辰田川之図 喜多武清筆 掛軸
卅四むかし、をとこ、つれなかりける人のもとに
いへばえにいはねばむねにさはがれて心ひとつになげくころかな
おもなくて、いへるなるべし
卅五むかし、心にもあらで、たへたる人のもとに
玉のをゝ、あはをによりてむすべれば、たへてのゝちもあはんとぞおもふ
卅六昔、わすれぬるなめりと、とひごとしける、女のもとに
万葉
たにせばみみねまではへる玉かづらたへんと人にわがおもはなくに
いろ
卅七むかし、男、色このみ成ける、女にあへりけり。うしろめたくや思ひけん
あさがほ
我ならでしたひもとくな朝㒵のゆうかげまたぬ花にはありとも
かへし
ふたりしてむすびしひぼをひとりしてあひみるまではとかじとぞ思ふ
卅八昔、きの有つねがりいきたるに、ありきておそくきにけるによみてやりける
君により思ひならひぬ世の中の人はこれをやこひといふらん
かへし
ならはねは世の人ごとになにをかもこひとはいふととひしわれしも
※三十六段 万葉集巻第十四 相聞 3507
多尓世婆美 弥年尓波比多流 多麻可豆良 多延武能己許呂 和我母波奈久尓
※三十七段 万葉集巻第十二 正述心緒 2919
二為而 結之紐乎 一為而 吾者解不見 直相及者
※むすびしひぼを→むすびしひもを
卅九昔、西院のみかどゝ申す、みかどおわしましけり。其みかどのみこ、た
みや
かいこと申す、いまぞかりける。其みこうせ給ひて、御はふりの夜、其宮のとな
くるま
り成ける男、御はふりみんとて、女車にあひのりて出たりけり。久しうゐて出
みなもと
奉らず、うちなきてやみぬべかりける間に、あめのしたの色このみ、源の
いたるといふ人、是も物見るに、此車を女車と見てよりきて、とかくなま
ほたる
めく間に、かのいたるほたるを取て、女の車に入たりけるを、車成ける人、此蛍
ひ
の火にやみゆらん。ともしけちなんするとて、のれる男のよめる
こゑ
出ていなばかぎり成べきともしけち年へぬるかとなく聲をきけ
かのいたるかへし
いとあはれなくぞ聞ゆるともしけちきゆる物とも我はしらずな
した いろこのみ
あめの下の色好の哥にては、猶ぞありける。いたるはしたがふがおほぢ也。みこのほい
なし
※西院の帝 淳和天皇。その皇女は崇子内親王。承和十五年(848年)五月十五日薨去。
┏平城─阿保親王─在原業平
┃ ┏仁明┳文徳━清和━陽成
┃ ┃ ┗光孝
桓武╋嵯峨╃源定─至─挙─順
┃ └源融
┗淳和─崇子内親王
※かぎりなるべき→かぎりなるべみ(天福本、在五中将集、業平集)