新古今和歌集の部屋

都名所図会 平安城首 誠心院誓願寺

 
 
 
 
 
 
 
誠心院は西光寺の北に隣る。(俗に和泉式部といふ。古は小川一条の北にあり。御堂関白道長公の
            草創にして和泉式部も此寺に入て尼となりて住みし也     )
 本尊は阿弥陀仏脇壇には関白道長公の影を安置す。和泉式部の塔軒端梅有。
   軒端の梅の傍に俳諧師紫藤軒言水の墓あり。 
   凩の果は有けり海の音     言水
 
和泉式部は
越前守雅致が
女にして能和
哥を以て世に
鳴。又美顔
曼鬋時の人
これを慕ふ。
四十歳の頃
より尼になり
誠心院の
小御堂に
   蟄して
傳末来資粮を
   求むとなん。
一遍上人誓願寺にて御札
を弘め給ふとき其霊魂
現れ上人に問答せし謡
曲の趣きも宜なっらんか。

誓願寺は京極三条にあり。浄土宗にして深艸流義の一本寺なり。本願は
 天智天皇開基は惠隠僧都といふ。(初は和州平城にあり。桓武天皇迁都の後上
                京元誓願寺通小川の西にうつす。専貞法師
 源信僧都も暫こゝに住し十餘世の後蔵俊
 僧正法然上人の法徳に帰入し浄土宗となる)本尊阿弥陀佛は長八尺の坐像
 にして佛工賢問子芥子國両人の作なり。又春日大明神夜々影向ありて扶
 助し給ふ。故に春日の神作ともいふ。(面に朱字の名号あり。これ天智帝の宸筆なり。
                腹内に五臓六腑あり。希代の霊仏にして奇験古今に著)
 額は大寺空性法親王の筆。(當寺再興大施主大相國北御方
              佐々木京極女為二世安楽也と書す)六字額は一遍
 上人の筆なり。堂内の壇上には天智帝の宸影慧隠和尚の影を安ず。三重
 塔は元和八年の草創にして本尊は谷薬師なり。開山堂には法然
 上人の像あり。釋迦堂には寶冠釋迦仏を安置す。鎮守は春日明神也。五輪
 石塔は秀吉公の愛妾松丸殿の墓也。(法名は寿芳院月晃盛久禅定尼と銘す。
                當寺再興の施主ゆへ檀那塔と称す。
 辨慶石は方丈の庭假山の上にあり。(いにしへは三条京極の西
                弁慶町にありしと也 )柏石は小方丈の西
 手洗鉢の本にあり。羽二重井は方丈の前にあり。當寺の什物に烟除佛舎利有。
 弘法大師よりの傳來とぞ。又法然上人の一枚起請を美嘆す。一休和尚の筆あり。

 (表具の中縁は紫地の牡丹からくさにして古竹屋町織也。         (ロに法然上人の
 小縁は萌黄地の寶づくし。是を誓願寺切とも安楽庵ともいふ )其文に日く 一枚起請有。略之)
    傳聞法然活如来   安坐蓮華上品䑓
    尼入道同愚癡軰   一枚起請文㝡奇哉
    南无阿弥陀佛
 此外達广虚堂いらぬもの唯法然の一大事と
 存奉る。我等今日より浄土宗に成申候穴賢/\
 應仁二年二月五日    薪酬恩院主 一休 判
    佛御所さま
 當寺の境内には紅梅数株あり。如月の頃は都下の人々こゝに來り
 未開紅の艶色を賞して美観とす。
   立ちならぷ木もふるぴたり梅の花     舎羅
 塔中竹林院には小堀遠州の数寄庭あり。(これを遠州の
                  八窓といふ )庭中の風景
 絶倫也。同長仙院の庭佳境也。世に名高し。
 
伝和泉式部墓 宝篋印塔
 
軒場梅歌碑
 
和泉式部像と誠心院ポスター
 
 
 
 

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