新古今和歌集の部屋

平家物語巻第十二 灌頂巻 九 小原への入御の事2

れけれ共、さるべきたよりもましまさず、ある女ばうの吉
田に參て申けるは、是より北、をはら山のおく、じやつ光
ゐんと申所こそ、しづかにさぶらへとぞ申ける。女院山里
は物さびしき事こそあんなれ共世のうきよりは住
よかんなる物をとて、思召立せ給ひけり。御こしなどをば
のぶたかたかふさの北の方より、御さた有けるとかや。文
治元年長月のすゑに、かのじやつ光院へ入せおはします。
道すがらも、よものこずゑの色々なるを御らんじ過さ
                                   てら
せ給ふ程に、山かげなればにや、日もやう/\くれかゝりぬ。の寺
のかねの入あひのこゑすごく、わくる草ばの露しげみ、い
とゞ御袖ぬれまさりあらしはげしく、木のはみだりがは
し。雲かきくもり、いつしか打しぐれつゝ、しかのねかすかに音
づれて、むしのうらみもたへ/"\也。とにかくにとりあつめたる
                            しま
御心ぼそさ、たとへやるべき方もなし。うらづたひ嶋づたひ、せ
しか共、さすがかくはなかりし物をと、思召こそかなしけれ
 
 

平家物語巻第十二 平家物語灌頂巻
  九 小原への入御の事
れけれども、さるべき頼りもましまさず、ある女房の吉田に參て申しけるは、
「是より北、小原山の奥、寂光院と申す所こそ、静かにさぶらへ」とぞ申しける。女院、
「山里は物さびしき事こそあんなれども世の憂きよりは住よかんなる物を」とて、思し召し立たせ給ひけり。御輿などをば、信隆、隆房の北の方より、御沙汰有けるとかや。
治元年長月の末に、かの寂光院へ入らせ御座します。道すがらも、四方の梢の色々なるを御覧じ過ごさせ給ふ程に、山陰なればにや、日もやうやう暮れかかりぬ。野寺の鐘の入相の声凄く、わくる草葉の露茂み、いとど御袖濡れまさり、嵐激しく、木の葉乱りがはし。雲かき曇り、いつしか打時雨つつ、鹿の音幽かにおとづれて、虫の恨みも絶え絶え也。兎に角に取り集めたる御心細さ、たとへやるべき方も無し。浦伝ひ嶋伝ひ、せしかども、流石かくは無かりし物をと、思し召すこそ悲しけれ。

 

※山里は物さびしき事こそあんなれども世の憂きよりは住よかんなる物を
古今集 雑歌下
 題しらず         よみ人知らず
山里は物のわびしき事こそあれ世の憂きよりは住みよかりけり
和漢朗詠集 山家
やまざとは物のさびしきことこそあれ世のうきよりはすみよかりけり
作者は、「わびしき」と「さびしき」の違いから和漢朗詠集から取った事が分かる。
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