでしょう。
 
(註)
一.ただしその質量は太陽の質量を基準に考えて、その1.4倍を超えないとされます。それを超えた場合は爆発後「中性子星」になるとされます。
二.NASAのX線望遠鏡衛星である「チャンドラ」が撮影した映像では「シリウスA」よりも、伴星である「シリウスB」の方が明るく映っており、これはシリウスAからもたらされたガスがシリウスBに吸い込まれる際に加速され、その摩擦で何百万度にも熱せられているためであるとされます。また同様の現象は「紫外領域」でも確認されています。
三.同様の議論は既に一九八六年に科学雑誌「Nature」に掲載された「The Historical Record For Sirius:evidence for a white-dwarf thermonuclear runaway?」(Frederick c.bruhweiler, yoji kondo & Edward M.Sion)でも議論されています。そこでは連星系の一方から定期的に質量がもう一方の星にもたらされた結果その表面付近で核融合反応が強く起き、ある周期で増光するというものであり、広い意味で「シリウス」もそうではないかと考えられるわけです。ただし、質量の移動が非常にゆっくりとしたタイプとは思われます。
四.このことは「赤い宝石」たとえば「ルビー」や「ガーネット」などが珍重された理由もそれが「シリウス」という昼間も見えた「赤い」星に由来するからともいえるのではないでしょうか。
五.ただし「シリウス」は高所で空気の薄いきれいなところで「太陽」と離角が大きいときには現在でも見えるとされていますから、当時昼間見ることはそれほど困難ではなかったともいえそうです。それが平地で太陽の近くでも見えるというところが重要であったものでしょう。
六.地球の自転軸が月や太陽の影響により二万六千年の周期で「みそすり運動」をすること。
七. 中国で「天狼星」という呼称が「シリウス」に対して行われますが、それは「シリウス」の青白く輝くその印象が「狼」の「眼」をイメージするとされていることからのネーミングと思われていますが、そもそも「狼」の「眼」の色は基本「アンバー」(赤銅色)であり、けっして「青」や「白」ではありません。このことは「天狼」という名称そのものが「シリウス」の色を表していると思われ、「天狼」という呼称がされ始めた時点では「シリウス」の色は「赤」かったということを示していると思われます。
八.二〇〇三年五月十九日に「国立歴史民俗博物館」より記者会見という形で発表されたもの。その後各種の論文・報告が行われています。
九.「科学研究費助成データベース」研究課題番号:17652074 2005年度~2006年度によります。
十.山本直人「縄文時代晩期における気候変動と土器型式の変化」名古屋大学文学部研究論集(史学)が詳しい
十一智. Varro『On Agriculture』translated by William Davis Hooper(1935)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY 283)
十二.Ovid『Ovid's Fasti』translated by James George Frazer(1935)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY 283)
十三.Hesiod『The Homeric Hymns & Homerica (Theogony).』Translated by H.G.Evelyn-White.(1914)(THE LOEB CLASSICAL LIBRARY )
十四. Camp,Jr.John.McK.“ A Drought in the Late Eighth Century B.C.”(『Hesperia:The Journal of the American School of Classical Studies at Athens 』vol.48(1979)Page397-411)
十五.増田公明「宇宙線による微粒子形成」名古屋大学太陽地球環境研究所(J. Plasma Fusion Res. Vol.90,№2 「2014」)など。
十六.武井大、北本俊二 (立教大学)、辻本匡弘 (JAXA)、高橋弘充 (広島大学)、向井浩二 (NASA)、Jan-Uwe Ness(ESA)、Jeremy J. Drake(SAO)「新星は新たな宇宙線の起源か?」(アメリカ天文学会研究報告誌( Takei et al.2009,ApJL,697,54 )ここでは「新星爆発」によっても高エネルギー粒子が大量に生成されることを解明しています。
コメント

「シリウスの謎」(一) ―「瓊瓊杵尊」と「シリウス」―

2024年03月04日 | 古代史
以前会報へ投稿した(二〇一六年四月一日送付)もののアップデート版です。

「シリウスの謎」(一) ―「瓊瓊杵尊」と「シリウス」―

「要旨」
 「天孫降臨神話」の解析から「猿田彦」等の「登場人物」と「天空の星座」(星)との対応が考えられる事。その場合「天孫降臨神話」の主役である「瓊瓊杵尊」に対応する「星」も存在するものと見られ、「おおいぬ座」のα星「シリウス」が最も措定できること。ただし、「火」や「瓊瓊杵」という表現が「赤い色」を示すことと「シリウス」の色が「白い」ことと整合していないとみられること、過去において「シリウス」が「赤かった」という記録があること。以上を考察します。

