本哥
ちはやぶる神のいがきにはふ葛も秋にはあへずうつろひ
にけり
うらかなしとは心かなしきと云事なり。表裏
の二字を讀ときは表の字を面によみ裏の字
をうらとよむなり。人の心はおもてはみえぬ
ものなり。源氏に舟人もたれをうらみつらん
といへるも同じ心なり。水茎岳むかしより葛
よみ侍るなり。
引
水ぐきのをかのあさぢのきり/"\す霜のふりはや夜ざ
むなるらん
ねてのあさけの霜のふりはもをとりたる哥也。
西行
○あはれいかに草葉の露のしほるらんあき風立ぬ宮城のはら
此あわれと云は哀といふ方も又あつはぱれといふ方も
あり。この草ばの露といへるは古郷の草ばの露となり。宮
城野の萩の露さとこぼるゝを見てこのおもし
ろき露さへあはれなるに古郷の草葉の露
さぞといへり。下には涙のこゝろもあるべし。又説
此哥は都にかへりてわがやどの荒れたる庭に對
して秋風をきゝて此比の宮城野の躰を思
やりてあはれいかに草葉の露のこぼるらんと
云り。時節の景気をかんしたる哥なり。作意き
とくなる哥なり。西行修行の時見し所なれば
如此いへるなるべし。宮城野は奥州伊達と松
島とのあひだの名所なり。
校異
草ばの露となり→草ばの露の事なり
作意きとく→作意のきとく