廿日、帰南せんとす。今日すなはち鏡嶋を立ちて、もとの路を経て垂井に至る。民安寺といふ律院に泊る。駄餉などは僧都の被官人高屋の某に仰せ付けて懇ろなる事どもあり。くだ/\しければ漏しつ。まことや、文和の比、後光厳天子、南軍に恐れまし/\て、小嶋に行幸ありし次に、此寺にも渡らせ給けれるとなん。行官の礎など今にあり。その時、自ら植へさせ給へる松の老木と成りてあるを見て、
世におほふ君が御蔭にたぐふらし民安かれと植へし若松
青墓(あふはか)といふは垂井よりこなたなり。名寄に青墓里といへる、この事にや。
契あれば此里人に青墓のはかなからずは又も来て見ん
美江寺といふは、鏡島より五十町ばかりを隔てたるといへり。本尊は十一面観音、斗帳などの中にもましまさず。うち現れて、人に拝まれさせ給ふ。利生を被ることの多しとなん。往来の便りに二度詣でゝ礼拝をいたす。縁起など詳しく尋ぬるにいとまあらず。
たのもしな仏は人にみえ寺の帳を垂れぬ誓思へば
岐阜県不破郡垂井町に有った寺。後光厳天皇が訪れた。
※青墓里
美濃国不破郡青墓村(現在の岐阜県大垣市青墓町)にあったとされている古代・中世の東山道の宿駅。
※鏡嶋
現在の岐阜市鏡島