「元より妻子なければ、捨て難き縁もなし。身に官禄あらず。」とあり、生涯独身であったかと推察されている。
しかし、同じく「貧しくして富める家の隣に居るものは、朝夕すぼき姿を恥ぢてへつらいつヽ出で入る。妻子、僮僕の羨める様を見るにも富家の人をないがしろなる気色を聞くにも、念々に動きて、時として安からず。」とある。
この感覚は、独身者には無理と思われる。
実際に妻子があって、妻君から毎日のように隣家の出世を恨み、下鴨社で重きをされない長明を責めて、長明も辟易していた経験を語っているように見える。
鴨長明集恋歌の最後に
秋の夕に女のもとにつかはす
忍ばむと思ひしものを夕ぐれの風のけしきにつひにまけぬる
とあり、鴨長明集は、養和元年五月、長明27歳に自撰したものである。
通常の貴族と同じく恋歌を送った女性が居て、結婚して居たとしても不思議は無い。
又、雑歌には子供に関して、
ものおもふころおさなき子をみて
そむくべきうき世にまどふ心かな子を思ふ道は哀なりけり
ものおもひ侍るころおさなき子をみて術懐のこゝろを
おく山のまさきのかづらくりかへしゆふともたえじ絶えぬなげきは
懐舊の時子といふことを
思ひ出でて忍ぶもうしやいにしへを今つかのまに忘るべき身は
と子供が昔いたような歌が三首も有る。
この二つを結びつけるとすれば、「父方の祖母の家」に住んで結婚し、「縁欠けて」25歳前後で河原近くに家を設けたが、妻君が愛想をつかせて、子供とともに家を出て行った。
「五十の春を迎へて家を出て」とすると25年間やもめ暮らしをしていた。出家を思い立った時は、「元より妻子」が無い身の上と言ってもおかしく無い。
根拠は少ない妄想の一つだが、記す価値は有る。
参考
鴨長明全集 上 簗瀬一雄校注 富山房百科文庫
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