二條院和哥このませおはしましける時、おかざきの三位、御師徳にて候はれけるに、此道の聞きたかきに依て、清輔朝臣めされて殿上にさぶらひけり。
いみじき面目なりけるを、或時の御會に、清輔いづれの山とか、「このもかのも」といふ事をよまれたりければ、三位これを難じて云、
筑波山にこそ、「このもかのも」とはよめ。大かた山ごとにいふべき事にはあらず。
と難ぜらられければ、清輔申て云、
筑波山ばかりに申べきにあらず。川などにもよみ侍るべきにこそ。
とつぶやきければ、三位あざわらひて、
證哥を奉れ。
と申されけるに、清輔いはく、
大井川の會に躬恆序かける時、「大井川このもかのも」とかける事、まさしく侍る物を。
といひ出たりければ、諸人口をとぢてやみにけり。荒涼に物を難ずまじきなり。
※岡崎の三位
藤原範兼
※或時の御會
応保二年三月八日の御会
※筑波山
筑波嶺のこのもかのもに影はあれど君が御影にます影は無し 古今集 巻第二十 東歌
※大井川の会
延喜七年9月10日 大井川行幸和歌序か?但し、序は貫之。袋草子には「漢河烏鵲のより羽の橋を渡して、此のもかのもに行きかふ」とある。