新古今和歌集の部屋

源氏物語における鬼

源氏物語における鬼の表記を集めてみました。写真は、紫式部ゆかりの廬山寺の節分追儺他。( )内の数字は、新体系の頁、行。単語、段落名。※以下は新体系の注釈など。

 

帚木(45、1) 鬼 木工、墨書き、筆の道
「万づの事によそへて思せ。木の道の匠の万づの物を心に任せて作り出だすも 、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつゝ樣を変へて、今めかしきに目 移りてをかしきもあり。大事として、真に麗しき人の調度の飾りとする、定まれるやうある物を難なく し出づることなむ、なほまことの物の上手は、さまことに見え分かれ侍る。又、絵所に上手多かれど、墨がきに選ばれて、次々に更に劣り勝るけぢめ、ふとしも見え分かれず。かゝれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国の激しき獣の形、目に見えぬの顔などの、おどろ/\しく作りたる物は、心に任せてひときは目驚かして、実には似ざらめど、さて有りぬべし。
※「目に見えぬ鬼神」(古今集・仮名序)。亡霊や超自然の存在は、姿を持たないから目に見えることができない。それらを想像して鬼形や妖怪を描いた絵が数多く行われた。
 
帚木(59、 2 ) 鬼 蒜間と昼間と
「この香失せなむ時に立ち寄り給へ」と高やかに云ふを、聞き過ぐさむも、いとほし。暫しやすらふべきに、はた侍らねば、げにその匂ひさへ、華やかに立ち添へるも術なくて、逃げ目を使ひて、
  ささがにのふるまひしるき夕暮にひるま過ぐせといふがあやなさ
「いかなることつけぞや」
と、 言ひも果てず走り出で侍りぬるに、 追ひて、
  逢ふ事の夜をし隔てぬ仲ならばひる間も何かまばゆからまし
「さすがに口疾くなどは侍りき」
と、 しづ/"\と申せば、君達あさましと思ひて、「嘘言」とて笑ひ給ふ。
「いづこのさる女かあるべき。おいらかにとこそ向かひ居たらめ。むくつけき事」と 爪弾きをして、言はむ方なしと、式部をあはめ憎みて、
 
帚木(67、 3) 鬼神 鬼神も荒だつまじき男
皆静まりたるけはひなれば、掛金を試みに 引き開け給へれば、あなたよりは鎖さざりけり。几帳を障子口には立てゝ、 灯はほの暗きに、見給へば、唐櫃だつ物どもを置きたれば、乱りがはしき中を、分け入り給へれば、たゞ一人いとさゝやかにて臥したり。 生煩はしけれど、上なる衣押しやるまで、求めつる人と思へり。
「中将召しつればなむ。人知れぬ思ひの、験有る心地して」と宣ふを、ともかくも思ひ分かれず、物に襲はるゝ心地して、「や」とおびゆれど、顔に衣の触りて、音にも立てず。
「うちつけに、深からぬ心の程と見給ふらむ、理りなれど、年比思ひ渡る心の内も、 聞こえ知らせむとてなむ。かゝる折りを待ち出でたるも、さらに浅くはあらじと、思ひなし給へ」と、いと和かに宣ひて、鬼神も荒だつまじき気配なれば、はしたなく、「ここに、人」とも、 え罵らず。心地はた、侘びしく、あるまじき事と思へば、あさましく、
※鬼も神も荒々しくできそうにない様子なので。鬼神は、物の怪と超自然的存在と。優美なふるまいには荒神もなだめられてしまう感じ。
 
 
夕顔(120、4) 鬼 契る息長川
日たくるほどに起き給ひて、格子手づから上げ給ふ。いといたく荒れて、人目も無く遙々と見渡されて、木立いと疎ましく物古りたり。け近き草木などは、殊に見所無く、皆秋の野良にて、池も水草に埋もれたれば、いとけうとげになりにける所かな。 別納の方にぞ、曹司などして、人住むべかめれど、こなたは離れたり。
「け疎くもなりにける所かな。さりとも、 なども我をば見許してむ」と宣ふ。
※死者の霊魂などの超自然的な存在で、人に危害を加える事がある。気味悪さを打ち消す為に言ってみる源氏の言葉はかえって屋敷に棲息する鬼を呼び起こすことになる危険を伴う。
 
