京都堀川通 風俗博物館
左大臣
へだてどもなるべし。おとゞも、かくたのもしげなき
御心を、つらしと思ひきこえ給ながら、みたてまつり
給ふときは、うらみもわすれて、かしづきいとなみ
源 左大臣
きこえ給ふ。つとめて出給ところに、さしのぞき
左大臣
給て、御さうぞくし給ふに、なたかき御おび、てづ
からもたせてわたり給て、御ぞの御うしろひきつ
くろひなど、御くつをとらぬばかりにし給ふ。いとあ
源詞
はれなり。これはないえんなどいふことも侍なる
左大臣
を、さやうのおりにこそなどきこえ給へど、それはま
されるも侍り。これはたゞめなれぬさまなればな
地
んとて、しゐてさゝせ奉り給ふ。げによろづにかし
つきたてゝ、見奉り給に、いけるかひあり。たまさかに
ても、かゝらん人をいだしいれてみんに、ますことあらじ
源
とみえ給ふ。さんざしにとても、あまたところもあ
桐壺御門朱雀院寛平法皇になずらふ也
りき給はず。内春宮一院ばかり。さてはふぢつぼ
の三でうのみやにぞまいり給へる。今日はまたことに
もみえ給かな。ねび給まゝに、ゆゝしきまでなりま
藤つほ
さり給御ありさまかなと、人々めできこゆるを、宮
は御木丁のひまより、ほのみ給ふにつけても、おもほ
藤つぼの御さんの事也
すことしげかりけり。この御ことのしはすもすぎ
にしが、心もとなきに、此月はさりともとみや人゛も待き
御門 み
こえ、内にもさる御心まうけどもあるに、つれなくて
藤つぼ心
たちぬ御ものゝけにやと、世人もきこえさはぐをみや
いとわびしう、このことにより√身のいたづらになり
ぬべきことゝおほしなげくに、御心ちもいとくるし
源
くてなやみ給。中将の君は、いとゞ思ひあはせて、
みずほうなどわざとはなくて、所々にせさせ給。
世中のさだめなきにつけても、かくはかなくてや、やみ
なんと、とりあつめてなげき給に、二月の十日あ
冷泉院
まりのほどに、おとこみこうまれぬれば、なごりな
藤つぼ
く内にも、宮人゛もよろこびきこえ給。いのちながく
もとおもほすは心うけれど、こうきでんなとの、うけはし
げにの給ふときゝしを、むなしくきゝなし給はまし
隔て共なるべし。大臣も、かく頼もしげ無き御心を、辛しと思ひ聞こえ給
ひながら、見奉り給ふ時は、恨みも忘れて、かしづき営み聞こえ給ふ。つ
とめて、出で給ふ所に、さし覗き給ひて、御装束し給ふに、名高き御帯、
手づから持たせて、渡り給ひて、御衣の御うしろひき繕ひなど、御沓を取
らぬばかりにし給ふ。いと哀れなり。「これは、内宴など言ふ事も侍るな
るを、さやうの折にこそ」など聞こえ給へど、「それは、まされるも侍り。
これは、ただ目馴れぬ樣なればなん」とて、しゐてささせ奉り給ふ。げに
万づにかしつき立てて、見奉り給ふに、生ける甲斐あり。たまさかにても、
かからん人を出だし入れてみんに、ますことあらじと見え給ふ。参座しに
とても、数多所も歩き給はず。内、春宮、一院ばかり。さては藤壺の三条
の宮にぞ参り給へる。「今日は、又殊にも見え給ふかな。ねび給ふままに、
ゆゆしきまでなりまさり給ふ御有樣かな」と、人々めで聞こゆるを、宮は、
御几帳の隙より、ほの見給ふにつけても、おもほす事、茂かりけり。
この御事の、師走も過ぎにしが、心許無きに、此月はさりともと宮人も待
ち聞こえ、内にもさる御心設け共有るに、つれなくてたちぬ御物の怪にやと、
世人も聞こえ騒ぐを、宮、いと侘しう、この事により√身のいたづらにな
りぬべき事とおぼし歎くに、御心地も、いと苦しくて、悩み給ふ。中将の
君は、いとど思ひ合せて、御修法などわざとは無くて、所々にせさせ給ふ。
世の中の定め無きにつけても。かくはかなくてや、止みなんと、取り集め
て、歎き給ふに、二月の十日余(あま)りのほどに、男皇子生まれぬれば、
名残りなく、内にも、宮人も喜び聞こえ給ふ。命長くもと、おもほすは、
心憂けれど、弘徽殿などの、うけはしげに宣ふと聞きしを、虚しく聞きな
し給はまし
引き歌
√身のいたづらになりぬべき
拾遺集巻第十五 恋歌五
ものいひ侍りける女の、のちにつれなく
侍りて、さらにあはす侍りけれは
一条摂政
あはれともいふべき人はおもほえで身のいたづらに成りぬべきかな