山州名跡志卷之十五
正徳元年辛卯七月吉日
○外山(トヤマ) 在リ浄福寺ノ東ニ右寺ノ北ニ。東西ニ通路(トヲルミチ)アリ。其ノ東ハ炭山(スミヤマ)笠取(カサトリ)。岩間(イハマ)等(トウ)ニ到(イタ)リ。西ハ六地蔵ノ町。伏見宇治等ニ到ル。
○長明(チョウメイ)方丈石(ハウジヤウセキ) 右浄福寺ノ東ヲ登(ノボル)コト五町許。入右ニ二町許在リ溪(タニ)河ノ上ニ。傳ヘ云フ。此ノ石ノ傍(カタハラ)ニ。鴨(カモ)ノ長明移(ウツ)ス方丈ヲト。愚按ニ。此ノ所地勢(チセイ)凹(ナカクボ)ニシテ。更ニ眺望(テウバウ)ノ便(タヨリ)ナシ。所筆(ヒツスル)ノ方丈記ニ不ル合(ガスセ)歟。後人可シ有ル考
○方丈ノ記ニ曰。其家のありさまよの尋常ならず。廣さはわづかに方丈。高さは七尺がうち也。中略 今日野山のおくにあとをかくして南に假の日隠をさし出して竹の簀を敷。その西に閼伽棚をつくり。中には西の垣にそへて、阿彌陀の繪像を安置し奉りて。落日をうけて眉間の光りとす。中略 北の障子のうへに、ちひさき棚をかまへたり。中略 東にそへてわらびのほどろを敷き。つかなみを敷きて。よるの床とす。東の垣に窓をあけて。こゝに文机をつくり出せり。中略 庵の北に小地をしめ。あばらなるひめ垣をかこひて苑とす。則諸の藥草をうへたり。其所のさまをいはゞ。南に筧あり。岩をたゝみて水をためたり。林軒ちかければ。爪木をひろふにともしからず。名を外山といふ。谷しげゝれど西はれたり。中略 若跡のしら波に身をよするあしたには。岡の屋にゆきかふ舟をながめて、滿沙彌が風情をぬすみ。中略 又麓に一つの柴の庵あり。則此山守がをる所也。中略 峰によぢのぼりては遥に故郷の雲をのぞみ。木幡山伏見のさと鳥羽羽束師を見る。中略 是より峰つゞき炭山をこえて笠取を過て。岩間にまうで石山を拝む。下略
右如キハ方丈ノ景メ西面明白(メイハク)ニシテ。遠望(エンバウ)心ニ任(マカ)セリ。今マ其ノ地ト稱(シヨウ)スル所溪(タニ)ニシテ更(サラ)ニ難(ガタシ)遠見(エンケン)シ。又麓(フモト)ニ山守ガ庵(イホ)アル由シ。此ノ所麓(フモト)トイハンハ。溪(タニ)ニシテ居所(キヨシオ)ニ便(タヨリ)ナシ有テ後勘可ナリ
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