松 風
三番目物・本鬘物 世阿弥作
一人の僧が須磨を訪ね、一本の松を見つけ、浦の男から行平が須磨に流されていた時に愛した松風、村雨という姉妹の墓標と教えられ、弔うと秋の日も暮れ、月が輝くと、二人の蜑が現れる。乙女たちは、蜑の身を嘆きつつ、浦の月を歌い、塩を汲み、塩屋に帰ってくる。僧は、浜辺の事を話し行平の歌を口ずさむと二人は涙ぐみ、松風、村雨の霊であると告げ、行平に愛され、三年後に行平は都に帰り亡くなり、自分たちも死んでしまったが、行平への思慕が死後もつのると語る。やがて二人は僧に回向を願い、なおも昔語りを続けるうち、懐かしさから、行平の形見の衣を抱きしめ、涙を流しながら舞を舞う。やがて二人は弔いを頼み、波風に消え失せた。
シテ 面白や馴れても須磨の夕間暮、蜑の呼び聲幽かにて
二人 沖に小さき漁り舟の、影幽かなる月の顏、雁の姿や友千鳥、野分鹽風いづれも實、かかる所の秋なりけり、あら心凄の夜すがらやな。
シテ いざ/\鹽を汲まむとて、汀に滿ち干の鹽衣の
ツレ 袖を結んで肩に掛け
シテ 鹽汲むためとは思へ共
ツレ よしそれとても
シテ 女車
同 寄せては歸る片男波、寄せては歸る片男波、蘆べの田鶴こそは立騷げ、四方の嵐も音添へて、夜寒何と過ごさむ、更行月こそさやかなれ、汲むは影なれや、燒鹽煙心せよ、さのみなど蜑人の、憂き秋のみを過ごさむ。
同 松島や、小島の蜑の月にだに、影を汲むこそ心あれ、影を汲むこそ心あれ。
地 運ぶは遠き陸奧の、其名や千賀の鹽竈
シテ 賤が鹽木を運びしは、阿漕が浦に引鹽
地 其伊勢の海の二見の浦、二度世にも出ばや
シテ 松の村立霞む日に、鹽路や遠く鳴海潟
地 それは鳴海潟、爰は鳴尾の松陰に、月こそ障れ蘆の屋
シテ 灘の鹽汲む憂き身ぞと、人にや誰も黄楊の櫛
地 さしくる鹽を汲み分けて、見れば月こそ桶にあれ
シテ 是にも月の入りたるや
地 嬉しやこれも月有
シテ 月はひとつ
地 影はふたつ、みつしほの、よるの車に月を載せて、憂し共思はぬ、鹽路かなや
灘の鹽焼…誰も黄楊の櫛
第十七 雑歌中 1588 在原業平朝臣
題しらず
葦の屋の灘の鹽やき暇なみ黄楊のをぐしもささず來にけり