ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

県東南端の変貌 三郷市

2014年05月20日 17時09分49秒 | 市町村の話題


県の東南端にあり、東京都(葛飾区)と千葉県(流山、松戸市)に境を接する三郷市はこれまで訪ねたことがなかった。

かつて葛飾区を担当していたことがあり、都の東北端にある水郷・都立水元公園には何度も足を運んだことがある。その対岸が三郷市だといった方が、都民には分かりやすいだろう。

江戸川の河川敷にある三郷緊急用船着(ふなつき)場で、14年4月27日、「みさと船着場フェスティバル」が開かれるというので出かけてみた。

母なる川・荒川と県境沿いの利根川を持つ埼玉県は、川の面積が占める比率が日本一なので、「川の県」と呼ばれる。

南北に細長い三郷市は、東は江戸川、西は中川が境界になっていて、その間を南北に大場川、第二大場川、二郷半用水が流れ、江戸川、中川を東西に三郷放水路が結んでいる。

県にならって、「川の市」と呼びたくなるようなまちである。

水が豊かなのでJR武蔵野線の三郷駅の北側に「早稲田」という地名が残る。合併した昔の村の名前である。万葉時代から歌に残るほどの早稲(早場米)の産地で、「葛飾早稲発祥地」の碑が立っている。

緊急用船着場は、三郷駅から徒歩5分のところに国土交通省が整備したもので、災害発生時に救援物資などを搬送・荷揚げする施設である。フェスティバルは、平時に市民に親しまれるよう市が年に一度開いている催しだ。

都心から15-24kmしかないのに、「陸の孤島」同然だったのは昔の話。今では、高速道路は常磐自動車道と外環道、首都高速6号三郷線が三郷ジャンクションで接続、05年につくばエクスプレスも三郷中央駅で停車、人口は1970年の約4万から13万6千人(14年5月)と3倍以上に増えた。

発展のきっかけになったのは、1973(昭和48)年、JR武蔵野線が開通し、三郷駅ができたことだった。

計画当時は「東洋一」と注目された住宅公団の大規模高層「みさと団地」(約9400戸)を皮切りに、都市整備公団の「三郷早稲田団地」(約2400戸)、民間の「パークフィールドみさと」(約2700戸)と巨大団地の建設が相次ぎ、「団地のまち」に変わっていった。

「みさと団地」、民間の「さつき平団地」に近い新三郷駅(1985年)もできた。この駅前の「新三郷ららシティ」には「イケア」、「ららぽーと」、会員制倉庫型店舗「コストコ」など大規模商業施設もオープンした。「ららぽーと」には「ANNEX」も出来た。

大規模商業施設と言えば、駅からは離れるが、3つの高速道が交差する三郷ジャンクションに近い「ピアラシティ」(イトーヨーカドー、スーパービバホームなど)もある。

武蔵野線三郷駅、新三郷駅の開業で起きたことが今、05年に開通した、つくばエクスプレスの三郷中央駅の周辺で再現されている。(写真)

東京側の終点の秋葉原まで約20分という地の利を得て、新住民が流入、高層マンションはもちろん、スーパーの「ヤオコー」、女性衣料品の「しまむら」、ホームセンターの「島忠ホームズ」などが店開き、駅の両側も公園風に整備された。巨大なゲームセンター(パチンコ屋)もある。

新三郷駅と比べて、大型商業施設はまだないものの、東京への通勤距離の短さで高層住宅地として発展しようとしている。10年の国勢調査では、市の東京への通勤率は27.9%だった。

市では「日本一の読書のまち三郷」づくりを目指し、小中の全校27校に司書を配置、「読書フェスティバル」を開いたりして実現に努めている。