射水郡ニ有リ奈呉海。哥の心は、海の遠望なり。
西に入日をみれば海のうちに入やう也。あらふ
とは入ざまに日影明にみゆる故に、波があらひて
かゝるかとの作也。かすみの間よりみたる
氣色おもひやるべし。
一 おのこども詩をつくりて、哥にあはせ侍し
に水郷春望と云ことを 太上天皇
一 みはたせば山本かすむ水無瀬河夕は秋と誰か云けん
古抄云。是は水郷春望といふ題なり。水無瀬
は皇居也。古人秋の夕をうきときといひ
つたへたり。しかれども春の夕、朧〃とかすみて
そこはかとなくものしづか成みなせの有
さま、世にまたたぐひなくあはれにもかなしく
も侍り。たれあきの夕をうしとはいひけん、
春の夕こそまさりぬれといひさしたる
御哥なり。風情かぎりなし。引 うす霧
のまがきのはなの朝じめり秋は夕とだれか云けむ
是は又秋の夕をあはれなるときといへどもあした
のけしきこそ、猶あはれに侍れとある哥なり。
面白方なり。あはれと云詞も心多く侍り。
増抄云。此天皇はみなせにかりのみやありて
まし/\けるなれば、このところの景氣を
よくしろしめしたるべし。みなせとは淀
川のきはにある里なり。山は西の方なり。その
山本より東の方よど河へながれ入川なり。此川は
すなにてうへには水みえず。そこを水行也。
哥にもしたにかよひてなどよめり。見わた
せばと云五文字、とをく望む躰をよむ也。
みなせの里と山本の間三十町も有べし。
頭注
みなせはこれたゞ
の親王のヰ給
ひし宮なり。
○水無瀬 摂津國
○秋 尓雅に云。秋為
白蔵。月令云。其
帝少昊其神
蓐収
○あはれと詞一には面
白心有。一にはあつはれ
一にはかなしくあわれ
一にはなげきげきねがふ
こゝろもあり。
みなせの松のかれ
たる事など無名
抄にあり。
※誰か云けん
見わたせば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけん
の錯誤。
※爾雅(じが) 中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学の書。儒教では周公制作説があるが、春秋戦国時代以降に行われた古典の語義解釈を漢初の学者が整理補充したものと考えられている。『漢書』芸文志には3巻20篇と記載されているが、現行本は19篇である。漢唐の古文学や清朝考証学において非常に重視され、後には十三経の一つに挙げられている。唐代には石経(開成石経)にも刻まれた。
※引 うす霧のまがきのはなの朝じめり秋は夕とだれか云けむ
新古今和歌集 巻第四
秋歌上崇德院に百首歌奉りける時
藤原淸輔朝臣
薄霧のまがきの花の朝じめり秋は夕べとたれかいひけむ
よみ:うすぎりのまがきのはなのあさじめりあきはゆうべとたれかいいけむ 隠
意味:薄霧が出ている垣根の花がしっとり湿っている。秋は夕暮れと誰か言っていたが、こんな情景を見ていると秋の朝も捨てたものではない。
備考:崇徳院御時百首