新古今和歌集の部屋

宇治拾遺物語  吾妻人生贄をとどむる事

宇治拾遺物語巻第十
六 吾妻人、生贄をとどむる事
今は昔、山陽道美作国に※中山、※高野と申す神おはします。高野は蛇、中山は猿丸にてなんおはする。その神、年ごとの祭に必ず生贄を奉る。人の女のかたちよく、髪長く、色白く、身なりをかしげに、姿らうたげたるをぞ求めて奉りける。昔より今にいたるまでその祭怠り侍らず。それにある人の女、生贄にさし当てられにけり。親ども泣き悲しむこと限りなし。人の親子となることは前の世の契りなりければ、あやしきをだにもおろそかにやは思ふ。ましてやよろづにめでたければ、身にもまさりて おろかならず思へども、さりとて逃るべからねば、嘆きながら月日を過す程に、やうやう命つづまるを、親子とあひ見ん事今いくばくならずと思ふにつけて、日を数へて明け暮れはただねをのみ泣く。

※岡山県津山市一宮にある大明神。主祭神は鏡作命ではあるが、大己貴命(大国主命)、瓊瓊杵命が合祀されている。

※岡山県津山市二宮にある高野大明神。

かかる程に、あづまの人の、狩といふ事をのみ役として、猪のししといふものの腹立ち叱りたるは、いと恐ろしきものなり、それをだに何とも思ひたらず、心に任せて殺し取り食ふ事を役とする者の、いみじう身の力強く、心猛く、むくつけき荒武者の、おのづから出で来て、そのわたりに立ちめぐる程に、この女の父母のもとに来にけり。
物語するついでに、女の父のいふやう、「おのれ、女のただ一人侍るをなん、かうかうの生贄にさし当てられ侍れば、思ひ暮し、嘆き明かしてなん、月日を過し侍る。世にはかかる事も侍りけり。前の世にいかなる罪を作りてこの国に生れて、かかる日を見侍るらん。かの女子も、『心にもあらず、あさましき死をし侍りなんずるかな』と申す。いとあはれに悲しう侍るなり。さるは、おのれが女とも申さじ、いみじう美しげに侍るなり」といへば、あづまの人、「さてその人は今は死に給ひなんずる人にこそおはすれ。人は命にまさる事なし。身のためにこそ神も恐ろしけれ。この度の生贄を出さずして、その女君をみづからに預け給ふべし。死に給はんも同じ事にこそおはすれ。いかでかただ一人持ち奉り給へらん御女を、目の前に生きながら膾につくり、切り広げさせては見給はん。ゆゆしかるべき事なり。さる目見給はんも同じ事なり。ただその君を我に預け給へ」と、ねんごろにいひければ、「げに目の前にゆゆしきさまにて死なんを見んよりは」とて取らせつ。
かくてあづま人、この女のもとに行きて見れば、かたち姿をかしげなり。愛敬めでたし。物思ひたる姿にて寄りふして手習をするに、涙の袖の上にかかりて濡れたり。かかる程に、人のけはひのすれば、髪を顔にふりかくるを見れば、髪も濡れ、顔も涙に洗はれて、思ひ入りたるさまなるに、人の来たれば、いとどつつましげに思ひたるけはひして、少しそば向きたる姿、まことにらうたげなり。およそ気高くしなじなしう、をかしげなる事、田舎人の子といふべからず。あづま人これを見るに、かなしき事いはん方なし。
されば、「いかにもいかにも我が身亡くならばなれ、ただこれにかはりなん」と思ひて、この女の父母にいふやう、「思ひ構ふる事こそ侍れ。もしこの君の御事によりて滅びなどし給はば、苦しとや思さるべき」と問へば、「このために、みづからはいたづらにもならばなれ、さらに苦しからず。生きても何にかはし侍らんずる。ただ思されんままに、いかにもいかにもし給へ」といらふれば、「さらば、この御祭の御清めするなりとて、しめ引きめぐらして、いかにもいかにも人な寄せ給ひそ。またこれにみづから侍りと、な人にゆめゆめ知らせ給ひそ」といふ。さて日比籠りゐて、この女房と思ひ住む事いみじ。
かかる程に、年比山に使ひ習はしたる犬の、いみじき中にかしこきを二つ選りて、それに生きたる猿丸を捕へて、明け暮れは、やくやくと食ひ殺させて習はす。さらぬだに猿丸と犬とは敵なるに、いとかうのみ習はせば、猿を見ては躍りかかりて食ひ殺す事限りなし。さて明け暮れはいらなき太刀を磨き、刀を研ぎ、剣を設けつつ、ただこの女の君と言草にするやう、「あはれ、前の世にいかなる契りをして、御命にかはりていたづらになり侍りなんとすらん。されど御かはりと思へば、命はさらに惜しからず。ただ別れ聞えなんずと思ひ給ふるが、いと心細くあはれなる」などいへば、女も、「まことに、いかなる人のかくおはして、思ひ物し給ふにか」と言ひ続けられて、悲しうあはれなる事いみじ。
