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埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

川口オートレース場 入場者数、売上高とも日本一

2014年05月28日 14時59分50秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング



公営ギャンブルには競馬、競輪、競艇(モーターボート)、オートレースの4つがある。この4種類が全部そろっているのは全国でも埼玉県と福岡県だけ。埼玉県はけっこうなギャンブル県だと分かる。

このうち、さいたま市南区の浦和競馬場、同市大宮区の大宮競輪場、所沢市の西武園競輪場、戸田市の荒川近くの戸田競艇場は出かけたことがある。

川口市の川口オートレース場は、あることは知ってはいても出かけたことはなかった。最寄り駅のJR西川口駅東口の酒場でよく飲んでいたので、開催日には競艇とオート帰りの客と一緒になる機会が多かったためだ。

14年4月、朝日新聞によると、川口オートレース場で「第33回オールスターオートレース」に併せて「競争車の歴史とバイク展」が開かれている、とあるので自転車で出かけた。(写真)

前回優勝者と全国ファン投票で選ばれた精鋭が出場する大レースのはずなのに、思ったほどの人出はなく、高齢者の姿が目立つ。

日本でオートレースが始まったのは1950(昭和25)年、船橋競馬場の中の専用ダート(砂や炭ガラ)コースだった。川口のは1952年に始まった。

川口のコースが舗装(アスファルトコンクリート)されたのは1967(昭和42)年だった。1周500m、幅30mの楕円形で、最高時速150km(平均100km)で通常6周して勝負を競う。

車体には専用エンジンを搭載、公道を走るわけではないので、メーターもランプもなく、ブレーキもない。マシンの整備は選手が一人でする。

オートレースの開催場所は、全国でも少なく、6か所だけ。川口市のほかは、千葉県と船橋、伊勢崎、浜松、山陽小野田、飯塚市の1県・6市が主催していた。

オートレース発祥地だった船橋では、主催者の千葉県と船橋市が15年度末で事業を廃止した。売り上げが落ち込み、スタンド改修など修繕費が売り上げから捻出できなくなると判断したためだ。

06年度から県と市は民間に業務委託していた。売り上げは今後も年5%ずつ減少する見通しで、撤退を決めた。

オートレースは、小型自動車競走法に基づき、「地方財政の健全化」を目的の1つにしており、開設以来、川口市の財政に1200億円以上を拠出、さまざまな公共事業に貢献してきた歴史があるという。それとは別枠で市内小中学校の体育用具などの購入支援にも充てられた。

川口市でも、当初は県と共催だったのに、県は撤退、08年度から川口市だけの単独主催となった。

それでも5つのレース場の中で、4万4千人を収容できる川口は全国で最大、「オートレースのメッカ」と呼ばれている。

入場者数、売上高とも日本一だ。

15年9月5日からナイターも始まった。全国では伊勢崎(群馬県)、飯塚(福岡県)に次いで3か所目。騒音を7~9割カットする消音マフラーを取り付け排気音の7割以上を抑えた。レースは午後3時開始、最終レースは午後8時半スタートした。

ナイターは5~8日と25~28日の8日間行われ、ここ10数年で最高の入場者数と売上高を記録した。気をよくした市は、照明をLEDに変え、16年5月25日からナイターを常時開催することを決めた。10月まで計26日実施する。

公営ギャンブルの最盛期は、1992(平成4)年度頃で、入場者、売上高とも年々減少続き。特にオートレースの落ち込みがひどく、川口の場合、1日当たり平均入場者数、年間売上高とも3分の1程度になっている。

それでも12年度には約5億円が市の一般会計に組み入れられている。

このオートレース場には「川口オートミュージアム」が付属していて、往年の名車「メグロ」「キョクトー」「トライアンフ」「フジ」などが展示されている。

今度の展覧会では、「メグロ」「キョクトー」などの国産車とともに、レース車の原型となった英国製の「ジャップ」が展示されたのが注目された。

所在地の青木は駅から距離があるので、開催日には京浜東北線の西川口駅から無料バスが出ていて、昨年度から入場料もただになった。

オートレース場のエンジンの音と匂いには独特の魅力があるので、それに魅かれてくる長年のファンもいる。

一般市民には、毎年8月のたたら祭りの会場となり、花火を目前で楽しめるので親しまれている。