夕顔(125、 4) 鬼 冷えて行く女君の体
「昔の物語などにこそ、かゝる事は聞け」と、いとめづらかにむくつけけれど、先づ、「 この人いかになりぬるぞ」と思ほす心騒ぎに、身の上も知られ給はず、添ひ臥して、「やや」と、驚かし給へど、ただ冷えに冷え入りて、息は疾く絶え果てにけり。言はむ方無し。頼もしく、いかにと言ひ触れ給ふべき人も無し。法師などをこそは、かゝる方の頼もしき者には思すべけれど。さこそ強がり給へど、若き御心にて、云ふ甲斐無くなりぬるを見給ふに、やるかたなくて、つと抱きて、
「あが君、生き出で給へ。いといみじき目な見せ給ひそ」と宣へど、冷え入りにたれば、気配物疎くなりゆく。右近は、ただ「あな、むつかし」と思ひける心地、皆冷めて、泣き惑ふ樣、いといみじ。南殿のの、某の大臣脅やかしける例ひを思し出でゝ、心強く、
「さりとも、いたづらになり果て給はじ。夜の声はおどろおどろし。 あなかま」
※紫宸殿(南殿)の鬼が何某の大臣を驚かしたという例話を思い出しになって。鬼が藤原忠平の太刀のこじりをとらえた事が、大鏡・忠平伝にみえる。ここで源氏は忠平大臣が鬼を一喝して退散させた気強さに自分をなずらえたく思う。鬼を去らせる事ができれば女を蘇生するかもしれない。
 
 
若菜下(343、11)鬼神 音楽論-琴の論
若菜下(344 、 4)鬼神 音楽論-琴の論
「万づの事、道々につけて習ひまねばば、才と云ふ物、いづれも際なく 覚えつゝ、我が心地に飽くべき限りなく、習ひ取らむ事は、いと難けれど、何かは、その たどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片端をなだらかにまねび得たらむ人、さるかたかどに心を遣りても有ぬべきを、琴なむ、なほ煩はしく、手触れにくき物は有りける。この琴は、真に跡のまゝに尋ねとりたる昔の人は、天地を靡かし、鬼神の心を柔らげ、万づの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も喜びに変はり、賤しく貧しき者も高き世に改まり、宝に預り、世に許さるゝ類ひ多かりけり。 この国に弾き伝ふる初めつ方まで、深くこの事を心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねび取らむと惑ひてだに、し得るは難くなむ有ける。げにはた、明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上りたる世には有けり。 かく限り無き物にて、そのまゝに習ひ取る人の有り難く、世の末なればにや、いづこのそのかみの 片端にかは有らむ。されど、なほ、かの鬼神の耳留め、かたぶき初めにける物なればにや、なま/\にまねびて、 思ひかなはぬ類ひ有ける後、これを弾く人、よからずとかいふ難をつけて、うるさきまゝに、今はをさ/\伝ふる人無しとか。いと口惜しき事にこそ有れ。
※文選琴賦並序、詩経大序、古今集仮名序を利用。
 

夕霧 (142、10)鬼し 鬼神も罪ゆるしつべく
「人の偽りにやと思ひ侍りつるを、真にさるやう有る御氣色にこそは。皆世の常の事なれど、三条の姫君の思さむ事こそ、いとほしけれ。のどやかに慣らひたまうて」と聞こえたまへば、
「らうたげに物給はせなす、姫君かな。いと鬼しう侍るさがなものを」とて、
「などてか、それをも愚かにはもてなし侍らむ。かしこけれど、 御有樣どもにても、推し量らせ給へ。
※まったく夜叉みたいでございます口うるさい者なのに、雲居雁の言動を思い出すと、鬼みたいな女だと言いたくなる夕霧。ただし鬼の意味は多重で、死んだ霊魂の意味もある。
 
夕霧(143、12 )鬼神 鬼神も罪ゆるしつべく
御前に参りたまへれば、かのことは聞こし召したれど、 何かは聞き顔にもと思いて、ただうちまもりたまへるに、
「いとめでたく清らに、この比こそねび勝り給へる御盛なめれ。 さる樣の好き事をし給ふとも、人のもどくべき樣もし給はず。鬼神も罪許しつべく、鮮やかに物清げに、若う盛に匂ひを散らし給へり。
※恐ろしい神にしても、見逃してくれそうな。

