新古今和歌集の部屋

鴨長明方丈記之抄 福原遷都1 都と定まりにけるより

都とさだまりにけるより後すでに数百
歳をへたり。ことなくてたやすくあらたま
るべくもあらねば、これを世の人たやすからず
愁あへる様ことはりにも過たり。されどとかく
ふかひなくて御門より初たてまつりて
大臣公卿悉移り給ひぬ。世につかふるほ
どの人誰かひとり故郷に残らん。官位に思
ひをかけ主君の影をたのむ程の人
は、一日なりともとく移らんとはげみあへ
り。ときをうしなひ世にあまされて、期
する所なき者は愁ながらとまりをり。
 
 
 
都と定まりにけるより後、すでに数百
経たり。ことなくて、たやすく改まるべ
もあらねば、これを世の人たやすからず、
愁あへる、ことはりにも過たり。されど、
とかくふかひなくて、御門より初め、奉
大臣・公卿移り給ひぬ。世に仕ふ
どの人、誰かひとり、故郷に残らん。
官位に思ひをかけ、主君の影を頼む程
は、一日なりとも、とく移らんとはげみ
あへり。時を世にあまされて、期
る所なき者は愁ながらとまりをり。
 

(参考)前田家本
都と定まりにけるより後、既に数百歳に
及べり。殊なる故無くて、容易く改まるべく
もあらねば、これを世の人安からず
憂へあへる樣、理にも過ぎたり。 然れど、
兎角言ふ甲斐無くて、帝より始め
りて、大臣公卿皆ごと遷ろひ給ひぬ。世に仕ふる
人、誰か一人も故郷に残り居らむ。
官、位に思ひを懸け、主君の蔭を頼むほどの
人は、一日なりとも疾く遷ろはんと励み、
時を失ひて期す
る所無き者は、憂へながら留まり居り。
 

(参考)大福光寺本
ミヤコトサタマリニケルヨリノチステニ四百余歳
ヘタリ。コトナルユヘナクテタヤスクアラタマルヘク
モアラネハコレヲ世ノ人ヤスカラス
ウレヘアヘル実ニ事ハリニモスキタリ。サレト
ゝカクイフカヒナクテ帝ヨリハシメタタテマツ
リテ大臣公卿ミナ悉クウツロヒ給ヒヌ。世ニツカフルホトノ
人タレカ一人フルサトニノコリヲラム。
ツカサクラヰニ思ヲカケ主君ノカケヲタノムホトノ
人ハ一日ナリトモトクウツロハムトハケミ。
時ヲウシナヒ世ニアマサレテコス
所ナキモノハウレヘナカラトマリヲリ

 
頭注
大極殿 同云朝堂院
 正殿名云八省院是
 又謂之冣大殿天子
 臨朝即位謂司告朝
 所或云號朝堂院
大學寮 縦壬生横二
 條西南角也
民部省 縦西洞院横
 春日東北角也
一夜がほどに灰と成にき
 阿房宮賦楚人一炬
 可憐焦土
樋口富小路 樋口富小
 路東◯にあれども前
 にたつみより火来とい
 へればこゝは東富小路な

平安神宮 

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