新古今和歌集の部屋

万葉集 貧窮問答歌の「やさし」について

(ウェッブリブログ 2017年04月08日)

万葉集 貧窮問答歌の「やさし」について

1 はじめに
万葉集巻第五
893世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可祢都鳥尓之安良祢婆
世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
この貧窮問答歌の短歌の「『憂し』と『恥し』と」と読んでいる。
しかし、「やさし」と訓むべきかを検討する。

貧窮問答の歌一首 短歌を併せたり
風雑へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜ろいて 咳かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かき撫でて 我を除きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻襖 引き被り 布肩衣 有りのことごと 服襲へども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒ゆらむ 妻子どもは 吟び泣くらむ 此の時は 如何にしつつか 汝が世は渡る。
天地は 広しといへど 吾が為は 『狭くや』なりぬる 日月は 明しといへど 吾が為は 照りや給はむ 人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾も作るを 綿も無き 布肩衣の 海松の如 わわけさがれる かかふのみ 肩にうち懸け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂え吟ひ 竃には 火気ふき立てず 甑には 蜘蛛の巣懸きて 飯炊く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端きると 云えるが如く 楚取る 里長が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ 斯くばかり 術無きものか 世間の道。
世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば。
山上憶良頓首謹みて上る。

2 諸解説本による訓
●体系 高木市之助他 岩波書店 P101
やさし―語源は痩ス。ヤス→ヤサシ(痩せるような気持がする)。これが後に、恥かしい意と、優美な意とに転じ、さらに平易の意味となる。
―補注 P438
やさし ヤサシは痩すという動詞の派生語である。アケ(明)→アカシ(明し)、フケ(更け)→フカシ(深し)、アレ(荒れ)→アラシ(荒らし)という形式によって、ヤセ(痩せ)→ヤサシが考えられる。ヤサシとは、つまり、身も細る感じだという意味である。世の中を「憂しとやさしと思へども」というのは、世間に対して、つらくて、身も細るように感じるけれども、という意味になる。身も細るとは、恥かしく感じるのであり、恥かしく感じているような人々は、外から見ても優美だという意味になる。名義抄に、○・○・艶をヤサシと訓み、色葉字類抄に、○をヤサシ・アテナリとしている。延慶本平家物語には、「此女、一首ヲシタリケルニ聞アヘス返事シタリケルコソヤサシケレ」などの用例がある。日葡辞書には、Homem comedido,bem criado,&amoroso.(節度ある、十分訓練された、そして情味のある人)という説明がつけられている。平家物語の例などには、殊勝だというような、価値評価の気持が加えられている。たやすいとか、平易であるという意味は、江戸時代以降になって生じたものである。
●全集
やさし―肩身が狭い、恥ずかしい。本来動詞痩スから派生した形容詞で、きまりが悪くて身が細るように思われる、が原義。
●新体系
生きているのも恥ずかしい
●集成
厭しと恥しと 仏教語「厭恥」などの翻案語。
●全注
世の中を憂しと恥しと思へども 涅槃経高貴徳王菩薩品、涅槃経梵行品、遺教経。煩悩世間を厭い、恥ずかしいものとして内に反省し、外に懺悔する心を言う。慈円の歌に「物の恥を思ひ知る人はとにかくに心と身とぞ世に有り難き」(拾玉集)。
●私注
憂いと思ひ、恥づべきものと思ふけれど
語釈 ヤサシト(八五四)に見えた語である。世の中を恥づべきものと思ふといふのは、生き居るに堪へないといふ程の意であらう。
●注釋 澤瀉久孝 中央公論社 P258
憂しとやさしと―世の中を憂く思ひ恥かしく思ふ。「やさし」は恥かしの意(八五四)。
●全解 多田一臣 筑摩書房 P277
恥し―「ヤサシ」は、「痩す」と同根。周囲の目を意識して、身も細る思いがする意。ここは仏教的な慚槐の念。貧苦にまみれてこの世を生きることは、宿縁の拙さの露呈にもつながり、そこに慚愧の念が生ずる。「嗚呼恥づかしきかな、○しきかな。世に生まれて命活き、身を存へむに便無し。」(日本霊異記下三八縁)
●全歌講義 阿蘇瑞枝 笠間書院 P201
憂しと恥しと 情けないとも恥ずかしいとも。「やさし」は、身が細るほどに恥ずかしく感じる、が原義。
●釋注 伊藤博 集英社 P195
厭しと恥しと 仏教語「厭恥」などの翻案という。(芳賀紀雄「貧窮問答の歌―短歌をめぐって―」)万葉第九十三号)。「恥し」は身のやせる思いをする意。
●全注釋 武田祐吉 角川書店 P532
ウシトヤサシト。ヤサシは、既出(巻五、八五四)恥かしの意。世間を憂しと思い、また恥かしいと思えども。
854 P472
キミヲヤサシ。ヤサシは、はずかしい意の形容詞。動詞痩スから轉成したものの如く、痩せるようにあるをいうのであろう。そこで後に、強盛でないことの意に分化を遂げた。「世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可祢都鳥尓之安良祢婆」(巻五、八九三)。君ヲヤサシミは、君に對してはずかしくて。

3 「やさし」と「さし」
恥しは、学研全訳古語辞典によると、
やさ・し 【恥し・優し】
形容詞シク活用
活用{(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}
①身も細るほどだ。つらい。肩身が狭い。消え入りたい。たえがたい。
出典万葉集 八九三
「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」
となっている。

これを、「『憂し』とや『さし』と」と品詞を変えてみる。
さしは、同辞典で、
さ・し 【狭し】
形容詞ク活用
活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}
狭(せま)い。
出典万葉集 八九二
「あがためはさくやなりぬる」
と貧窮問答歌を引用している。
リズム的な感覚では、後者の方が良い。

では、「とや」の用例があるかというと、
万葉集巻十一
2370 戀死戀死耶玉桙路行人事告兼
恋ひしなば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の事も告げけむ
がある。

4 結論
貧窮問答の長歌を踏まえて反歌がある。長歌に「さし」の用例があることから、反歌も「さし」とすべきであろう。
万葉学者は、八五四の用例に引かれすぎたため、歌本来の語調、意味を失って無理に意味を付けた。万葉学者の多くは歌人でもある。万葉集は素朴な感情の発露であると言いつつ、語調を無視して無理に意味を付けた結果である。
狭い場所から飛び立ち逃げたいという衝動が歌の意であろう。
世間を憂しとや狭しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

 

※着想

万葉集 山上憶良貧窮問答歌短歌の一考 2017-01-09 08

※各本の用例

万葉集 貧窮問答歌 2017-03-25

※用例追加予定

万葉集 貧窮問答歌 万葉集古義 2017-12-17

万葉集 貧窮問答歌 万葉集代匠記 2017-12-24

万葉集 貧窮問答歌 万葉集考証 2017-12-24

万葉集 貧窮問答歌 万葉拾穂抄 2017-12-25

貧窮問答歌 仙覚万葉集註釈 2019-06-13

※松浦娘

万葉抄 宗祇 松浦娘歌 貧窮問答歌 2019-11-17

萬葉集註釋 仙覚 松浦娘 貧窮問答歌 2019-11-17

万葉拾穗抄 北村季吟 松浦娘 貧窮問答歌 2019-11-17

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