新古今和歌集の部屋

軒端の梅 常光院

○常光院
・建仁寺 源頼家建立 開基栄西開基は温仲宗純(?−1511年)。慶長9年、三江紹益に帰依した木下茂叔が堂舍を直した。温仲が明応2年(1493年)に今熊野から建仁寺に移した福聚院を合し、明治5年(1872年)には春松軒も合した。
・金戒光明寺 開基法然 天正五年(1577年)法誉一岌法師が明寿院を建立。正保元年(1644年)常光院と改めて再興。永禄七年(1564年)栖松院建立し後に常光院と合併。八橋検校(箏曲八橋流祖)の墓がある。

・六波羅蜜寺 平清盛
吉記 寿永二年七月廿九日 今夜祇園中路五条坊門以南焼亡。六波羅密寺同以消失。又一日所焼残故正盛朝臣《常光院》焼亡云々。

六波羅常光院跡付近常行院(浄土宗西山禅林寺派。慶長年間創立。)

・聖護院 智証大師円珍開基 常住院を、増譽の白河上皇熊野御幸の案内の功により白河院として御賜された。三世覚忠の時、聖護院と号す。静恵法親王より宮門跡となった。

〇照高院
聖護院門主の退隠所。妙法院に道昭が開基したが、方広寺鐘銘事件で廃寺。元和5年に興意法親王が伏見城の建物を譲り受け、北白川に再建。白川御殿、雪輪御所とも呼ばれた。
明治元年智成親王が門主となるも、5年に薨去。8年兄の北白川宮が東京移住とともに廃寺。

〇法勝寺常行堂
山城名勝志 十四愛宕郡
常行堂《帝王編年記云、爲賢子中宮御菩提也。百練抄同之》
※賢子中宮(藤原 賢子 天喜4年 -応徳元年9月22日 白河天皇の中宮、堀河天皇の国母。父は右大臣源顕房、母は源隆俊の女隆子。太政大臣藤原師実の養女。)菩提の為建立。

○常行三昧堂 東北院 上東門院の発願によって法成寺東北の一郭に常行三昧堂として建立された。東北にあった為、東北院と呼ばれる。天喜6年の法成寺の火災で東北院も全焼したため、法成寺の北側に移転・再建。応仁の乱によって再び焼失し、以後廃寺同然となってしまう。永禄2年により時宗の寺院に改めて再建にするが、元亀元年の戦火で再度焼失した。その後、元禄5年の火災で再度焼失し、その際真如堂などとともに移転を命ぜられて京都市左京区浄土寺真如町に移った。 ○常光寺
宇治 橋寺 放生院

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