Ⅰ.「星座」と「神話」の対応について
 『日本書紀』(以下『書紀』と記す)の神話の中に「天鈿女」と「猿田彦」の話が出てきます。天下りの前に地上界を調べに来た「天鈿女」の前に「猿田彦」が立ちふさがり問答する場面があり、この場面は従来解釈が難解な場面でした。それは話の展開と関係ない描写があるように思えるからです。たとえば、「雨の鈿女が胸をあらわにむき出して、腰紐を臍の下まで押し下げてあざ笑った。」というような描写です。
「…已而且降之間。先驅者還白。有一神。居『天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺餘。當言七尋。且口尻明耀。眠如八咫鏡而?然似赤酸醤也。』即遣從神往問。時有八十萬神。皆不得目勝相問。故特勅天鈿女曰。汝是目勝於人者。宜往問之。『天鈿女乃露其胸乳。抑裳帶於臍下。而笑?向立。』…」(『日本書紀巻第二神代下第九段の一書」』より)
 ここには「猿田彦」の顔などの描写が異常に詳しく出ており、唐突な印象を受けます。この部分やその後に続く「天八達之衢」とか「天鈿女乃露其胸乳。抑裳帶於臍下。而笑?向立。」というような妙に具体的な描写が何を意味するものか今までは不明でした。
 しかし、長崎大学の勝俣隆氏の研究(註一)ではこれらの部分については「天空の星座をなぞったもの」という解釈が行われており、有力と思われます。それによれば「猿田彦」の描写の部分は「牡牛座」の「ヒアデス星団」付近のことであり、「且口尻明耀。眠如八咫鏡而?然似赤酸醤也。」という部分の中で「口尻明耀」とされ「似赤酸醤」と書かれているのが「牡牛座」α星の「アルデバラン」のことと考えられるようです。「アルデバラン」は「赤色巨星」であり、その赤い色は「似赤酸醤」とされる色合いとも矛盾がなく、また冬の星座を代表するともいえる星であり、かなり目立ちますから、「神話」に取り入れられたとして不自然ではありません。この「ヒアデス星団」は大きく広がった明るい「散開星団」であり、「牡牛座」において「牡牛」の「顔」の部分を形成しています。肉眼でもその中に多数の星が数えられるほどであり、太古の人々にもなじみの星達であったと考えられます。
 さらに、勝俣氏も指摘されていますが(註二)、この「猿田彦」が「牡牛座」であるということからの連想として「天鈿女」の部分は「オリオン座」のことではないかと考えられます。上に見るように「天鈿女」と「猿田彦」は「向かい合って」立っていることとなりますが、「オリオン座」と「牡牛座」も向かい合っている形になっています。「ギリシャ神話」でも「突進する雄牛」とそれを迎え撃つ「オリオン」という見立てになっており、この星々の配列から「互いに向かい合う」という姿を想像するのはそれほど難しくありません。
 また「天鈿女」は「汝是目勝於人者」と「瓊瓊杵」から言われており、それは「天鈿女」の「目」が「猿田彦」の「赤酸醤(ほうずき)」のように輝く光に負けない光と色であることを意味すると思われ、これは「オリオン座」のα星「ベテルギウス」を指すものとみて間違いないでしょう。「ベテルギウス」も「アルデバラン」も共に「赤色超巨星」に分類される星ですが、「ベテルギウス」の方が「アルデバラン」よりも明るく、それが「瓊瓊杵の言葉」に反映していると考えられます。
 このように配列に特徴のある星達(星座)があることにインスパイアされて「天上」から下りてくる「天鈿女」とそれを迎える「猿田彦」というストーリーが組み立てられたと考えられるわけです。