橋姫 源平盛衰記

夕霧(144、 5)鬼 雲居雁の嫉妬荒れる
夕霧(144、 6)鬼 雲居雁の嫉妬荒れる
夕霧(144、12)鬼 雲居雁の嫉妬荒れる
日たけて、殿には渡り給へり。 入り給ふより、若君たち、すぎ/\美しげにて、まつはれ遊び給ふ。女君は、帳の内に臥し給へり。入り給へれど、目も見合はせ給はず。つらきにこそはあンめれ、と見給ふも理りなれど、憚り顔にも、もてなし給はず、御衣を引き遣り給へれば、
「いづことて御座しつるぞ。まろは早う死にき。常にと宣へば、同じくはなり果てなむとて」と宣ふ。
「御心こそ、よりけにも御座すれ、樣は憎げも無ければ、え疎み果つまじ」と、何心もなう言ひなし給ふも、心やましうて、
「めでたき樣に、なまめいたまへらむ辺りに、 有経べき身にも有らねば、いづちも/"\ 失せなむとするを、かくだにな思し出でそ。あいなく年ごろを経けるだに、悔しきものを」とて、起き上がり給へる樣は、いみじう愛敬付きて、匂ひやかにうち赤み給へる顔、いとをかしげなり。
「かく心幼げに腹立ちなし給へればにや、目馴れて、このこそ、今は恐ろしくもあらずなりにたれ。神々しき気を添へばや」と、戯れに言ひなし給へど、
※いつも鬼とおっしゃるから、同じことならそうなってしまおうとて。前に花散里に夕霧が述べた「鬼しう」という陰口が雲居雁の耳に早速伝わっているらしい。鬼には夜叉のような場合から死んだ霊魂を言う場合まである。
※お心は鬼よりひどく恐くていらっしゃるが、なりは憎からぬさまだから。
 
羅刹天
 
総角(462、12) 鬼 雪景色に大君を偲ぶ
風のいと烈しければ、蔀下ろさせ給ふに、四方の山の鏡と見ゆる汀の氷、月影にいとおもしろし。「京の家の限りなくと磨くも、えかうはあらぬはや」と覚ゆ。「 わづかに生き出でゝ、ものしたまはましかば、諸共に聞こえまし」と思ひつゞくるぞ、胸より余る心地する。
  恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にや跡を消なまし
「半ばなる偈教へむもがな、ことつけて身も投げむ」 と思すぞ、心ぎたなき聖心なりける。
※仏典で、羅刹から偈の後を聞き出す雪山童子の事。
 
 
東屋(166、2)鬼 乳母の急報に母君動転 
「あやしく心幼げなる人を參らせ置きて、後ろ安くは頼み聞こえさせながら、鼬のはべらむやうなる心地のし侍れば、よからぬ者共に、憎み恨みられ侍る」と聞こゆ。
「いとさ言ふばかりの幼さにはあらざめるを。うしろめたげに氣色ばみたる御まかげこそ、煩はしけれ」とて笑ひ給へるが、心恥づかしげなる御まみを見るも、心のに恥づかしくぞ覚ゆる。如何に思すらむと思へば、えも打出で聞こえず。
※中将の君の(浮舟母)の良心の呵責
 
東屋(178、4) 鬼 翌朝、薫は浮舟と出発
かやうの朝ぼらけに見れば、物頂きたる者の、「鬼のやうなるぞかし」と聞き給ふも、かかる蓬のまろ寝にならひたまはぬ心地も、をかしくもありけり。
 
浮舟(253、9) 鬼 浮舟に逢えず帰京
心弱き人は、ましていといみじく悲しと見奉る。いみじき仇をに作りたりとも、愚かに見捨つまじき人の御有樣なり。躊躇ひ給ひて、
「ただ一言もえ聞こえさすまじきか。いかなれば、今更にかかるぞ。なほ、人々の言ひなしたるやうあるべし」
※恐ろしい仇敵を鬼の姿に作ったとしても。
 

蜻蛉(267、15)鬼神 乳母の悲嘆
蜻蛉 (268、2)鬼 乳母の悲嘆
「あが君や、いづ方にかおはしましぬる。帰り給へ。空しき骸をだに見奉らぬが、甲斐無く、悲しくも有るかな。明け暮れ見奉りても、飽かず覚え給ひ、いつしか甲斐有る御樣を見奉らむと、朝夕に頼み聞こえつるにこそ、命も延び侍りつれ。打捨て給ひて、かく行方も知らせ給はぬ事。
鬼神も、あが君をばえ領じ奉らじ。人のいみじく惜しむ人をば、帝釈も返し給ふなり。あが君を取り奉りたらむ、人にまれにまれ、返し奉れ。亡き御骸をも見奉らむ」
※漢語「鬼神」の訓読。「神〈鬼ー〉カミ オニ」(名義抄)。
 
