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元徳二年(1330年後醍醐)三月日吉社并叡山行幸記
…略…
これを見奉らんとて、諸國の下臈どもおほくもてのぼりあつまる。また京都の貴賤上下、冷泉萬里小路より三條河原粟田口邊にいたるまで、見物車桟敷のかまへありともみえず。
松坂松岡をこえ、五位墓四宮河原になりぬれば、鴨長明が述懷せし外山はるかにみえわたり、まがきは山とながめて、遍昭僧正のすみけん花山も遠からで。けさは霞める音羽山山科如意山安祥寺、松の戸ふりてまかまかし。
群書類従巻第三十八 帝王部十
※四宮河原
仁明天皇第四皇子人康親王が、出家し、山科に御所を造成した。その御所旧跡の寺が十禅寺(山科区四ノ宮泉水町)で、その後四宮河原と言われた。
人康親王の山荘跡近所の諸羽神社
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