さて過ぎゆく程に、その祭の日になりて、宮司より始め、万の人々こぞり集りて、迎へにののしり来て、新しき長櫃をこの女のゐたる所にさし入れていふやう、「例のやうにこれに入れて、その生贄出されよ」といへば、このあづま人、「ただこの度の事は、みづからの申さんままにし給へ」とて、この櫃にみそかに入り伏して、左右の側にこの犬どもを取り入れて、いふやう、「おのれら、この日比いたはり飼ひつるかひありて、この度の我が命にかはれ。おのれらよ」といひて、かきなづれば、うちうめきて脇にかい添ひてみな伏しぬ。また、日比研ぎ磨きつる太刀、刀、みな取り入れつ。さて櫃の蓋を掩ひて布して結ひて封つけて、我が女を入れたるやうに思はせて、さし出したれば、鉾、榊、鈴、鏡を振り合せて、先追ののしりて持て参るさま、いといみじ。さて、女これを聞くに、「我にかはりて、この男のかくして往ぬるこそいとあはれなれと思ふに、また無為に事出で来ば、我が親たちいかにおはせん」と、かたがたに嘆きゐたり。されども父母のいふやうは、「身のためにこそ神も仏も恐ろしけれ。死ぬる事なれば、今は恐ろしき事もなし。同じ事を、かくてをなくなりなん。今は滅びんも苦しからず」と言ひゐたり。かくて生贄を御社に持て参り、神主祝詞いみじく申して、神の御前の戸をあけて、こおの長櫃をさし入れて、戸をもとのやうにさして、それより外の方に、宮司を始め、かく次第次第の司ども、次第にみな並びゐたり。
さる程に、この櫃を刀の先してみそかに穴をあけて、あづま人見ければ、まことにえもいはず大きなる猿の、長七八尺ばかりなる、顔と尻とは赤くして、むしり綿を着たるやうにいらなく白きが、毛は生ひあがりたるさまにて横座によりゐたり。次々の猿ども、左右に二百ばかり並みゐて、さまざまに顔を赤くなし、眉をあげ、声々に啼き叫びののしる。いと大きなるまな板に、長やかなる包丁刀を具して置きたり。めぐりには、酢、酒、塩入りたる瓶などもなめりと見ゆる、あまた置きたり。
さてしばしばかりある程に、この横座にゐたるをけ猿寄り来て、長櫃の結緒を解きて蓋をあけんとすれば、次第次第の猿どもみな寄らんとする程に、この男、「犬ども食へ。おのれ」といへば、二つの犬躍り出でて、中に大きなる猿を食ひて、うち伏せてひき張りて、食ひ殺さんとする程に、この男髪を乱りて、櫃より躍り出でて、氷のやうなる刀を抜きて、その猿をまな板の上に引き伏せて、首に刀を当てていふやうは、「おのれが、人の命を絶ち、その肉むらを食ひなどするものは、かくぞある。おのれら。承れ。たしかにしや首斬りて、犬に飼ひてん」といへば、顔を赤くなして、目をしばたたきて、歯を真白にくひ出して、目より血の涙を流して、まことにあさましき顔つきして、手を摺り悲しめども、さらに許さずして、「おのれが、そこばくの多くの年比、人の子どもを食ひ、人の種を絶つかはりに、しや頭斬りて捨てん事、只今にこそあめれ。おのれ、かみならば我を殺せ。さらに苦しからず」といひながら、さすがに首をばとみに斬りやらず。さる程に、この二つの犬どもに追はれて、多くの猿どもみな木の上に逃げ登り、惑ひ騒ぎ、叫びののしるに、山も響きて、地も返りぬべし。
かかる程に、一人の神主に神憑きていふやう、「今日より後、さらにさらにこの生贄をせじ。長くとどめてん。人を殺す事、懲りとも懲りぬ。命を絶つ事、今より長くし侍らじ。また我をかくしつとて、この男とかくし、また今日の生贄に当りつる人のゆかりをれうじ煩はすべからず。あやまりて、その人の子孫の末々にいたるまで、我、守りとならん。ただとくとく、この度の我が命を乞い受けよ。いとかなし。我を助けよ」とのたまへば、宮司、神主より始めて、多くの人ども驚きをなして、みな社の内に入り立ちて、騒ぎあわてて手を摺りて、「ことわりおのづからさぞ侍る。ただ御神に許し給へ。御神もよくぞ仰せらるる」といへるも、このあづま人、「さな許されそ。人の命を絶ち殺すものなれば、きやつに物のわびしさ知らせんと思ふなり。我が身こそあなれ、ただ殺されん苦しからず」といひてさらに許さず。
かかる程に、この猿の首は斬り放たれぬと見れば、宮司も手惑ひして、まことにすべき方なければ、いみじき誓言どもを立てて祈り申して、「今より後はかかる事さらにさらにすべからず」など神もいへば、「さらばよしよし。今より後はかかる事なせそ」と言ひ含めて許しつ。さてそれより後は、すべて人を生贄にせずなりにけり。
さて、その男家に帰りて、いみじう男女あひ思ひて、年比の妻夫になりて過ごしけり。男はもとより故ありける人の末なりければ、口惜しからぬさまにて侍りけり。その後は、その国に猪、鹿をなん生贄にし侍りけるとぞ。

