11月25日15時17分
東京国立博物館のやまと絵展の2回目を観てきた。
金曜日だったので、閉館は8時。入場の待ち時間はなかったが、一遍上人絵巻、鳥獣戯画絵巻丁巻などの前が混雑した。
兎、蛙の甲巻の時に、じっくり観られたので、悔いは無い。
西行物語絵巻があった。
これは、愛知徳川美術館所蔵ではあるが、この続きの巻が、拙コレクションの萬野家蔵本のものである。
拙コレクションと同じもの(複製だけど)が、展示してあって興味深く観覧した。
何気に、テレビを見ていると、大和絵の解説をしていた。そう言う見方があるのかととても興味深く拝見し、観賞に役立った。
伴大納言絵詞は、もう展示されてい無かったが、新古今和歌集の部屋としては、この絵巻のネタを。
宇治拾遺物語 巻第十
一 伴大納言、応天門を焼く事
今は昔、水の尾の御門の御時に応天門焼けぬ。人のうけたるになんありける。それを伴善男といふ大納言、「これは信の大臣のしわざなり」とおほやけに申しければ、その大臣を罪せんとせさせ給うけるに、忠仁公、世の政は御弟の西三条の右大臣に譲りて、白川に籠り居給へる時にて、この事を聞き驚き給ひて、御烏帽子直垂ながら移しの馬に乗り給ひて、乗りながら北の陣までおはして、御前に参り給ひて、
「この事、申す人の讒言にも侍らん。大事になさせ給ふ事、いと異樣の事なり。かゝる事は返す/\よく糺して、まこと、空言顕して、行はせ給ふべきなり」と奏し給ひければ、
「まことにも」と思し召して糺させ給ふに、一定もなき事なれば、
「許し給ふ由仰せよ」とある宣旨承りてぞ大臣は帰り給ひける。
左の大臣はすぐしたる事もなきに、かゝる横ざまの罪に当るを思し歎きて、日の装束して庭に荒薦を敷きて出でて、天道に訴へ申し給ひけるに、許し給ふ御使に、頭中将馬に乗りながら馳せまうでければ、急ぎ罪せらるゝ使ぞと心得て、ひと家泣きのゝしるに、許し給ふ由仰せかけて帰りぬれば、また悦び泣きおびたゝしかりけり。許され給ひにけれど、
「おほやけにつかうまつりては、横ざまの罪出で來ぬべかりけり」といひて、殊にもとのやうに宮仕へもし給はざりけり。
この事は、過ぎにし秋の比、右兵衛の舎人なる者、東の七条に住みけるが、司に參りて夜更けて家に帰るとて、応天門の前を通りけるに、人のけはひしてささめく。廊の脇に隠れ立ちて見れば、柱よりかゝぐりおるゝ者あり。あやしくて見れば、伴大納言なり。次に子なる人おる。また次に雑色とよ清といふ者おる。「何わざしておるるにかあらん」と露心も得で見るに、この三人おり果つるまゝに走りて限りなし。南の朱雀門ざまに走りて往ぬれば、この舎人も家ざまに行く程に、二条堀川の程行くに、「大内の方に火あり」とて大路ののしる。見返りて見れば、内裏の方と見ゆ。走り帰りたれば、応天門の半らばかり燃えたるなりけり。「このありつる人どもは、この火つくるとて登りたるなりけり」と心得てありけれども、人のきはめたる大事なれば、敢へて口より外に出さず。その後、「左の大臣のし給へる事」とて、「罪蒙り給ふべし」と言ひ罵る。「あはれ、したる人のあるものを、いみじき事かな」と思へど、言ひ出すべき事ならねば、いとほしと思ひありくに、「大臣許されぬ」と聞けば、罪なき事は遂に逃るゝものなりけんとなん思ひける。