新古今和歌集の部屋

鴨長明方丈記之抄 治承の辻風2 かの地獄の業の風なりとも




聞えず。地獄の業風なりともかくこそ
はとぞ覚えける家の損亡するのみな
らず、これをとりつくろふ間に身をそこな
ひかたはつけるものかすをしらず。此風ひ
つじさるのかたにうつり行て、おほくの人の
歎きをなせり。辻風はつねに吹物なれど
かゝることやはある。たゞごとに非ず。さるべき物の
さとしかなどぞうたがひ侍りし。又おなじ
年の水無月の比、にはかに都遷侍り
き。いと思ひの外なりしこと也。大かた此京
のはじめをきけば嵯峨天皇の御時
 
 
聞えず。地獄の業風なりとも、かくこそとぞ覚
けるの損亡するのみらず。これを取り繕
ふ間に身をそこなひかたはづけるもの数を知らず
此風未申方に移り行て、多くの人の歎きをなせり。
辻風は常に吹物なれどかかることやはある。ただ
ごとに非ず。さるべき物のさとしかなどぞ疑ひ侍
し。又、同じ年の水無月の比、にはかに都遷侍りき。
いと思ひの外なりしこと也。大方此京の始めを聞け
ば、嵯峨天皇の御時
 

(参考)前田家本
聞こえず。彼の地獄の業の風なりとも、かばかりにはとぞ覚
ゆる家の損亡せるのみに非ず是を取り繕
ふ間に身を損なひ片輪付ける数も知らず。
この風、方へ移り行きて多くの人の嘆きを為せり。
辻風は、常に吹くものなれど、斯かる事やある
事に非ず。然るべき者の諭しかとぞ疑ひ侍
し。治承四年水無月の比、俄に都遷り侍き。
いと思ひの外為りし事也。大方、この京の始めを聞け
ば、嵯峨の天皇の御時、
 

(参考)大福光寺本
キコエス彼ノ地獄ノ業ノ風ナリトモカハカリニコソハトソヲホ
ユル家ノ損亡セルノミニアラス是ヲトリツクロ
フアヒタニ身ヲソコナヒ片輪ツケル人カスモシラス
コノ風ヒツシノ方ニウツリユキテヲホクノ人ノナケキナセリ
ツシ風ハツネニフク物ナレトカゝル事ヤアルタタ
事ニアラスサルヘキモノゝサトシカナトソウタカヒハヘリ
治承四年ミナ月ノ比ニハカニミヤコウツリ侍キ
イトヲモヒノ外也シ事ナリヲホカタ此ノ京ノハシメヲキケル事
嵯峨ノ天皇ノ御時
 
 
※未の方 南南西。未申の方 南西。百錬抄によると、近衛京極(鴨淅高校北)から錦小路あたりまで被害があったとある。式子内親王は四条殿に居て被害があったと明月記にある。
 



頭注
 露とのうへをうつといへり。
物の心をしれりし しれ
 りしはしりしなり
春秋を送る  春秌と
 いへるは四季をかねていへり
 春といふに夏はとり◯秌
 といふに冬はどもり。孔
 子の作李給ふ春秌の
 礼なるべし
や〃  彌◯なり。
安元 高倉院之年号
 也。此年治承と開元
都のたつみ 即樋口富小路也
朱雀門 拾芥云長安
 南面皇城門是謂朱
 雀門

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