Ⅱ.「瓊瓊杵尊」の星は何か
 上のように解析すると、他の登場人物も天空の星との対応があると考えるのが自然です。勝俣氏も神話世界の登場人物の多くが天上の星と対応しているとされていますが、肝心の「瓊瓊杵尊」に対応する星については触れられていません。しかし「瓊瓊杵尊」はこの「天孫降臨神話」の中心人物であり、彼を抜きにして神話は語れないわけですから、彼の表象としての「星」も存在して当然と思われるわけです。
 「瓊瓊杵尊」は「天鈿女」に案内されて来たとされ、その前方に立ちふさがるように「猿田彦」がいるとされているわけですから、「瓊瓊杵」は星座で言うと「牡牛座」から見て「オリオン座」の向こう側にいるはずであり、「火(ほ)」の「瓊瓊杵尊」という名にふさわしく明るく輝く星であると考えると、該当するのは「おおいぬ座」のα星「シリウス」である可能性が高いでしょう。
 「全天第一」の「輝星」である「シリウス」は周囲を圧するように明るく輝き、その姿は神々しいほどです。また「おおいぬ座」の「おおいぬ」は「オリオン」が引き連れていたお供の犬(「猟犬」)であるとされていますから、「オリオン座」のすぐ背後に位置しており、「天鈿女」と「瓊瓊杵」の位置関係によく似ているともいえます。しかも「瓊瓊杵」は「皇孫」であり、特別な存在ですからその投影である「星」も他と一線を画するような存在でなければならないと思われます。さらにそれが「オリオン」の至近になければならないとすると「シリウス」以外には候補として見あたらないのが現実です。
 この星が「瓊瓊杵尊」として「神格化」されていたとしても全く不思議はないと考えられます。ただし、問題がないわけではありません。それは「色」の表現です。
「瓊瓊杵尊」には「火」(ほ)という美称が付けられています。この「火」は「赤」いという意味があります。これは「穂」に通じるという説もありますが、「穂」の色はいわゆる「黄金色」であり、もし古代米であったなら「赤米」であってその色はやはり「赤」であったと思われますから、少なくとも「白」や「青白」ではないと思われます。
 また、当時の技術では「火」の温度として「白色」になるほどの高温は作れなかったであろうと思われ、人工的に作る「火」はすなわち「赤」であったと思われます。
 語源的にも、「あかるい」という語の語源は「火」の色を示すものであり、「赤」という色のイメージからできた言葉ではないかと思われ、今も日本人が太陽を描くと「赤」に塗るなど太陽に「赤」というイメージを持っているのは「火」が赤いことからの類推と思われます。そう考えると「シリウス」に対して「火」という美称が使用されていることは、「赤」と「白」というように「色」が整合しない不審があることとなります。「太陽」はともかく星の場合色はよくわかりますから、合わない色を形容として使用するとは考えられません。
 また「瓊瓊杵」という名前に使われている「瓊」という文字は『説文解字(巻二)』(註三)では「瓊 赤玉也」とされており、そうであれば「火瓊瓊杵」とは「燃えるような赤い宝石」という形容を持つ名前となってしまいますから、「赤」のイメージがさらに強まることとなります。
 しかし前項で行った「神話」と「天空」の星との関係の解析からは「シリウス」が最も「火瓊瓊杵尊」に該当する可能性が高いとみたわけですが、「シリウス」は天文学的には「主系列」に属し、色としては「白」あるいは「青白」とされています。上で見たように「猿田彦」や「天鈿女」などの場合そこに見られる特徴と「星」の色などは正確に整合しているわけですから、この「シリウス」の例はかなり不審といえるわけです。ところが古代において「シリウス」が「赤かった」という記録が複数あるのです。

