
/\をきの国まで、ながされける。ぎつちやうくはんじやにて、
やすからね。いかさまにも、我ながさるゝ国へ、迎かへとらず
るものをとおそりあかり/\ぞ申ける。此君はあまりに、き
つちやうの国を、あひせさせ給ふ間、もんがくかやうにはあく
口申けるなり。そのゝちぜうきうに御むほんをこさせ給
ひて国こそおほけれ。はる/"\とをきの国までうつされさ
せおはしける、しゆくえんの程こそふしぎなれ其国にて
もんがくがばうれいあれておそろしき事共おほかりけり。
つねは御前へ參り御物がたり共申けるとぞ聞えし。去程に
六代御前は、三位のぜんじとて、たかをのおくに、おこなひす
ましておはしけるを、かまくら殿、さる人の子なりさるものゝ
でしなりたとひかしらをばそり給ふ共、心をばよもそ
り給はじとてめし取てうしなふべきよし、かまくら殿
より、公家へそうもん申されたりければ、やがてあん判官
すけかねに仰て、めし取て、くはんとうへぞくだられける。

するがの国の住人、おかべのごんのかみ、やすつなに仰せて、
さがみの国たこひ川のはたにてつゐにきられにけり。
十二のとしより、三十にあまるまでたもちけるは、ひとへ
にはせのくわんおんの、りしやうとぞ聞えし。三位のぜ
んじきられて後、平家の子孫はながくたえにけり。
平家物語巻第十二
付 六代切られの事
付 六代切られの事
いる隠岐の国まで、流されける。毬杖冠者(ぎつちやうくはんじや)にて、やすからね。いかさまにも、我流さるる国へ、迎かへとらずるものを」とおそりあかりあかりぞ申しける。この君は余りに、毬杖の国を、愛せさせ給ふ間、文覚かやうには悪口申けるなり。その後承久に御謀反起こさせ給ひて、国こそおほけれ。遥々と隠岐の国まで遷されさせ御座しける、宿縁の程こそ不思議なれ。その国にて文覚が亡霊あれて、恐ろしき事ども多かりけり。常は、御前へ參り、御物語りども申しけるとぞ聞えし。
去程に、六代御前は、三位の禅師とて、高雄の奥に、おこなひすまして御座しけるを、鎌倉殿、「さる人の子なり、さる者の弟子なり。例ひ、頭をば剃り給ふども、心をばよも剃り給はじ」とて召し捕て失ふべき由、鎌倉殿より、公家へ奏聞申されたりければ、やがて安判官資兼に仰せて、召し捕りて、関東へぞ下られける。
駿河の国の住人、岡部の権の守、泰綱に仰せて、相模の国田越川の端にて、遂にきられにけり。十二の歳より、三十に余るまで保ちけるは、偏へに長谷の観音の、利生とぞ聞えし。三位の禅師きられて後、平家の子孫は長く絶えにけり。
駿河の国の住人、岡部の権の守、泰綱に仰せて、相模の国田越川の端にて、遂にきられにけり。十二の歳より、三十に余るまで保ちけるは、偏へに長谷の観音の、利生とぞ聞えし。三位の禅師きられて後、平家の子孫は長く絶えにけり。
※安判官資兼 不明。
※岡部の権の守、泰綱 岡部泰綱。藤原南家工藤氏の流れを組む入江清綱の子。
※田越川 神奈川県逗子市を流れる川。墓所と伝えられる墓が、逗子市桜山8丁目にある。
※三十に余るまで 屋代本・延慶本では二十六歳。吾妻鏡には、記載がないので、死没年、享年不明。