家長日記
何ばかりの事ならぬいたづらわざも、事一つに極めたる人の、その事に引かれて、こよなき御惠みどもの侍るに、鴨長明が望みの遂げざりしぞ、さきの世の事とのみ聞き侍りし。
すべて、この長明みなし子になりて、社の交じらひもせず、こり居て侍りしが、歌の事により、きたおもてへ參り、やがて、和歌所の寄人になりて後、常の和歌の会に歌參らせなどすれば、まかり出づることもなく、よるひる奉公おこたらず。
しかあれば、事のついで求め出でゝ、さるべき御惠みあらまほしくおぼしめいたる折しも、川合社のねぎかいてきたるを、よひとも
此のたびはながあきらになしたびてむずらむ
と思へば、いまだ申し出ださぬさきに、さる御けしき侍りしかば、ない/\も漏れ聞きて、喜びの涙せきとめがたき氣色なり。
此の事を惣官祐兼漏れ聞きて申すよう、
社官のならひ、位階を破らず。祐兼長子祐頼は、上下五位なり。長明はつはたけたりと言へども、身をえう無きものに思へるゆゑにや、社の奉公、日淺し。祐頼、比べば子息のよはひほどに侍れども、夜昼の奉公かけても及ぶべからず。定めて、御神知見し給ふらむ。たとひ子息奉公淺しと言ふとも、父のてんちやうちきゅうの御祈り、いかでか虚しからむ。又惣官長子、他に準ぜらるべからず。當社に限らざる事なり。
此の旨を神慮事を寄せて、をどろ/\しく訴え申す。
長明は別に身のり極まれる事は無し。ただ和歌のゆゑに召し出されたりし事を、虚しくなしはてじとおぼしめいたる事一つなり。されど百官などだにもゆゑ無く越ゆる事をば、ゆゝしく痛みおぼしめいたり。まいて神官は、中にもまづ神慮をさきとせらるべき事なれば、祐兼もうしじやう理なるよしをおぼしめして、さらば、うち社と申す社を官社になされて、さらに禰宜はふりを置かるべしと仰せられて、かの社の禰宜になしたばむと定められき。まことに有り難き程の御沙汰なり。長明が社官くはゝらむ事はさる事にて、長明がために氏社の官社にならせ給はむ事、社頭の光なれば、かた/"\これも喜び申さむずらむと思ひ侍りしに、
なほ元より申すむねたがひたり
とこはり申し侍りしに、うつし心ならずさへおぼえ侍りし。
さて、掻き籠もり侍るよし、ただ事とも覺えず。いづくにありとも聞こえで、ほどへて十五首よみて參らせたりし中に、
すみわびぬげにやみ山のまきのはにくもるといひし月を見るべき
これは、めしいだされたりし時、おほんうたあわせの侍りしに、ことによろしく詠める由、おほせられし歌侍りき。みやまのつきといふ題、
よもすがらひとりみ山のまきの葉にくもるもすめるありあけのつき
この歌を思ひいでて、げにやみ山と詠める。あわれによの人申しあへり。されど、さほどにこは/"\しき心なれば、よろづ打ちけし心地してぞおぼえ侍りし。
その後、出家し、大原におこなひすまし侍ると聞こえしぞ。あまりけちえんなる心かなと覺えしかど、さきの世に、かかるよすがに引かれて、まことの道におもむべきちぎり深かりけると、この世の夢思ひあはせられしならむかし。