新古今和歌集の部屋

歌論 無名抄 関明神事



關明神事

逢坂の關の明神と申すは、昔の蝉丸なり。
彼の藁屋の跡を失はずして、そこに神と成りてすみ給ふなるべし。
今も打過ぐる便りに見れば、深草の帝の御時、御使にて、和琴習ひに、良岑の宗貞、良少將とて通はれけんほどの事まで面影に浮びて、いみじくこそ侍れ。


○蝉丸
蝉丸 平安時代前期の琵琶法師。生没年未詳。
○藁屋の跡
世の中はとてもかくても同じこと宮も藁屋もはてしなければ
 (雑歌下 1851 蝉丸)
○深草の帝
仁明天皇(810~850年)
○良岑の宗貞
僧正遍昭(816~890年)の俗名。
○和琴習ひに、良岑の宗貞、良少將とて通はれけんほどの
今昔物語 巻第二十四 源博雅朝臣行会坂盲許語第二十三 では蝉丸と源博雅で琵琶を習いに行った。江談抄第三 六十三 博雅の三位琵琶を習ふ事 では、琵琶を博雅が習いに行ったのは、蝉丸ということではなく、千歳とある。遍昭である逸話は伝わっていない。

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