后に立ち給ひける時冷泉院の
后の宮の御ひたひを奉り給ひ
けるを出家の時返し奉り給ふ
とて
東三條院
そのかみ
の
玉の簪を
うちか
へ
し
今は
ころもの
うらを頼まむ
返し
冷泉院太皇太后宮
盡きもせぬ
光の間にもまぎれなで
おいて歸れる
かみのつれなさ
上東門院出家の後黄金の装束
したる沈の數珠銀の筥に入れ
て梅の枝につけて奉られける
枇杷皇太后宮
かはるらむ
ころも
の
色をおもひやる
涙や裏の
玉に
まがはむ
返し
上東門院
まがふら
む
衣の
玉に
亂れつゝ
なほまだ
覺め
ぬこゝち
こそ
すれ
后に立ち給ひける時冷泉院の后の宮の御
ひたひを奉り給ひけるを出家の時返し奉
り給ふとて
東三條院
そのかみの玉の簪をうちかへし今はころものうらを頼まむ
よみ:そのかみのたまのかざしをうちかえしいまはころものうらをたのまむ 隠
作者:詮子962~1001藤原兼家の娘。円融天皇の女御、一条天皇の母。
意味:皇太后宮になった時に髪に飾った玉の簪をお返ししますが、今は出家し、法華經の衣の裏に縫い付けられている宝玉を頼みにしています。
備考:異本では、簪はかずら 。東三条院の皇太后宮になたのは寛和二年(986年)。衣の玉は、法華経五百弟子受記品の宝玉。
返し
冷泉院太皇太后宮
盡きもせぬ光の間にもまぎれなでおいて歸れるかみのつれなさ
よみ:つきもせぬひかりのまにもまぎれなでおいてかえれるかみのつれなさ 隠
作者:昌子内親王950~999で朱雀天皇の皇女。冷泉天皇后。
意味:皇太后宮として、尽きもしない光の御繁栄の中でも輝きを失うことなく、年老いた私の元に帰ってきた昔と変わらぬ蔽髪を見ると、寂しいものがあります。
上東門院出家の後黄金の装束したる沈の數珠
銀の筥に入れて梅の枝につけて奉られける
枇杷皇太后宮
かはるらむころもの色をおもひやる涙や裏の玉にまがはむ
よみ:かわるらむころものいろをおもいやるなみだやうらのたまにまかせて 隠
意味:出家してお変わりになったでしょう。墨染めの衣を思いやって流す私の涙(沈香の数珠)は、法華経の衣の裏にある宝珠に見えるでしょうか。
作者:びわのこうたいごうぐう994~1027道長の娘で名は妍子。三条天皇の中宮。
備考:栄花物語 ころものたま。上東門院の出家は、万寿三年(1026年)正月十九日。
返し
上東門院
まがふらむ衣の玉に亂れつつなほまだ覺めぬここちこそすれ
よみ:まがうらむころものたまにはなれつつなおまださめぬここちこそすれ 隠
意味:衣の裏の珠と見紛うでしょうが、私の涙は乱れていて、出家はしてものの、煩悩の中にいて、覚めやらぬ心地です
作者:藤原彰子ふじわらのしょうし988~1074一条天皇の中宮で道長の娘。後一条、後朱雀天皇の母。紫式部、和泉式部、赤染衛門らが仕えた。
備考:栄花物語 ころものたま