摂政家百首哥に 高松院右衛門佐
よそながらあやしとだにも思へかし戀せぬ人の袖の色かは
百首歌に 式子内親王
夢にても見ゆらむ物をなげきつゝうちぬるよひの袖のけしきは
上二句、下とかけ合ヒうとし、二の句を、みせばや人にといひて、
とぢめをを°とかへば、たしかにかけ合べし。 けしきと
よめる、此集のころの歌におほし。
千五百番歌合に 摂政
身にそへる其面影も消なゝむ夢なりけりとわするばかりに
めでたし。 夢なりけりといふ詞のいきほひは、夢にて
有けるよといはむがごとし。
五十首歌奉りし時 前大納言忠良
たのめおきし淺茅が露に秋かけて木葉ふりしく宿の通路
本哥いせ物語、√秋かけていひしながらもあらなくに木葉
ふりしくえにこそ有けれ。 秋かけてといへる、本歌の
詞なれば、なくてかなはざれども、此歌とにてはかなひがたし。
其故は、すべてかけてとは、前より後をかくることをいふ詞な
れば、秋かけては、夏より秋をかけてにて、俗言に、秋へむ
けてといふ意なるに、木葉ふりしくは、時節たがへれば也。
木葉は、夏より秋へかけてちる物にはあらだるをや。よみぬ
しの心は、木葉は、冬の初メちる物なるが、秋の末よりとかつ/"\
ちる意にや。されどさやうに後より前をかくることを、かけて
といふ例は、ふるくはなきことにて、ことわりもかなはず。
百首歌の中に 通具卿
我戀はあふをかぎりのたのみだにゆくへもしらぬ空のうき雲
本歌√わが戀はゆくへもしらず云々。 本哥には、あふをかぎり
と思ふとある。そのたのみだになきよし也。浮雲は、ゆくへも
しらずきえゆく物なれば也。 千五百番哥合、顕昭判に、この
うき雲といふ詞いかゞといひて、負としたるは心得ず。
水無瀬恋十五首歌合に春戀 俊成卿女
面影のかすめる月ぞやどりける春やむかしのそでのなみだに
いとめでたし。 面影のかすめる月とは、月を見れば人の
面影のかすみて見ゆる。其月をいふ。 春やむかしの袖と
は、つゞめていはゞ、さきに逢見し人のことを、戀しのぶ袖と
いふ意なり。そは既に春部にいへるごとく、此集の比、かの
いせ物語の月やあらぬの哥の、一首の意。其歌ぬしの其時
の心を、春や昔の、といふ一句にこめてとれる例なり。