新古今和歌集の部屋

藤河の記 美江寺


廿日、帰南せんとす。今日すなはち鏡嶋を立ちて、もとの路を経て垂井に至る。民安寺といふ律院に泊る。駄餉などは僧都の被官人高屋の某に仰せ付けて懇ろなる事どもあり。くだ/\しければ漏しつ。まことや、文和の比、後光厳天子、南軍に恐れまし/\て、小嶋に行幸ありし次に、此寺にも渡らせ給けれるとなん。行官の礎など今にあり。その時、自ら植へさせ給へる松の老木と成りてあるを見て、

 世におほふ君が御蔭にたぐふらし民安かれと植へし若松

青墓(あふはか)といふは垂井よりこなたなり。名寄に青墓里といへる、この事にや。

 契あれば此里人に青墓のはかなからずは又も来て見ん

美江寺といふは、鏡島より五十町ばかりを隔てたるといへり。本尊は十一面観音、斗帳などの中にもましまさず。うち現れて、人に拝まれさせ給ふ。利生を被ることの多しとなん。往来の便りに二度詣でゝ礼拝をいたす。縁起など詳しく尋ぬるにいとまあらず。

 たのもしな仏は人にみえ寺の帳を垂れぬ誓思へば

垂井 民安寺

岐阜県不破郡垂井町に有った寺。後光厳天皇が訪れた。



青墓里

美濃国不破郡青墓村(現在の岐阜県大垣市青墓町)にあったとされている古代・中世の東山道の宿駅。


鏡嶋

現在の岐阜市鏡島

コメント一覧

jikan314
@shou1192_2010 ポエット・M様
旧年中は、投稿ミスをしたり、動画貼り付けを忘れたり、ご迷惑ばかり掛けてしまい申し訳ございませんでした。
今年は、早期にスランプから脱出して、行きたいと思っております。それまでは旧作を投稿させて頂きます。
中世紀行を読んでいるのは、田子の浦の位置を推測する為です。
又愚詠をなるべく早く投稿いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします😃
shou1192_2010
jikan314さん 本年もよろしくお願いいたします。
「中世日記紀行」を辿る緻密な調査には頭が下がります。
jikan314さんの、この粘り強い積み重ねに学んで参りたいと
思っています。

なお、今年最初のサロンに出詠頂ければと伺いました。
よろしくお願いいたします。
jikan314
@chisei 遅生様
中世日記紀行を読んでいたら、美江寺が有ったので、転載いたしました。駅から写真を撮りつつお伺いしました。
「みえ寺の」と有る事から、「みえでらの」と呼んでいたのかも知れませんね😃
一条兼良は、応仁の疎開の為に、美濃を旅したようです。
又御來室頂ければ幸いです😉
chisei
「美江寺といふは、・・・」は、藤河の記に載っているのですね。知りませんでした。ありがとうございます。
作者は、こんな地にまで足をはこんでいるのですね。当時は、東山道で、美江寺は少しはずれていた(1㎞以内?)と思うのですが、他にこれといった集落はなかったのでしょう。美江寺の辺は、養蚕で潤っていたので奈良時代の観世音菩薩があったのだと思います。
最後から2枚目の写真、谷汲道の始まりです。駅を降りて歩かれた道です。宿場と反対方向(北)へ行けば、すぐに真桑瓜、真桑文楽の里です。さらにずっと10㎞ほど行けば、西国三十三番満願霊場 谷汲山華厳寺になります。
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