Ⅲ.シリウスについての古記録
 天文学者であり、「古天文学」という分野のパイオニアでもあった斉藤国治氏の『星の古記録』(岩波書店一九八二年)には、各種の古い記録に「シリウス」についてその色を「赤」と表現する記事があると書かれています。また海外でも同様にこの「シリウス」の「色」について議論が行われています。たとえば、二〇一一年に出された「Journal of Astronomical History and Heritage」(註四)でも同様の事が議論されています。
 それらによれば、エジプト、ギリシャそしてローマの古代の記録などに直接的あるいは間接的な表現として「シリウス」が「赤い」という意味のことが書かれているとされます。(註五)
 たとえば紀元前エジプトのプトレマイオス(トレミー)は「アルマゲスト」という天文書の中でシリウスについて「firely red」つまり「燃えるような赤」という意味の形容をしており、さらに同様の「赤い星」として、「アルクトゥルス」(うしかい座α星)「アルデバラン」(牡牛座α星)「ポルックス」(双子座α星)「アンタレス」(さそり座α星)「ベテルギウス」(オリオン座α星)という現在でも「赤い星」の代表ともいえるこれらの星の同列のものとして「シリウス」を挙げているのです。しかし他の赤い星の例に挙げられているものは確かに現代でも変わらず赤いわけですから、シリウスの例だけが不審であることとなります。(これが単に明るい星だけを挙げたものでないことは「カペラ」「プロキオン」「ベガ」など「明るくて白い星」が除かれていることでもわかります。)
 また「シリウス」の語源は「ギリシャ語」で「焼き焦がすもの」の意とされますから「火」に関係していると思われ、「赤色」のイメージが強い名前と言えます。
 たとえば古代ローマでは、炎暑の季節が来るとその原因を「シリウス」と太陽が一緒に出ているからだとして(註六)、「シリウス」を「赤犬」と称し、「生け贄」として実際に「赤い犬」を捧げたとされています。(註七)これも実際に「シリウス」と「赤」という色について関係があったからとも考えられます。
 さらにエジプトにおける「オシリス」神話では「シリウス」は犬の頭を持った冥土の神「アヌビス」とされていたようですが、壁画等を見ると「アヌビス」の頭は「黒褐色」あるいは「赤褐色」で表されており、「白」や「青白」のイメージとは程遠いと思われます。
 
Ⅳ.「シリウス」と「朱鳥」
 「シリウス」について「赤かった」という記録がヨーロッパでも日本でもあったと考えられるならば、当然中国の史料にもそれを示唆するものがなければならないはずです。たとえば「天狼星」という呼称もされていましたが、それは「シリウス」の「青白い」色を狼の目の色になぞらえたという解釈もされているようですが、実際の狼の目の色はアンバーあるいは赤銅色であり、青白はほぼ存在しないとされます。つまりかえって「赤」系統ともいえる色と関係のある命名ともいえるものなのです。
 また「司馬遷」の『史記』にシリウスが色を変えると思われる記述があるのが注目されますが、(註八)「シリウス」と中国史料の関係という意味においては「四神」の一つである「朱鳥」との関連を考えるべきかもしれません。
 「朱鳥」についての記録には以下のようなものがあります。
「…東方木也,其星倉龍也。西方金也,其星白虎也。『南方火也,其星朱鳥也。』北方水也,其星玄武也。天有四星之精,降生四獸之體。…」(「論衡」物勢篇第十四 王充)
「…南方火也,其帝炎帝,其佐朱明,執衡而治夏。其神為惑,其獸朱鳥,其音,其日丙丁。…」(「淮南子/天文訓」より)
 これらを見てもわかるように「天帝」を守護するとされる「四神」のうち「朱鳥」は「南方」にあり、色は「朱」つまり「赤」、季節は「夏」、また「火」を象徴するともされます。そのことは「炎暑の原因」とされることなど、「シリウス」についての伝承とよく重なるといえるでしょう。またこの「朱鳥」の起源は「殷周代」まで遡上するとされますから、時代的にも齟齬しません。後に別の星(コル・ヒドラ)が「朱鳥」の星であるとされるようになるのは「シリウス」が今のように「白い星」となって以降のことではなかったでしょうか。つまり、その色が「朱鳥」の名に似つかわしくなくなった時点以降、「うみへび座」のα星「コル・ヒドラ」(別名「アルファルド」)が「朱鳥」とされるようになったものと推測します。
 確かに「コル・ヒドラ」は「赤色巨星」に分類される星であり、「赤い星」と言い得ますが、また「シリウス」と「コル・ヒドラ」は天球上でそれほど離れてはいないことも重要な点です。
 「おおいぬ座」の一部は「うみへび座」と境界を接しており、また「シリウス」と「コル・ヒドラ」は天球上の離角で四十度ほど離れているものの、春の夜空を見上げると同じ視野の中に入ってきます。このことからいわば「シリウス」の代役を務めることとなったものではないでしょうか。それにしては「コル・ヒドラ」がそれほど明るい星ではないことは致命的です。周囲に明るい星がないため目立つといえるかもしれませんが、「天帝」を守護するという重要な役割を担う「四神」の表象の一つとするにはかなり弱いといえるでしょう。(2等級です)これが「朱鳥」として積極的に支持される理由はほぼ感じられなく、「シリウス」の減光と「白色化」よって急きょ選ばれることとなったというような消極的選定理由が隠れているようにみえます。
 いずれにしても「紀元前後」付近以降の「シリウス」については「白色」であったとみられるものの、(註九)それが紀元前をかなり遡上する時点でも同様であったかは未詳とせざるを得ないわけです。しかし「シリウス」は天文学的には「主系列」の星に分類されており、安定した状態にある星とされており、大幅な変光とか色変化というようなことが想像しにくいのは事実です。ただし鍵を握っているのは「シリウス」の「伴星」です。

