長明
たのめおく人もながらの山にだにさよふけぬれば松風の聲
だにといへるにて、戀の哥となれり。我はましてたのめ
おきたる人のあれば、まつ心のせつなることを、思ひやれとの
意なり。 さよふけぬればとは、夜のふくるまで、まつ人の
來ぬにつけていへる意なり。 松風は、例の待意とれる也。
さて、松風の聲とゝぢめたるは、此集のころのさまなれども、
これは我ガ待ッことのなぞらへにいへるなれば、松風ぞふくと
あらまほしきなり。聲といひては、よその事のなぞらへ
のやうにきこゆ。
秀能
今こむとたのめしことをわすれずは此夕暮の月やまつらむ
本歌√今こむといひしばかりに長月の云々。 こゝの哥は、本
歌をうちかへて、こなたよりたのめおきしこと聞ゆ。
さるはちかきほどに參らむとたのめおきつれども、さはり
有て、えゆかぬにちうきて、こよひなどは、其人の必我を月
出ば來むとまちて、月の出るをまちやすらむと、おもひ
やれる也。又結句は、√月まつとひとにはいひて云々の意によりて
たゞに我をまちやすらんの意にもあるべし。 たのめ
しを、あなたよりたのめたるにしては、下句おだやかならず。
待戀 式子内親王
君まつと閨へもいらぬ槇の戸にいたくなふけそ山の端の月
本哥√君こずはねやへもいらじ云々。√云々槇の板戸もさゝずねに
けり。 或抄に、√足引の山より出る月まつと云々を本哥にて
よめりといへるは、かなはず。此山端の月は、入かたの月なれば也。
戀のうたとて 西行
たのめぬに君くやとまつよひの間の更ゆかでたゞ明なましかば
三の句以下は、更行ことなく、よひの間のまゝにて、早く明たら
ばといふ意にて、其下へ、うれしからむといふ意をふくめ
たる格なり。うれしからむと思ふゆゑは、たのめもせぬ人
なれば、とても來るとは有まじきに、來や/\と夜ふくる
迄かやうに待んことは、いとくるしかるべきに、早く明たらば、待心のやむ
べければ、うれしかるべきなり。 此歌、戀の情にあらず。趣
意のよろしからぬ哥なり。