 
蜻蛉(270、1) 鬼 母君到着
「目の前に亡くなしたらむ悲しさは、いみじうとも、世の常にて、類ひ有る事也。これは、いかにしつることぞ」と惑ふ。かゝる事共の紛れ有りて、いみじうもの思ひ給ふらむとも知らねば、身を投げ給へらむとも思ひも寄らず、
や食ひつらむ。狐めく物や、取りもて去ぬらむ。いと昔物語のあやしき物の事の例ひにか、さやうなることも言ふなりし」と思ひ出づ。
 
 
蜻蛉(273、 6) 鬼 真相を隠す
「かゝる人共の言ひ思ふ事だに慎ましきを、まして、物の聞こえ隠れなき世の中に、大将殿わたりに、骸もなく亡せ給ひにけり、と聞かせ給はゞ、かならず思ほし疑ふ事も有らむを、宮はた、同じ御仲らひにて、さる人の御座しおはせず、暫しこそ忍ぶとも思さめ、遂には隠れ有らじ。又、定めて宮をしも疑ひ聞こえ給はじ。いかなる人か率て隠しけむなどぞ、思し寄せむかし。生き給ひての御宿世は、いと気高くおはせし人の、げに亡き影に、いみじき事をや疑はれ給はむ」と思へば、こゝの内なる下人共にも、今朝のあわたゞしかりつる惑ひに、
「氣色も見聞きつるには口かため、案内知らぬには聞かせじ」などぞ謀りける。
「ながらへては、誰にも、静やかに、ありし樣をも聞こえてむ。只今は、悲しさ覚めぬべき事、ふと人伝てに聞こし召さむは、なほいと/\ほしかるべき事なるべし」と、 この人二人ぞ、深く心の添ひたれば、もて隠しける。
 
 
蜻蛉(287、13) 鬼 薫、真相を聞き糺す
「自づから聞こし召しけむ。もとより思す樣ならで生ひ出で給へりし人の、世離れたる御住まひの後は、いつとなく物をのみ思すめりしかど、たまさかにもかく渡りおはしますを、待ち聞こえさせ給ふに、もとよりの御身の嘆きをさへ慰め給ひつゝ、心長閑なる樣にて、時々も見奉らせ給ふべきやうには、いつしかとのみ、言に出でゝは宣はねど、思しわたるめりしを、その御本意叶ふべき樣に承る事ども侍りしに、かくて侍ふ人どもも、うれしきことに思ひ給へいそぎ、かの筑波山も、からうして心ゆきたる氣色にて、渡らせ給はむ事をいとなみ思ひ給へしに、心得ぬ御消息侍りけるに、この宿直仕うまつる者どもも、女房たちらうがはしかなり、など、戒め仰せらるゝ事など申して、物の心得ず荒々しきは田舎人どもの、あやしき樣にとりなし聞こゆる事ども侍りしを、その後、久しう御消息なども侍らざりしに、心憂き身なりとのみ、いはけなかりし程より思ひ知るを、人数にいかで見なさむとのみ、 万づに思ひ扱ひ給ふ母君の、なか/\なる事の、人笑はれになりては、いかに思ひ嘆かむ、などおもむけてなむ、常に嘆き給ひし。その筋よりほかに、何事をかと、思ひたまへ寄るに、堪へはべらずなむ。などの隠し聞こゆとも、 いささか残る所もはべるなるものを」とて、泣く樣もいみじければ、
「いかなることにか」と 紛れつる御心も失せて、せきあへ給はず。
※鬼などが(浮舟を)お隠し申したとしても、少しは遺留品もありましょうものを。

