「兵部卿、宮の大夫なと参りて、『僧召せ』など騒ぐを」
け
御気あがりてなをなやましうせさ
みや 中宮大夫也
せ給兵部卿、宮の大夫なと参りて、
源
僧めせなどさはぐを、大将いとわび
しうきゝおはす。からうしてくれ
ゆくほどにぞ、をこたり給へる。かくこも
りゐ給へらんとはおぼしもかけず、
人々"もまた御心まどはさじとて、
かくなんとも申さぬ成べしひるのお
ましにいざりいでゝおはします。よろ
兵部
しうおぼさるゝなめりとて、宮もまかで
給などして、おまへ人ずくなになりぬ。
例もけぢかくならさせ給人すくなけ
れば、こゝかしこのものゝうしろなどに
ぞさぶらふ。命婦"の君などは、いかにたば
かりて、いだし奉らん。こよひさへ御け
あがらせ給はん。いとおしうなとうちさゝ
源
めきあつかふ。君はぬりごめの戸の
ほそめにあきたるをやをらをし
あけて、御屏風のはざまにつたひ
いり給ぬ。めつらしくうれしきにも
藤つほ
泪はおちて、見奉り給。なをいとくる
/
しうこそあれ。世やつきぬらんとて、
とのかたをみいだし給へるかたはらめ、
いひしらずなまめかしうみゆ御くだ
物をだにとてまいりすへたり。はこの
ふたなとにも、なつかしきさまにて
あれど、みいれ給はす。よの中をいたう
おぼしなやめる気色にてのどか
にながめいり給へる、いみじうらうたげ
なり。かんざしかしらつき、御ぐしの
かゝりたるさまかぎりなきにほはしさ
紫
など、たゞかのたいの姫君"にたかふ所
源
なし。年比"すこし思ひわすれ給へり
つるを、あさましきまでおほえ給へる
源心
かなと、み給ふまゝにすこし物思ひの
はるけ所"ある心ちし給。けたかう
はづかしげなるさまなども、さらにこと
人と思わきがたきを、なをかぎりなく、
むかしより思ひしめ聞えてし心の
思ひなしにや。さまことにいみじう
ねびまさり給にけるかなとたぐひ
源
なくおほえ給に、心まとひして、やを
らみ帳のうちにかゝづらひよりて、御
そのつまをひきならし給けはひしるく、
藤つほ心
ざと匂ひたるに、あさましうむく
つけうおぼされて、やがてひれふし
源心
給へり。みだにむき給へかしと心や
ましうつらくて、ひきよせ給へるに、
御気上がりてなを、悩ましうせさせ給ふ。兵部卿、宮の大夫なと参
りて、「僧召せ」など騒ぐを、大将いと侘しう聞きおはす。から
うじて暮れ行く程にぞ、怠り給へる。
かく籠りゐ給へらんとは、おぼしもかけず、人々も、また御心惑
はさじとて、かくなんとも申さぬ成るべし。昼の御座(おまし)
にいざり出でて、おはします。よろしうおぼさるるなめりとて、
宮もまかで給ひなどして、御前人、少なになりぬ。例もけ近くな
らさせ給ふ人、少なければ、ここかしこの物の後ろなどにぞさぶ
らふ。命婦の君などは、「いかにたばかりて、出だし奉らん。今
宵さへ御け上らせ給はん。いとおしう」など打ちさめきあつかふ。
君は、塗籠の戸の細目に開きたるを、やをら押し開けて、御屏風
の狭間に伝ひ入り給ひぬ。珍しく嬉しきにも、泪は落ちて、見奉
り給ふ。「なをいと苦しうこそあれ。世や尽きぬらん」とて、外
(と)の方を、見出だし給へるかたはら目、言ひ知らず艶かしう
見ゆ。御果物をだにとて、参り据へたり。箱の蓋などにも、懐か
しき樣にてあれど、見入れ給はず。世の中を、いたうおぼし悩め
る気色にて、のどかに眺め入り給へる、いみじうらうたげなり。
簪、頭つき、御髪(ぐし)の掛かりたる樣、限りなきにほはしさ
など、ただ彼の対の姫君に、違ふ所なし。年比、少し思ひ忘れ給
へりつるを、あさましきまで、覚え給へるかなと、見給ふままに、
少し物思ひのはるけ所ある心地し給ふ。気高う恥ずかしげなる樣
なども、更に異人と思ひ分き難きを、猶、限りなく、昔より思ひ
しめ聞こえてし、心の思ひ無しにや。さまことに、いみじうねび
優り給ふにけるかなと、類ひなく覚え給ふに、心惑ひして、やを
ら御帳の内にかかづらひよりて、御衣の褄を引きならし給ふ気配
しるく、ざと匂ひたるに、あさましうむくつけうおぼされて、や
がてひれ伏し給へり。見だに向き給へかしと、心やましうつらく
て、引き寄せ給へるに、
引歌
※世やつきぬらん 不明。