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「見沼田圃(たんぼ)基本計画」 さいたま市

2011年02月03日 11時51分33秒 | 川・水・見沼
「見沼田圃(たんぼ)」基本計画」 さいたま市

さいたま市の「見沼田圃(たんぼ)基本計画」がまとまり、11年1月31日夜、浦和ロイヤルパインズホテルでそのフォーラムが開かれ、その報告と関係者によるパネルディスカッションがあった。

基本計画は、従来の取り組みでは、農地の耕作放棄や荒地化の進行、開発による侵食を防止できないと、新たな取り組みの方向として「見沼田圃を活用しながら保全する」という視点を打ち出した。来年度から具体的なアクションプランづくりを始める。

見沼田圃の約4割は農家が所有する農地である。耕作者・土地所有者や行政だけの環境保全では限界があるとして、市民や市外からの来訪者の意見も取り入れ、「土地利用」、「自然環境」、「農」、「歴史・文化」、「観光・交流」、「教育・市民活動」の6つの分野で、その現状を踏まえつつ、10の地区に分けて、特に重点的に取り組むべき施策を中心に、具体的な内容や方法を定めたアクションプランづくりを目指す。

見沼田圃は広大で問題も複雑なので、その全貌を知る人は少ない。この基本計画の「現況と課題」、「参考資料」は、見沼に関心を持つ人に取っては貴重な資料になるだろう。この計画書から要点をピックアップしてみよう。

見沼を田圃の名に惹かれて訪れたら、失望するのは間違いない。昔は広大な水田が広がっていたのに、今では水田は全部の6%程度。大都市近辺の立地条件を活かしてほとんどが畑作に転換、サトイモ、ヤツガシラなどの野菜や植木、苗木を作っているほか、ブルーベリー、梨、ブドウなどの観光農園に変わっているからだ。

見沼田圃は東西はまちまち、南北約14km、外周約44km,さいたま市がほとんどで計1261ha(うち南隣の川口市は58ha)。さいたま市が約1200ha、川口市が60haとすれば覚えやすい。さいたま市にとっては市の中央部に広がり、市の面積の約5.5%を占める。

見沼田圃の田、畑を合わせた農地は全体の4割の520ha、公園・緑地が128ha、河川(芝川)・水路(見沼代用水東、西縁)が96haで合計745ha。「緑と水」の空間は、合計すると全体の6割を占める。

荒地のほか、道路、調整池、公共施設、宅地、裸地(空地)、駐車場が残りの4割を占める。

公共施設や公園・緑地は増えている一方、農地は平成19年度までの10年間で100ha減少した。畑のほうが圧倒的に多い。畑443ha、水田76haである。耕作放棄地などの荒地が83haと水田の面積より多い。荒地は9ha増加した。

ここでもご多分にもれず、農家人口の減少、農業従事者の高齢化、後継者不足などで、遊休農地や耕作放棄地が増加し、農地の荒地化が進んでいる。残土置き場や資材置き場に変わったり、荒地には廃棄物が不法投棄されている所もある。

見沼田圃の魅力の一つだった見沼代用水沿いの斜面林も減少しており、「開かずの門」と呼ばれる山門に左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻があり、見沼の龍神伝説を伝える「国昌寺」からボタンの名所、総持院に至る斜面林約1haが「さいたま緑のトラスト保全第一号地」として買収されたのは、代用水東縁の斜面林を守ろうとする一つの動きだった。

区域内の農地所有者を対象にした19年度のアンケート調査によると、見沼田圃のイメージは、「自然」、「みどり」、「散歩道」などプラス面の一方で、「不法投棄」、「抜け道」などのマイナス面も多い。

約半分は、農業を止めたい、農地以外の土地利用をしたい、農地を売りたい意向を持つ。見沼田圃の将来については、将来は農地以外の土地利用をすべきだと考えている人が約4分の1いた。

見沼田圃の緑は、農家の犠牲で支えられているのが現実だ。

実際、東京からわずか20~30kmしか離れていないのに、首都圏最大の大規模緑地空間が残されているのは奇跡のように見える。JR京浜東北線や武蔵野線、宇都宮線、東武野田線の駅からも1~2kmでアクセスも便利なのに。

荒っぽく言えば、見沼田圃を開発から救ったのは、1958(昭和33)年の狩野川台風だった。狩野川台風は、その名のとおり、天城山を源流として沼津市付近で駿河湾に注ぐ狩野川流域に死者・行方不明約930人、全壊・半壊家屋1300戸という未曾有の大災害を引き起こした。

東京では気象庁開設以来という1日400mm近い豪雨を伴い、浸水家屋は33万戸近くで、静岡県全体の20倍に達した。見沼田圃は全域が湛水、川口市市街地の大半も浸水した。

この時の見沼田圃の湛水量は約1千万立方mと言われた。その游水機能が注目され、1965(昭和40)年、宅地化や開発は原則として認めない「見沼三原則」が制定され、治水の観点から開発抑制策がとられている。

1995(平成7)年には県が「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」を策定、土地利用を「農地、公園、緑地等」に制限、1998(平成10)年から荒地化の拡大や新開発を防止するため、土地の買い取りや借り受けによる公有地化推進事業が始まっている。

このような保全の流れの中で、基本計画とアクションプランは見沼に新時代を切り開くことができるかどうか。(歴史は別項の「見沼 移り変わり」参照)