参考
新編日本古典文学全集 小林保治 増子和子 小学舘

コメント一覧

jikan314
@watanabe_march いつも拝見しております。今日はコメント有り難うございます😃
古典は、とても面白いと思っておりますが、今の学校の古文は、授業を受けている子供達に面白さが伝わっているのか?疑問です。
芥川龍之介は、古典の面白さから着想を得て、名作を作りました。古文の先生も、古文の授業を受けて、古典の面白さから教師になったと思いますが、教えていることは、一生使わない古文文法を、試験に出るからと無理に教えています。私も半世紀ぶりに、古典の品詞を調べ、そう言えば、こう言うつまらない事を勉強していたなあと思った次第です。
もし、英語の授業で、ビートルズの歌詞を宿題で訳させてくれる先生がいたら、私ももっと英語が出来たかもと思っております😓
又御覧戴ければ幸いです。
katumoku10
こんばんは!宇治拾遺物語、名前しか知りませんでしたが、とても面白い話が載っているのですね。どうも、有難うございます。

それで、生贄の話はヤマタノオロチと似ているし、身長七、八尺の大猿は猿田彦大神でしょう。ニニギノミコトの天孫降臨の道案内の神ですから、一緒に祀られているわけです(^_-)-☆

犬猿の仲の猿を犬に喰わせるという話も面白いですね。神にも弱点があるということでしょうか?犬はどこからの発想なのかははっきりしませんが、今、思いつくのは魏志倭人伝の狗奴国や狗古智卑狗ですね( ^)o(^ )

女好きの大猿は、大国主久々遅彦のことです。弥生後期(2世紀)に半島南部の鉄のネットワークの元締めだった先代久々遅彦(狗奴国の官狗古智卑狗、豊岡市久久比神社祭神、スサノヲの子孫)のことです。各地の首長はネットワークに参加するために綺麗な娘を差し出すしきたりがあったようです。それによって血縁関係で結ばれ、首長間の序列も作られたと見ています。
精力絶倫の大国主のシンボルは陽石です。縄文時代からの石棒信仰です。宇佐市安心院町佐田地区が、大国主が最初に国造りした「豊葦原の瑞穂の国」と突き止めましたが、「こしき石(いわ)」という陽石が田んぼの中に米神山方向に向いています。頭の部分に平石が置かれていて、これを取り外すと暴風が起こるという言い伝えで、誰も触りません。
また蛇神はナーガ(龍蛇神)で初代奴国王の天御中主はナーガ(中)を信奉する海人族の王という意味です。福岡市吉武高木遺跡に降臨した呉の王族で、天皇家の祖神です。日本書紀が隠しましたが、人々は龍神とか水神様として祀っています。

吉備の中山では奴国王スサノヲの弟ニギハヤヒ大神を朝廷は吉備津彦という名前にして備前国一之宮吉備津彦神社と備中国一之宮吉備津神社で祀らせています。中山という地名は、竜王山・龍王山と同様に全国にあります。当然、当時の人の共通の理解なのだと思います。
宇治という言葉も大国主の宇佐に因んで、ウサギ=大国主が治める場所という意味です。同時に菟遅は大国主の祟りという意味もあると思います。伊勢神宮内宮の宇治橋や門前町の地名の宇治は祭神の天照皇太神が大国主だと暗示しています。斎宮に来ていた未婚の皇女は大神の妻ということです。朝には蛇のうろこが布団の上にあったという話は有名ですね。アマテラスが男神であることは当時の人々の共通認識だったと思います。江戸時代になって本居宣長が古事記を広めたので、その後明治になって国家神道創設や学校教育によって記紀神話に変わっていったのですが、現代日本人は洗脳されていますが、記紀神話は新しい神話なのです。それまでの日本民族の神話・伝承は神仏習合・山岳信仰の修験道や道教・陰陽道などの影響で中世日本紀と呼ばれるものに変化したということは、すでにご存じかも知れませんが、斎藤栄喜さ「読み替えられた日本神話」(講談社現代新書)の中で説明されていました。
昔は全く苦手だった古文ですが、古代史研究でjikan様の記事などで勉強させてもらって、何となく意味が分かり、なんか親しみを感じるようになってきました。また古文の勉強をさせてください。どうもありがとうございました( ^)o(^ )
watanabe_march
わが国の古典は面白い話の宝庫です。最近出版される新しい本よりずっと面白いです。特に今昔物語は面白い、読んで楽しい本ですね。
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