「註」
一.勝俣隆『星座で読み解く日本神話』(大修館書店 二〇〇〇年六月)の第十二章によります。(同内容の議論を勝俣氏は『星の手帖』四十四号(一九八九年五月)でも試みています。)
二.同上資料の第十四章によります。
三.『説文解字』とは『後漢」の「許慎」の作であり、漢字を五百四十の部首に分け、その成り立ちを解説し、字の本義を記したものとされます。
四.Efstratios Theodossiou, Vassilios N. Manimanis,Milan S. Dimitrijevi and Peter Z. Mantarakis『SIRIUS IN ANCIENT GREEK AND ROMAN LITERATURE: FROM THE ORPHIC ARGONAUTICS TO THE ASTRONOMICAL TABLES OF GEORGIOS CHRYSOCOCCA』(Journal of Astronomical History and Heritage, 14(3),2011)。同様の議論は他にも各種確認できます。
五.たとえば紀元前から紀元後にまたがって活躍したローマの政治家で哲学者の「セネカ」(Seneca Lucius Annaeus)はその著書『自然研究』(『Natural Questions』の中で「…the redness of the Dog Star is deeper, that of Mars milder, that of Jupiter nothing at all…」と記しています。(一九七一年にThomas H. Corcoran により訳されたものを参考にしています。The Loeb classical library 450、457)、さらに紀元前三世紀に活躍したギリシャの詩人「アラトス」(Aratos)の書いた『現象』(『Phaenomena』)を訳した「ローマ」の政治家「キケロ」(Cicero)や「司令官」であった「ゲルマニクス・カエサル」(Germanicus Caesar)は、「アラトス」が「シリウス」について表現した「poikilos」という語を「with ruddy Light fervidly glows」つまり「燃えるような赤」と表現したり、「シリウス」のことを「vomits flame」つまり「炎を吐き出している」と表現しています。(ただし、今回参考にしたのは一九二一年にA.W.Mairにより訳されたものです。The Loeb Classical Library No.129)
六.現在でも欧米圏などでは夏の一番暑い時期を「the Dog days」と称しており、この場合の「dog」とは「The Dog Star」つまり「おおいぬ座のアルファ星シリウス」のことなのです。すでにそこに「シリウス」が現れる理由も不明となっているようですがこれは「古代ローマ」の農耕儀式の記憶が残っているものと思われます。
七.「古代ローマ」の風習であった「ロビガリア」(Robigalia)。「作物」が旱魃(水不足)などで生育が不順とならないように「ロビゴ」(Robigo)という「神」に「生贄」を捧げるとされていますが、それが「赤犬」であったものです。この「ロビガリア」の起源は伝説では「紀元前七五〇年付近」の王である「Numa Pompilius」が定めたとされています。その儀式では四月二十五日に「赤犬」を「生贄」にすることで「ロビゴ」という女神を祭り、「小麦」が「赤カビ」「赤いシミ」が発生するような「病気」やそれを誘発する「旱魃」に遭わないようにするためのものであったとされます。
八.「參為白虎。…其東有大星曰狼。狼角變色,多盜賊。…」(『史記/卷二十七 天官書第五』より)
 「參」(これはオリオン座とされます)の東側に「大星」(明るい星)があり、「狼」というとされます。これは「シリウス」を意味すると思われますが、さらに「狼」の「角」(これが何を意味するか不明ですが)は色を変えるとされ、そのようなときは盗賊が増えるとされています。この記事はやや曖昧ですが、シリウスが時に色を変えるとされているようにも受け取ることが出来そうです。
九.Jiang Xiao-yuan「The colour of Sirius as recorded in ancient Chinese texts」(CHINESE ASTRONOMY AND ASTROPHYSICS, 1993)でも、紀元前後以降中国の記録では「シリウス」について「白い」というものしか見あたらないとされています。
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