右考る所京都町数前巻に記る通元禄年中御改の節千八百餘町なり。其後所々新地出來ぬれば当時凡二千町の内外なるべし。今度焼殘たる四隅を併せなば凡四五百有べし。左あれば今度の焼失千四五百町成べし。朱書に有之三千餘町と云は積(つもり)も無き事なり。又死人の事は人主(ヒトヌシ)不ル知死骸八百餘人。総死人千七百人などゝ云ひ又は萬を以て算へなど取々に風説すれ共是は其数は御改もなき事なれば聢と知れがたかるべし。