手習(327、11)鬼 若い女を確認、救出
手習(327、14)鬼 若い女を確認、救出
手習 (327、15)女鬼 若い女を確認、救出
手習 (328、 8) 鬼 若い女を確認、救出
「さらば、さやうの物のしたりわざか。猶よく見よ」とて、この物怖ぢせぬ法師を寄せたれば、
か神か狐か木霊か。かばかりの天の下の験者の御座しますには、え隠れ奉らじ。名乗り給へ、名乗り給へ」と衣(きぬ)を取りて引けば、顔を引き入れて、いよいよ泣く。
「いで、あなさがなの木霊のや。まさに隠れなんや」と言ひつつ、顔を見んとするに、昔有りけん目も鼻も無かりける、女鬼にやあらんと、むくつけきを、頼もしういかき樣を人に見せ人と思ひて、衣を引き脱がせんとすれば、俯して声立つばかり泣く。
「何にまれ、かくあやしき事なべて世にあらじ」とて、見果てむと思ふに、
「雨いたく降りぬべし。かくて置いたらば、死に果て侍りぬべし。垣の下に
こそ出ださめ」と言ふ。僧都、
「真の人の形なり。その命絶えぬを、見る見る捨てん事はいみじき事なり。池に泳ぐ魚(いを)、山に鳴く鹿をだに、人に捕らへられて死なんとするを見つつ助けざらんは、いと悲しかるべし。人の命久しかるまじき物なれど、残りの命、一、二日をも惜しまずはあるべからず。にも神にも領ぜられ、人に遂(お)はれ、人に謀りごたれても、これ横樣の死にをすべき物にこそあンめれ。仏の必ず救ひ給ふべき際なり。猶、試に暫し湯を飲ませなどして、助け試みん。終に死ぬべくは、言ふ限りにあらず」と宣ひて、この大徳して抱き入れさせ給ふを、弟子ども、
 
手習(331、12)鬼 里人、葬送を語る
「故八の宮の御女、右大将殿の通ひ給ひし、殊に悩み給ふ事も無くて、俄に隠れ給へりとて、騷ぎ侍る。その御葬送の雑事ども 仕うまつり侍りとて、昨日はえ参り侍らざりし」と言ふ。
「さやうの人の魂を、の取りもて来たるにや」と思ふにも、かつ見る見る、「 ある物とも覚えず、危ふく恐ろし」と思す。人びと、
「 昨夜見やられし火は、しかこと/\しき景色も見えざりしを」と言ふ。

手習(336、11)鬼 浮舟、意識回復
「いといみじと、物を思ひ嘆きて、皆人の寝たりしに、妻戸を放ちて出でたりしに、風は烈しう、川波も荒う聞こえしを、独り物恐ろしかりしかば、來し方行く先も覚えで、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くべき方も惑はれて、帰り入らむも中空にて、心強くこの世に亡せなむと思ひ立ちしを、『烏滸がましうて人に見付けられむよりは、も何も食ひ失へ』と言ひつゝ、 つく/"\と居たりしを、いと清げなる男の寄り来て、『いざ、給へ。己が元へ』と言ひて、抱く心地のせしを、宮と聞こえし人のし給ふ、と覚えし程より、心地惑ひにけるなめり。知らぬ所に据ゑ置きて、この男は消え失せぬ、と見しを、遂にかく本意の事もせずなりぬる、と思ひつゝ、いみじう泣く、と思ひしほどに、その後の事は絶えて、いかにも/\覚えず。

手習(360、 9)鬼 尼君たちのいびき
姫君は、「いとむつかし」とのみ聞く老い人のあたりにうつ臥して、寝も寝られず。宵惑ひは、えもいはずおどろ/\しき鼾しつゝ、前にも、うちすがひたる尼ども二人して、劣らじと鼾合はせたり。いと恐ろしう、「 今宵、この人びとにや食はれなむ」と思ふも、惜しからぬ身なれど、例の心弱さは、 一つ橋危ふがりて帰り来たりけむ者のやうに、侘しく覚ゆ。
こもき、供に率て御座しつれど、色めきて、この珍しき男の 艶だちゐたる方に帰り去にけり。「今や来る、今や来る」と待ちゐ給へれど、いと儚き頼もし人なりや。中将、言ひ煩ひて帰りにければ、
「いと情けなく、埋れても御座しますかな。あたら御容貌を」など誹りて、皆一所に寝ぬ。
「夜中ばかりにやなりぬらむ」と思ふほどに、尼君しはぶきおぼほれて起きにたり。火影に、頭つきはいと白きに、黒きものをかづきて、この君の 臥し給へる、あやしがりて、鼬とかいふなる物が、さるわざする、額に手を当てゝ、
「あやし。これは、誰れぞ」と、執念げなる声にて見おこせたる、さらに、
「ただ今食ひてむとする」とぞおぼゆる。 の取りもて来けむほどは、物の覚えざりければ、なか/\心安し。「 いかさまにせむ」と覚ゆるむつかしさにも、「 いみじきさまにて生き返り、人になりて、また有りし色々の憂き事を思ひ乱れ、むつかしとも恐ろしとも、物を思ふよ。死なましかば、これよりも恐ろしげなる者の中にこそはあらましか」と思ひやらる。
※宇治で入水を決意したときの回想。「鬼も何も食ひ失へ」。「けん」は、浮舟の自失した意識を示す。
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